過去を振り返ること

 その後、オークたちの馬鹿げた飲み会が始まった。諸国を旅する中、多くの種族と酒を飲み交わしたことがあるが、こんなにも酒の神バッカスの力が及ばない奴らもそうそういない。彼らオークが好む酒にアックァというものがある。他種族が一杯飲んだだけで喉が焼け、前後を失うという代物しろものだ。だが、彼らにとってはそれくらい強い酒ではないと、十分に酔えないのだ。人間が飲む葡萄酒など、彼らにとっては喉の渇きを潤す程度にしかならない。

 ふたりは酒が大樽の半分以上を空けたくらいでようやく饒舌になり始めた。人間なら酒が毒になり、昏睡が永眠になるレベルの量だ。


「覚えているかロッキード、この指を」

 そう言ってレイセオンは自分の右手を出した。その手は中指が半分無くなり、薬指が欠いていた。

「ああ、覚えている」ロッキードは言った。

 ふたりとも朗らかに顔を見合わせて笑った。

「俺が叩き落とした」

 私はぎょっとしてロッキードを見た。

「まぁ訓練中の事だ」レイセオンは言った。

「よくある事さ」ロッキードは肩をすくめた。

「お前の戦槌の端が当たってな、見事に吹き飛んだよ。あの光景を今でも覚えてる。砕けちまってるから、治しようがなかったぞ」

「戦時中だったからな、訓練にも熱が入ってしまったんだ」

「まったく、お前と誰も稽古をやりたがらんから、俺が仕方なしに相手をしてやったらこのざまだからな」

「だが、そのせいで異種族の奴らはビビっちまって、結局俺と稽古をしなくなった」ロッキードは涙で濡れた目尻をぬぐった。「仮にするにしても、俺だけ武器なしだったな」

「武器なしでも、蹴りで新人の骨を折ったりしてただろう」

「やつらは鍛え方が足らんのだ」

 ふたりは大笑いをした。

「仕方ないさ、俺たちオークには誰もついてこれなかった、文字通りな」レイセオンは言った。「戦争も終盤になると、同じ種族だけで部隊を組むのが難しくなってな、雑多な奴らが混じって部隊を作ったもんさ。ロッキード、お前のところはどうだった?」

「俺のところは、ウェアウルフやミノタウロスばかりで、俺以外はオークがいなかった。さみしいもんだったよ。まぁ、それはそれで異種族の勉強ができて良かったがな」

「むしろそれはうらやましいぞ、俺が任された部隊はそれに人間が混じっていたからな。奴らまるで気合いが入っとらん」

「何てったって女族めぞくだ。もしかしたら女が混じっていたかもしれんぞ?」

 女族というのは、人間への彼らの蔑称べっしょうだった。他の種族にとって、人間やエルフは男と女の区別がつきづらいというのがその由来だ。

「かもしれん。軟弱なあいつらの為に行軍がいく度止まったことか。あんまり遅い奴らはそのまま置いて行ってやったぞ」

 ふたりはまた笑いあっていた。仮に戦時中の事だとしても、訓練で指がなくなったり、歩くのが遅いからといって置き去りにされるのは私だったらごめんこうむるところだ。私もリザードマンの国で激しい稽古をしていた自負があるが、彼らオークはなんというか、命を投げ出すことに喜びを見出しているようだった。

 そうこう話しているうちに、ふたりはとうとう大樽の酒をすべて飲み干してしまった。ほんとうに日が暮れる前だった。

 ほんの少し沈黙が流れた後、レイセオンは酔いで緩まった顔を改め、まっすぐにロッキードを見つめた。

「……そういえば、マーティンとはあれ以来……?」

 ロッキードの顔からも酔いの余韻が去っていた。

「……いや、お前は?」

「いや……。」レイセオンはロッキードから視線を外し、まっすぐに虚空を見た。「だが……嫌な噂を聞いた」

 ロッキードは何も言わなかった。

「昔の仲間と徒党を組んで、賊をやっているそうだ。かなり規模の大きい盗賊団でな、占領軍の奴らも手をこまねいているらしい。討伐に行った人間どもを返り討ちにしてるんで、一部では義賊扱いだが……。」

 レイセオンはロッキードを見た。

「……そうか」

「……余計なことだと思ったが、お前の耳に入れておこうと思ってな。お前も奴に関しては無関係とはいえまい」

「……まぁな」

 静かな湖畔、しかし群青より深い青で底が計り知れない。そんな感情の影がロッキードの顔を覆っていた。

「……ロッキード、お前もしかして……。」

 ロッキードは立ち上がった。

「……奴はどこにいる」

 老人は答えなかった。

「渡すものがあるんだ」

「……渡して終わるか?」

「……どうだかな」

 老人は体を深くベッドに沈ませた。

「……ギルドの寄り合い所に行くと良い。そこで分かるさ。この国は未だに秩序がない。仕事には事欠かんだろう」

「……分かった」

 ロッキードとレイセオンはしばらく顔を見合わせていた。

「そろそろ行く。陽がもう落ちるからな」

「ああ、今日は来てくれてうれしかったよ」

「また来る」

「よしてくれ、つぎに来るときは葬式だ。お前に死に顔を見られたくない」

「水臭いな、墓参りくらいさせてくれ」

 ふたりは鼻で笑い、ロッキードは振り向きもせずに部屋を出た。さよならの言葉もなかった。それがより、避けがたく、決定的で、永遠をにおわせるような、そんな離別を思わせた。


 部屋を出た後、私はロッキードに訊ねた。

「次はどうする?」

「うむ、奴の言っていたように、街へ出てギルドの寄り合いで情報を集めたいのだが……。」

 ロッキードは革袋の葡萄酒を飲んだ。いくら彼らオークが酒に強いからといって、いささか飲み過ぎではないだろうか。

「お前さん請負人レンジャーといっても、モグリだろう? 資格がないのなら、私がギルドに手配書を確認してこよう」

 それに、彼の手配書が出回っているとも限らない。

「そうしてくれると助かる」

 しかしもう夜になる。私たちは野宿をする場所を探さなければならなかった。手ごろな廃屋があればそこで夜風をしのげるのだが。

「なあ、あんた……。」

 村を探索していると、私たちに声をかける者がいた。ふりむくと、オークの男が三人、友好的ではない雰囲気で立っていた。ロッキードと同い年くらいの男が一人、後のふたりはそれよりも少し若いようだった。もちろん私より大きいし、ロッキードよりも上背があった。

「あんた、ロッキード・バルカかい?」と、一番若いオークが言った。

「……そうだ。何か用か?」

 若いオークは荒々しく鼻で笑った。

「用だと? そりゃあこっちの台詞だぜ。あんたこそ、この村に何の用があってきたんだ?」

「古い知人に会いに来たんだ。もう帰るところだ」

「ああそうかい、とっとと失せな。ここはテメェのいて良い場所じゃねぇ、それどころかこの国のどこにもテメェの居場所なんかねぇよ」

「そうか」

 ロッキードは私の肩に手を置くと、率先してその場から去ろうとした。

「俺たちはよぉ」

 声がかけられたので、ロッキードと私は振り返った。

「俺たちはよ、オメェを許しちゃあいねぇんだぜ」

「……俺が居残っても同じことだった」

「俺たちは、オメェがオークの誇りを捨てたことが許せねぇんだよ」

「……その誇りとやらがいったい何になった?」

「んだと?」

「その誇りの為に、いったいどれほどの命が奪われ、土地が燃えたと思ってる?」

「誇りが失われるくらいなら、この世界が終わっても惜しくはなかったぜ」

「オークでも、ろくに戦場も知らん若い奴となると、口だけが達者になるんだな」

 若いオークの口が歪んだ。力み過ぎて、自分の牙をへし折るのではないかというくらいに歯を食いしばっていた。実際、私の猫耳は、彼の牙がごりりと音を立てるのを聞いていた。

 しかし、そんな挑発でもこの怪物に挑ませるには不十分だった。誰ひとり、そこから前に出ようとはしなかった。言葉などいらない。強大すぎる者は、立ちはだかるだけで相手に悲劇を想像させるものだ。

 ロッキードは誰もその場から動かないことを知ると、鼻笑いともつかぬため息をついて踵を返した。

 だが、その口が達者な若い奴は、いささか戦士としての経験が足りなかった。

「オークの誇りを捨てて、あんな猫耳に手を出すようになったとはな。ああはなりたくないもんだぜ」

 ロッキードは振り返った。今度は私がロッキードの肩に手を置いたが、“アンチェイン”にとっては、そんな拘束などクモの糸程度のものだった。ゆっくりとした足取りだったにもかかわらず、いつの間にかロッキードは若者の前に立っていた。あたかも、彼が歩を進めるあいだ時間が止まっていたかのように。

 前に立つと、改めてロッキードの異形さが浮きだっていた。他のオークに比べ腕は倍以上太く、体の厚みときたら、ロッキードの中に彼らふたりがすっぽりと収まってしまいそうなほどだった。

「な、なんだよ……。」

「彼女に詫びろ」

「は? 何言ってんだ? どうして俺が……。」

「質問は受けつけん。お前にはその権利も選択肢もない。詫びろ」

 三人がかりなら何とかなる。たとえ自分がやられようとも、他のふたりが助力してくれる。そんな甘い期待をそいつは抱いていたのだろう。だがロッキードが正面に立ち、ひとこと言い聞かせるだけでその期待は打ち砕れていた。

 先ほどまであった、若気の至りから来る威勢は、今ではすっかり失われ、その若者は父親に叱られた後、母親に慰めを求める幼子のようなか弱い表情を浮かべ、連れの年長者を見た。年長者はが目でその若者を諫めると、若者は「わ、悪かったよ……。」と、それこそ少年のように口をとがらせて私に謝罪した。

 ロッキードは私に向き直り、小さく「行くぞ」とだけ告げた。私もまた、言葉少なな父親に従う子供の様に、彼の後について行った。

 しばらく歩いてロッキードは言った。

「俺が反乱軍に参加しなかったことを、まだ根に持ってる奴らがいる。くだらん、国は背負うものかもしれんがすがるものではない。器が砕けたのなら、中身は黙ってぶちまけられていればいいんだ」

 代りが見つからないほどに大きなものを喪失した時、ある者はそれ認めようとせず抵抗し、ある者は喪失の苦痛から忘却で逃れようとする。終戦から三十年近くが経つが、未だにその喪失をやり過ごすやり方を知らないのだ。あの男たちもこのロッキードも。留まるところを知らない酒の量はそのためなのかもしれない。

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