in the backstage─どこかの話①─
──
「……終わったな」
男はトレンチコートの中から煙草を取り出し、オイルライターで煙草に火をつけ大きくひと吸いした。闇におおわれた路地裏、男の目の前には破壊された
「あたしにもちょうだいよ」
そうって後ろから女が男の懐に手を忍ばせ、煙草を取り出し口にくわえた。女は自分の顔を男の顔に近づけると、男の煙草の先端で火をつけた。女の顔が煙草の
「……煙草の味が分かるのか、その体で?」男は言った。
「習慣みたいなものよ」
女は気だるそうに煙を吐き出した。
「……こういう些細なことでもやっておかないと、自分が自分じゃなくなっていくみたいで」女は頭を抱えた。「こいつが憎くて仕方なかったはずなのに、こいつを殺したら死体だって八つ裂きにしてやろうとさえ思ってたのに、いつの間にかその熱も冷めてきて……。もしかしたら慣れなのかもしれない、でも、あたしはとうの昔に人間なんかじゃなくなってるのかもしれないって時々思ったりもするんだ……。」
「……マオ」男は女の名を呼んだ。
マオは義体の山を目を細めて眺めた。「この仕事の後はいっぱつヤリたくなるんだけど、あいにく目の前にいるデカブツが妻帯者だからねぇ」
「……これから男あさりか?」
「向こうから寄ってくんのよ」
「はんっ」男は鼻で笑った。
「あんたこそ、こんな仕事の後に家族に会うんでしょ? どういう顔して娘に会うわけ?」
「仕事とプライベートは分けるくちだ」
「ふんっ」女は鼻で笑った。
からりと壊れている義体の山から音が鳴った。ふたりは弾けるように素早く構えた。男は素早く懐に手を伸ばし小型電磁砲を掴み、女はサイバネティクス手術を受けた肩を360°回転させ背中から振動ブレードを抜き出した。しかし、それは山が崩れた物音だった。
「……さすがにこんだけやったらもう動かないわよね」
「ああ……。」
ふたりとも武器を納めた。
男は目を細める。視線の先には坊主頭の生首があった。生首の右目はサーモグラフィ機能付きの義眼になっていたが、今では虚しく夜空を見上げるだけだった。サーモグラフィには月夜は映らないだろう。
「どうしたの?」
「いや……もう本当に終わりなのかと思ってな」
「そうね。なんだかんだ、あっけなかったわよね。でも、けっきょく偉ぶってる奴なんてこんなもんじゃない?」女は坊主頭の生首を顎でしゃくった。「これでこの街も静かになるわ」
「……そうだな」
マオは相棒の男をまじまじと見る。出会ってからこれまで、とかく不思議な男だった。強運と土壇場で働く機転、そしてその両方が生み出す奇跡。不正や汚職の蔓延する都市警察を辞め、街の支配者であるジンチューとひとりで戦っていた彼女は、窮地に追い込まれていた時に偶然に彼と出会い、それからは驚くほど順調にジンチューのシンジケートを潰すことに成功していった。まるで、事態そのものが彼が現れるのを待っていたかのように、それほどまでに彼の存在は状況を大きく動かしていた。
「……なんだ?」
「ううん、なんでもない。……じゃあね」
マオは踵を返した。
「帰るのか? 一杯つきあえよ」
「猫に餌あげなくちゃ」
家庭のある男をとっとと家に帰そうという、女なりの気づかいだった。
「そうか。……なぁマオ」
「なによ?」
「これからどうする」
「……そうね、この街の掃除も終わったことだし、新しい仕事でも探すわ」
「また掃除屋か?」
「どうかしらね、今はどっかの田舎に引きこもって農業でもやりたい気分だわ」
「似合わないな」
「言ってみただけよ」
男は笑った。
「また連絡するよ」
「やめときなさいよ。得体のしれない女と連絡とりあってたら、奥さんが心配するわ」
「しかし……。」
「正直ね、農業やりたいってのは半分本音なの。この街にはつらい思い出が多すぎるわ。あんたの事は嫌いじゃないけど、一緒にいるといつまでもその思い出にとらわれちゃいそうで」
「……そうか」
マオは少しうつむいて自分の肩を抱いた。
使命感に燃える同僚だった夫と共に、街の不正を取り締まっていた頃のマオは、まだ生まれた時の体だった。マオたちは警察官として裏で街を牛耳るジンチューの一派の不正を追求し続けていたが、街の人間がジンチューを恐れるのは理由があった。勇気を持てば戦える、ジンチューはそんな生易しい相手ではなかったのだ。マオたちの追求を面白く思わないジンチューからの警告は、捜査だけではなく、彼女の人生そのものをもあきらめさせてしまうものだった。ジンチューはマオの夫と息子を彼女の目の前で殺害し、さらに彼女自身の体に恐るべき破壊を加えた。しかし夫と息子を失ったマオはジンチューの思い通りにはならなかった。マオは瀕死の体にサイバネティックス手術を施し、脳までも一部機械化してジンチューへの復讐を誓ったのだった。
「……そんな顔しなさんな」マオは男の肩を叩いた。「別に、今生の別れってわけじゃないんだから。何かあったら連絡する」
「……分かった」
「じゃあね」
「……ああ」
マオの義足が唸ると、マオの身体は空高く飛び上がった。マオはすぐ横の廃ビルの3階の窓枠を右の義手で掴み、さらに勢いをつけて廃ビルの屋上へと昇っていった。猫みたいな女だった。
男は月夜に消えていったマオの姿をほほ笑んで見送ると、通りを走るタクシーを止め、街はずれにある自宅へと戻った。
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