旧友

 しばらく待っていると、やにわにおもてが騒がしくなった。しかし、それは音ではなく、音以外のすべての騒がしさだった。臭い、熱量、そして気配、ただ事ではない渦が近づいてくるのが分かった。私の産毛までもが逆立ちそうだった。そこにはまだ誰もいないのに、私は自ずと店の出入り口を睨んでいた。

「……何か暑くねぇか?」と、私たちの後ろで飲んでいた客がぼやいた。

「……少し離れていろ」ロッキードは言った。

 私が店内のロッキードから一番遠い場所に席をとると、すぐにオークの集団が店に入ってきた。店にはまだ十分にスペースはあったものの、客たちは彼らに押し出されるように店から足早に出ていった。店内にはオークたちと店の関係者、そして私だけが残った。

 オークたちの集団の中から一人の男が前に進み出た。うす緑色の髪が少し後退しているためひたいは広く、顔にはいくつもの面傷おもてきずがあった。アイスブルーの瞳は穏やかで哀し気で、そして冷徹だった。ふっくらとした体だったが肥満ではない。丸みを帯びた筋肉の塊の上半身には、冬だというのに狼の毛皮のベストだけが羽織られていて、そこから見える体の節々にも刀傷や槍傷、矢傷が刻まれている。例え前に進み出なくても、遠目からでさえ、人はこの男が彼らの頭目であることを知るだろう。立ち姿だけでも雄弁に物語っていた、男の残虐さと容赦のなさを。ロッキードが岩山だとしたら、その男は氷山だった。

 男は前に出るなり、ロッキードを無表情で睨んだ。しかしそれは憎悪ではなかった。感情を決めかねている類の無表情だ。

 男はカウンターに行くと、ロッキードの隣に座った。

 男は言った。「久しぶりだな」

 ロッキードも言った。「ああ……。」

「ずいぶんと飲んでるな……。」

 ロッキードは小さく、しかし猛牛のような鼻息で笑うと、ロッキードは杯を煽った。

 男は言う。「俺の部下が世話になったようだ……。」

「あんなが今のお前の部下か。苦労が絶えないだろうな……。」

 男は鼻で笑った。

「お前にしたら、誰もがそうだろう」

 ロッキードも鼻で笑った。

 男は自分の杯を口に運んで酒を喉に通すと、改めてロッキードの方を向いた。

「……で、何の用だ?」

 ロッキードは足元のカバンを探ると、中からまた小さなカバンを取り出し、それを男の前に置いた。

「……これは?」

「妻の……マリエッタの遺品だ」

 男は目を見開いて、ロッキードを見る。そしてカバンの中身を確認した。

「……死んだのか」

「ああ……。貴族の女が石切りの真似事をやっていれば寿命も縮まる」

「……なぜこれを俺に?」

「それはお前のそばにあるべきだ」

 男は哀しげな表情でロッキードを見ていた。

「もらってくれ」ロッキードは言った。

「……もしかして、俺とマリエッタがまだ続いていたと?」

 ロッキードはまさか、と笑った。

「あいつは俺に尽くしてくれたよ。だが、あいつの心が俺のそばになかったことくらいは知ってた」

「ロッキード……。」

「……そう憐れんでくれるな。これでも俺は、自分が果報者だと思ってるんだぞ。あいつは心の片隅に俺の居場所をくれた。それでいい、それだけで十分だ」

 男はまだ表情を決めかねていた。長い年月を隔てた者同士は、抱え込んだ感情をどう表していいか分からなくなるものだ。

「あいつがお前を想い続けていたのなら、別にそれでいいんだ。忘れられない想いを無理に忘れる必要はない。だがもう、俺とあいつを縛るものはなくなった。だったら、あいつの心をあるべき所に戻そうと思ってな。きっとあいつも喜ぶ」

「……まさか、このために脱獄を?」

 ロッキードは肩を揺らした。

「半分はな。……もともと脱獄するつもりはなかった。だが、都合よく行き遅れていた末の娘が結婚したという報せが来てな。これを機に外に出れば、奴らは故郷を重点的に回るだろうと思ったんだ。それで、その裏をかこうとな……。」

 やはり、所長の目論見は外れていた。この男は娘の結婚すらもダシに使うしたたかさを持ち合わせていたのだ。しかし、ならばなぜ、私には故郷へ帰る事をほのめかしたのだろうか。

「お前って奴は、まったく……。」男は首を小さく振った。

 ロッキードは杯の酒を大めに飲んだ。何かの決意が見て取れた。

「……ところで、なぜこんなところで盗賊まがいの事をしている?」ロッキードは言った。

「盗賊まがいどころか、盗賊そのものだ」男は言った。

「……しかし」

「……すまない。お前が手を汚してくれたにもかかわらず……。」

 男はカウンターに爪を立てるようにしてうつむいた。

「……クロックが約束を守らなかったのか」

 ロッキードの口から出た、“クロック”の名は新鮮に聞こえた。私はふたりが関わりのある事を失念していた。

「……俺が無能だったんだ。……すまない、お前が俺たちの為に尽くしてくれたのに……俺ときたら……。」

「お前は何も悪くねぇよ、マーティン」と、離れて控えていた男の部下が言った。やはり、彼が話に出ていたマーティンらしい。「ロッキード、あのクソ野郎は約束こそ守ったさ。あくまで約束はな。だがお前が居なくなると、奴はあの土地に人間をバンバン呼び寄せたんだ。そっちの方が効率が良いってことでな。あげく、袖の下を通した役人や進駐軍の家族を居座らせやがった。最後にゃ俺たちが我慢できなくなって不満を言ったところ、暴動だのいって追い立てて、うまいこと俺たちの故郷をかすめ取りやがったのさ」

 ロッキードはマーティンを見ていた。マーティンはうつむいたままだった。

「……お前が、お前がコルトを去らなきゃああんなことにならなかったんだっ」オークの部下はロッキードを責め続けた。

「……俺はフェルプールを殺した」ロッキードは言った。「戦争でもなんでもない、言ってみれば市井の縄張り争いでな。けじめをつける必要があった」

「そんな必要なかったろっ? たかがフェルプール猫耳だぜっ? 猫耳が一匹二匹殺されたところで、役人は真面目に捜査なんかしないだろっ? 黙ってればお前が捕まることなんかなかったんだっ。それをノコノコご丁寧に出頭しやがって……。」

「ふん、お前らが土地を追い出されるのは当然だな」

「何だと!?」

「……やめろ」マーティンは言った。「罪に問われないから逃げおおせる。そんな男だったら俺はこいつの親友なんてやってなかったさ。こいつのおかげで、俺たちは汚れた土地で生きていく羽目にはならなかったんだ」

「追い出されてたら同じだろっ」

「俺が無能だった。奴が上手うわてだった。それだけだ。俺たちが自治を続けていても、あの土地は廃れていくだけだったさ……。」マーティンはロッキードを見た。「ロッキード、分かってるぜ。お前は罪に問われないからこそ許せなかったんだろう?」

「……悪い男ではなかった」ロッキードは言った。「奴は自分の種族のために身を尽くしていたんだ。何の恨みもなかった男だった……。俺は生まれて初めて、ただの殺しをやったんだ……。知らなかった。罪を犯すということが、あんなにも自分の人生が呪わしくするものだとは……。」

 マーティンはつぶやいた。「俺たちは、いつから間違ったんだろうか……。」

「間違っちゃいないさ」ロッキードは言った。「間違ったことになったんだ」

「……そうかもな」

「問題は、それを受け入れられるかどうかだ」

 マーティンはロッキードを見た。その意図を知ってか、表情が強張っていた。

「時代がどう変わろうと、受け入れられないことだってある」

「お前のやっていることは凶悪だ。他の生き方を探せ」

 マーティンの部下が言った。「人間たちと共存しろと? 戦場で奴らが俺たちに何をやったか忘れたのか? 友を遺骨すら持って帰れない肉にして、得体の知らない兵器で黒王猊下の領地を死の土地にしたんだぞっ。あそこじゃあ得体のしれない病気で、今も同胞が死んでるんだっ。まだ終わってないっ。終わらせてないのは奴らだっ」

「……ロッキード、お前だって本当は受け入れられてなんかないんだろう?」マーティンは言った。「昔より酒の量が増えてるぞ。……痛むんだろう? 体に残ってる鉛が。あいつらが残したものが、文字通りお前の中に残ってるんだ。強がるのはよせ」

「それは違うぞマーティン、俺だって奴らの事を決して忘れはしない。だが憎み続けているわけじゃない。酒は痛みと付きあうための、その手段だ」

「……ドリスのことも飲み込めるのか?」

「……不思議なもんだ」ロッキードは杯をからにした。「あれだけ永遠の苦痛だと思っていたのに、時が過ぎるにつれ薄らいでいく」ロッキードはマーティンを見た。普段通りだったが、その瞳は濡れているように見えた。「いまじゃあ顔も思い出せなくなってきてる。酒があいつの思い出を曇らせてくれてるのさ。残酷な優しさだな」

「……酒浸りの生活を、ずいぶんと綺麗に語るもんだな」

「綺麗に語ればいいだろう。そうすりゃあ、自暴自棄にならずに済む」

「本当に、お前は変わらんな」マーティンは杯を傾けた。

「……お前は変わったな。そんなに過去を振り返って嘆くような奴じゃあなかった」

「……お前は違うのか? もしやりなおせたら、今とは違う人生を生きたいとは?」

「思わん。もし仮にやり直しができるのなら、礼を言いそびれて別れた奴らにそれを伝えたいというくらいだ」

「……相変わらずたいした奴だよ、お前は。だが、やはり俺はお前の様にはなれん」

「なぜだ?」

「俺はもう、長くない」

「……どういう意味だ?」

「俺たちは元々盗賊なんてやってなかったさ。故郷を追い出されてから、しばらく黒王領にいたんだ。復興のための仕事があると聞いてな」

 マーティンは腕の包帯をほどいた。そこにはまだらあざがあった。

「あいつが言っただろう、今でも住民が死んでいると。先月、これと同じ痣のある仲間が、口から溶けた内臓を吐き出して死んだよ」

 ロッキードは黙ってマーティンを見続けた。

「俺の死は避けられん。だが転生者の手にかかって死にたくない。最後はお前の手で、最強の戦士・アンチェインの手で送ってくれ。俺は、戦士として死にたいんだ」

 マーティンは立ち上がった。

「待ってるぞ。ここに来るまでに大きな川を見たろう、その川の上流にある、戦時中に使われてた砦が俺たちの根城ねじろだ」

 マーティンは仲間の元へ戻っていった。

「おい、お前ら」ロッキードはオークたちに呼びかけた。「俺は無駄な殺しはしたくない。明日、お前らのアジトに行くが、マーティン以外は俺に仕掛けてこないでくれないか」

 戦闘種族を自負する彼らに、その言葉はあまりにも挑発的だった。数人のオークの頭部に一瞬で血管が浮き出ていた。

「……なんだとコラ?」

「これは俺とマーティンの問題だ。だから明日殺すのは一人だけにしたい。さすがの俺だって、同族を手にかけるのは嫌なんだ」

 集団の中からひとりが進み出ようとしたところ、それをマーティンが制した。

「……分かった」

「おかしら……。」

「この男は本気で俺たちを気づかって言ってるんだ。侮辱じゃあない。誰だろうと、こいつとやりあったら数分も

 マーティンは俺を含めてな、と言って去ろうとした。しかし……。

「……ちょっと待ってくれ」と、ロッキードが集団を呼び止めた。

「……なんだ?」

 ロッキードは言いづらそうに視線をそらす。さっきまでの深い影はを潜め、浅薄な苦笑いがそこにあった。

「その……もしかしたら、お前らのアジトが分からず道に迷ってしまうかもしれない。案内役を残してくれると助かるんだが……。」

「……言ったろう? 川を上ってくればいいと、一本道だぞ」

「俺は方向音痴でな……もしかしたらということもある」

 マーティンは部下たちを見た。

「……どうしてもと言うなら構わんが……。」

「そうか、それならそいつを残していってくれないか?」

 ロッキードは嬉しそうに集団の中のひとりを指さした。いっせいに全員がその方向を見る。その先には唯一の女がいた。筋肉のや姿勢から、他種族の私から見ても若い女だと分かった。人間の戦士でも不覚を取りかねない、しなやかに練り上げられた筋肉、空気を引き裂くブルウィッチ牛追いの一本鞭を思わせるたたずまい、彼女は紅一点というわけではなく、いっぱしの戦士としてそこにいるようだった。

 酒場にいる全員の視線を浴びながら、最初こそは頬を赤らめたが、女戦士は羞恥による赤面をすぐに激怒のそれにすり替えた。

「……あんた、ふざけてんのかい?」女は言った。

「俺はいつだって大まじめだ」

「言っとくけど、妙なこと考えてんなら、マーティンより前にあたしとやりあうことになるよ」

「いいじゃないか、気の強い女は好みだ」

「この……なめやがって! 聞こえに名高いアンチェインって、周りが大げさに言うもんだからあたしもちったぁ憧れてたけど、心底見損なったね!」

「お前は明日の朝には、“うわさ通りねアンチェイン”と俺の腕の中で言うことになるぞ」

「はぁ!? もう勘弁ならないっ。明日なんて待つ必要ないよっ、今ここでケリをつけてやる!」

 女の決闘の宣言を、ロッキードは愛の告白のようにうっとりした顔で聞いていた。

「……フラン」

「マーティン、もしかしてあんたまであたしに道案内をやれなんて言うんじゃないよねっ?」

「道案内をやってくれ」

「なっ!?」

「ただし……。」マーティンは自分の腰からダガーを抜き出しフランに渡した。「誇りを穢されるようなことがあったら、これを使え」

 人間用とは違い、ヒツジの解体もできそうなデカいダガーだったが、ロッキード相手にはペーパーナイフよりも心細い代物しろものだ。

「こんなちっぽけなダガーであいつと戦えるわけ……。」

「自決用だ。転生者の道具でも殺せん奴だぞ、何を持たせても勝てるわけがないだろう」

「そっ」

「ロッキード、俺はこいつを道案内として残していく。そいつは若いが生粋のオークの女だ。ふざけた真似はするなよ。皆が不幸な結末を迎えることになる」

「安心しろ、最後のページには俺がハッピーエンドを書き加えてやる」

 得意げに言うロッキード。血が下半身に下ってるせいか、台詞も気が利かない。

「……じゃあ、明日、待ってるぞ」

 そうして、マーティンは去って行った。オークの女戦士、フランはひたすらロッキードを睨んでいた。ハッピーエンドは期待できそうにない。

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