in the backstage─どこかの話③─

「ジーユー……。」

 男は妻子に歩み寄った。

「そんな嘘だろ……。」

 男は冷たくなった妻子を抱き寄せ涙する。そしてしばらくそうした後、銃を取って自分のこめかみに銃口を押し当てた。

「……大丈夫だ。また……やり直せる」

 そう涙声で言った男が、引き金に力を込めようとしたその時……。

「無駄だよ」

 室内に声が響き渡った。さっきの声だった。

 男は反射的に体を翻し、銃を構えて室内に目を這わせた。まだ敵がいるのか? 気配がしなかったぞ? 予想外の事態に、男の額から汗が噴き出す。

「……誰だ?」

「そんなことしても、奥さんは生き返らないって言ってるのさ」

 女? それとも子供か? 男がそう思うほど、それは高く幼い声だった。

「俺は貴様は誰だと聞いてるんだ」

「誰かなんてどうでもいいよ。というか、ぼくもぼくが何なのか分からないんだから」

 珍妙な答えに男は眉をひそめる。

「お前がジンチューの仲間じゃないならほっといてくれ。俺はやり直したいんだ」

「やりなおすって、何をさ?」

「それは……妻と……娘を……。」

「それって、奥さんと娘さんのことだい?」

「……なに?」

奥さんと子供は君が手放したんじゃないか」

 男は驚いて目を見開いた。

「……お前何者なんだ?」

「う~ん、堂々巡りだなぁ。それに、以前君とは会ってるはずだよ?」

 男は室内を見渡す。

「……姿が見えないのに分かるわけがない」

「はは、姿なんてどうでもいいよ。あの時とは違う形なんだから」

「あの時?」

「そうあの時……ラスベガスの世界大会だよ」

 男は銃を下ろした。

「お前っ」

「思い出してくれたかい、久しぶりだね。この世界には馴染んだかい? 思ったとおりだったよ、世界屈指のプロゲーマーとしての君の能力を活かせば、ここでも十分やっていけるってね。とはいえ、けっこう死んじゃったみたいだけどね」

「お前、お前が……。おい、いったい何なんだこの世界は?」

「え~、今さらそれ聞くのかい? ふふふ、まぁいいよ、教えてあげる。ここはねぇ、台湾なんだよ。聞いたことくらいはあるでしょ?」

「……それは知ってるっ。ここに来た時にすぐに調べたからな。だが、あの国には行ったことはないが、こんな国じゃあないことくらいは知ってるぞっ」

「君の世界の台湾じゃないからね」

「……お前の言ってることはいまいちわからん」

「それが困ったことに、ぼくもよく分からないんだ。ぼくは道案内をしているだけだからね。それよりも、このフェイズはいったんここで打ち切らせてもらうよ。思ったより歪んでしまったんだ」

「……何を言ってる?」

「知ったところでどうするの? 甘いものを食べたからって、砂糖なのか蜂蜜なのか、それを知ったところで何にもならないのと同じだよ」

 男は部屋の奥の暗闇を凝視した。そこに声の主がいるとは思えなかったが、そこ以外、誰もいないと確信できない場所が他になかった。

「なぜ……よりによって俺なんだ? あの時、会場には世界中から集まったゲーマーがいたはずじゃないかっ」

「それはね、あの世界のあの時点で、君が最も優れたゲーマーだったからだよ。反射神経も認知能力も、知覚力も、総合して人類のトップだった。どう? 嬉しいかい? 君は今、自分が実はあの世界のトップだったことを知ったんだよ? ぼくが言うんだから間違いない」

「死んでしまったら意味がないだろうっ」

「せっかくのその君の性能を、もっと多方面に活かしてほしかったんだ。ゲームだけなんてもったいないだろう」

「な、そんな、身勝手な話があるかよっ。一体お前に何の権限があるってんだ!」

「そんなこと言われてもねぇ。そもそも、人が自由であるべきなんて考え方も、君たちが30万年生きてきた中のたかだか数百年、つい最近できた約束事じゃないか」

「そ、そんなこと言われても……じゃ、じゃあ、なぜ今さらになって俺の前に現れたんだ?」

「君を次の世界に連れていくためさ」

「なに?」

「いったでしょ? 思ったよりも歪んでしまったってね。いったんここはリセットすることにしたんだよ。でも次の世界でも、前のプロゲーマーに加えて、今度はロボットと戦うっていう経験を積んだ君はきっと活躍できるよ。なんといっても、新しいスキルまで手に入ったしね。ちょっぴり性格の悪いスキルだけどさ」

「ちょ、ちょっと待て、勝手に話を進めるな。俺はまだ行くと決めていないっ」

「そんなこと言ってもねぇ、君の精神は体から出ちゃってるから……。」

「……なんだと?」

 男は足元を見た。そこには頭を撃ち抜かれた自分の遺体が転がっていた。

「……え?」

「君は直前で引き金を止めてなんかないよ。撃っちゃったんだよね、もう」

「……そんな」

「で、そんな風になっちゃった君だから、もうこちらのいいようにさせてもらうよ」

「……ふ、ふざけるな、ふざけるな!」

 男は声のする方に銃を構えた。しかし、構えたと思ったそれは、単なる指鉄砲だった。

「くそっ」

 男は銃を拾い上げようとするが、指は銃をすり抜けるだけだった。

「くそっくそっ」

「無駄だって。君の肉体はそこに倒れてるでしょ? じゃ、そろそろ行こうか?」

「ま、待て、そんな急にっ……。」

「あはは。急にも何も、前回もこんな感じだったじゃないか」

 男は吐き気をもよおした。体がないのに吐き気とは奇妙だったが、男はそう感じていた。そして手を見ると、指先が乾燥した古いクレヨンのように壊れ始めていた。

「あ、あ……。」

「さぁて、次はどうしようか? まぁ、ぼくが選ぶわけでもないんだけどね」

「なんなんだ、お前、いったい何なんだよ!」

「しょうがないなぁ、何度言わせるんだよぉ。う~ん、そうだねぇ……何か近いもので例えるなら、君の前いた世界に、不思議の国のアリスっておとぎ話があっただろう? あれのウサギみたいなものだよ」

「ウサギだと!?」

「そうだね、ウサギさ。もしぼくを捕まえたかったら、ウサギを探してみるのもいいんじゃないかな?」

 男の体はいよいよ崩壊し始め、体は首の下までが砂のように崩壊していた。

「う、うおおおおお!」

 咆哮と共に、男の体はちりのようになって消えていった。

「それじゃあ良い旅をね。選択し決断すること、人の意志の向かう可能性を見せておくれよ。……そしてその結末もね」

 


 ──くそ、奴ら死ぬのが怖くねぇのかっ?

 ──俺らと同じだろ、向こうだって覚悟決めてきてんのさ

 ──化け物風情が覚悟かよっ

 ──お、気づいたか、カラエフ?


 男が目を覚ますと、そこは塹壕ざんごうの中だった。しかし、塹壕が初めての男にも、それは異質な光景だと分かるものだった。兵士の装備がまず違う。見たことのないブラックメタリックのヘルメットとスーツを着用し、銃も見たことのないものだった。一見するとAKにも似ているが、パーツの所々が赤く発光している。ゲームで世界中の銃火器の知識を蓄えた彼でさえ、いったいどこの国で採用している武器か見当がつかなかった。

「……ここは?」男は言った。

 目の前で銃を構えているふたりは顔を見合わせた。見合わせたといっても、フルフェイスのヘルメット越しだったので、表情は分からない。

「おいおい、混乱してるのか? らしくないな」と、やや高い声の男が言った。

「仕方ない、奴らの攻撃で吹っ飛ばされたんだ。生きてただけでも奇跡さ」と、少し低めの声の男が言った。

「……奴ら?」

 男の言葉におそらく仲間と思われるふたりは困惑して首を振った。

「マジかよ? そのレベルで記憶障害起きてんのか?」と、高い声の男が高い声で言う。

「一命をとりとめた所で申し訳ないが、とっとと戦え。衛生兵もいないし、こちとらお前のをしてる余裕もないんだ」

 低い声の男は立てかけてあった銃を男に手渡した。

「戦うって……いったい誰と?」

「見れば分かる。ふた目と見れない憐れなバケモンが見えたら、とりあえずぶっ殺せ」

「おいおい、だったら俺、お前のカミさん撃っちまうぞ」

「……背中に気をつけろよ」

 男たちは数度、頭を素早く塹壕から出すと「行くぞ!」と声を上げて突撃していった。男は流されるままに仲間たちについていく。

 塹壕の外も異様な光景だった。世界のどことも見覚えのない場所、森のようだが木ではなく翡翠ひすい色の結晶がそびえ立ち、夜空には赤い月が二つあった。

 ──なんなんだ、ここは?

「来たぞ気をつけろ!」

 切迫しすぎてどちらの声か分からなかった。しかし、男はその声の意味をすぐに理解する。

 ──なんだぁ!?

 頭上から、五本足のエビにもクモにも似た生物が、結晶の樹木の間を飛び跳ねながら襲い掛かってきていた。

 見たことない森、見たことのない空、見たことのない生物──少なくとも、ここは地球ではなかった。

「ぼさっとすんな! 撃て!」

 ──くそったれ! 右も左も分からない世界で一からかよ!

 男は銃で怪物を迎撃した。


 リーガルは目を覚ました。少なくともここは直近の世界のようだった。あの夜の事はずいぶん昔のようだが、一方で昨日のようにも思える。いったい、あれからどれくらい時間が経ったのだろうか。あれから? リーガルは自嘲する。自分に時間の概念などあるのだろうかと。

 リーガルが起き上がると、つられたようにヴィオレッタが目を覚ました。とっさにヴィオレッタは身構える。リーガルはそんな彼女を一瞥して鼻で笑うと、女神像の前に行き立ち小便を始めた。彼らは旅の途中、雨風をしのぐために教会の屋根を借りていたのだった。

「な、なんという罰当たりな!」

 小便をするリーガルを見て、教会を管理している修道士の老人が叫んだ。

「おおぅ……。」

 しかし、そんな修道士の叫びも馬耳東風といわんばかりに満足げにリーガルは用をたす。

「なんと恐ろしいことを!」

 老人はリウマチもちの足の痛みも忘れてリーガルに詰め寄った。

「貴様、何をしているのか分かってるのか!?」

「お前こそ俺が何をしているのか分からんのか?」

「分かるわこの罰当たりめ! 貴様、神を信じぬか!?」

 リーガルは性器の向きを変え、老人に向かって放尿した。

「うおっ?」

 老人は後ずさりしたが、麻布のローブの裾に飛沫がかかった。

「信じてるさ……。」

 リーガルはその場で小さく足踏みをして尿をきった。

「信じてるからこそやってるんだろう」

「な、なんだとうっ?」

「信じてるからむかついてるんだよ。それにな、俺にはこいつらに小便ひっかけるくらいの権利はあるってもんさ」

「何を言ってるんだ……?」

 リーガルは肩を揺らして笑い始めた。この世の生きとし生きる物すべてをあざ笑うような、そんなどす黒さがその笑い声にはあった。


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