第五章 Seems Like Old Times

老兵

 海辺の町から三日をかけて私たちは次の目的地に着いた。故郷からはさらに遠ざかっている。やはりロッキードはすぐに帰るつもりはないらしい。

 そこはオークの村だった。ひとりだけ異種族の私は、とたんに体が小さくなっていた。異種族のコニュニティーに行くのはこれが初めてではなかったが、オークの集団に身を投じると、巨木の森の中にぽつんと生えた苗木のように、より自分が小さく感じられる。建物も他の種族に比べるとはるかに大きく、道端にあるのは牛車だった。馬では彼らの体重を支えきれないので無理はない。道中で購入したロバも、ロッキードを乗せることができないので荷物運びにしかなっていない。私の為に購入したのかもしれないが、そういう気の使われ方は好きではないので、私もロッキードと同じように歩いていた。

 こうして他のオークと比べると、改めてロッキードの背がそこまで高い方ではないことが分かる。しかし、それでも馬鹿げた横幅によって彼は際立っていた。まるで、彼だけがオークの亜種のようだった。

 ロッキードと一緒とはいえ、異種族の来訪が珍しいのかもしれない。村の住人たちは私たちを珍しそうに見ていた。いや、理由はそれだけではないのかもしれない。一部がロッキードを見ると顔をしかめ、どこかに去っていく。

 ロッキードは今回は誰に訊くでもなくすぐに目的の家までたどり着いた。

 他の村に比べて土地が大きい石造りの家だった。しかし、家は寂れていた。の権力者の住まいといった様子がうかがえた。

 ロッキードは玄関の前に立った。私が叩いても物音を立てられるかどうか心配になるほどの分厚い木製の扉だったが、ロッキードの手もまた分厚かった。彼が扉を叩くと太鼓のような音が響いた。

「……どなた?」

 中からオークの女が出てきた。後ろで束ねられた腰まである、ウェーブのかかったオリーブ色の髪はさながら綱のようだった。オークは女でも毛髪が頑丈そうだ。女の年齢は分からないが、声の感じとたたずまいからして年配といったところだろう。オークらしく、下唇から伸びている二本の牙がやや黄色く変色している。麻布のローブで下半身を隠していたが、上半身は胸部だけを隠し、後は露出していた。身長は私の頭一つ分高い。しかし、これでもオークの女の中では小柄といったところか。

「……あら」

 女はロッキードに気づいたようだった。ロッキードも無言でお辞儀をする。

「……突然の来訪、申し訳ありません」

 ロッキードは言った。しかし、女は無表情でそれに答えた。

「……しばらくお待ちください」

 そう言って女は家の奥に消えていった。それからしばらくして、女が戻ってきた。

「……ついてきてください」

 女は家の中に私たちを案内せずに、玄関から出ると家を迂回した。女に連れられた先は、庭にあるだった。石造りの母屋と違い、その離れは木造だった。

 女は離れの前に立つと、「あなた……。」小さく言った。“あなた”という短い言葉すら口に出したくないようだった。

「……入ってくれ」と、離れの中から声がした。

 女は小さく会釈をすると、何も言わずに去っていった。

「どうぞおかまいなく」とロッキードが去っていく女に言った。女は何も言わなかったが、その背中が「あたりまえだ」と言っているようだった。

「……入るぞ」

 ロッキードが入っていった。私はここで待つと言った。

「かまわんさ」中から声がした。「客人を外で待たせるわけにはいかん。この寒空だ。それに、家内はお前の連れでも家には入れんだろう」

 ロッキードが私を見た。私はうなずいてロッキードと一緒に離れに入っていった。

 狭い室内だった。オークでなくても狭さを感じるほどの。その室内の真ん中のベッドに、老齢のオークが横たわっていた。顔の傷が歴戦の勇者だということを物語っていたが、毛布から出ている腕は、かつてはたくましかったのだろうが、今では張りを失い、脂肪と区別がつかないくらいだらしなくたるんでいた。その姿は、物置に放置された血で錆びた刀剣を思わせた。

 ロッキードを見るなり、オークの男は自分の姿を示して笑った。

「このざまだ」

「……元気そうだな、とは言えんようだ」

「まあな……もう飲んでるのか?」

 ロッキードは肩をすくめて小さく笑った。

「退屈な旅なんでな、飲まなければやってられない」

 オークは呆れて小さく首を振った。

 オークは首をもたげ、ロッキードの後ろにいる私を見た。

「こいつは、今回の旅で世話になってる女だ。女だしオークでもないが、たいそう腕が立つぞ」

 評価されても私は嬉しくはなかった。彼の前では失態をさらしているのだから。

「ほぉ、そうか……。」

 ロッキードは私に言った。「こいつはレイセオン、戦時中は俺の上官だった男だ」

 紹介されるとレイセオンは小さく笑った。病人らしい、不健康な笑いだった。

「“ロッキード・バルカの元上官”、それが俺の唯一誇れる肩書といったところだな」

 笑い終わると、レイセオンは首を上げて部屋を見渡した。

「……すまんな、座るものもなくて」

「気にするな、突然来たんだ、奥方を煩わせるわけにもいかないだろう」

 ロッキードは気にするなと言ったが、それでもオークは不満げだった。

「病気なのか?」ロッキードは訊ねた。

「そんなかっこいいもんじゃないさ、じゅみょーだ」

 それを聞いたロッキードの顔が困惑していた。感染うつる病気でもないのに、なぜ隔離しているのかが不可解なのだろう。

「じゃあなぜこんなところで家族と離されてるんだ? しかもこんな……。」

 言いたいことは分るが、さすがに無神経なこの男といえど、よその家の建物を悪く言うのははばかれたようだ。

「仕方ないだろう、俺は家族に疎まれてる」

「まさか、冗談だろ」ロッキードは首を振って笑った。「お前ほどの男が疎まれるなんて事、あるわけが……。」

「やめてくれ、分かってるんだ。俺は長年家族に迷惑ばかりを掛けてきた。俺の家を見ただろう? みすぼらしいもんさ。中はもっとひどい。家財道具なんてほとんど売っぱらっちまったんだからな。もともと良家の女だった女房に針仕事もさせた。俺のせいで苦労させて惨めな思いをさせたんだ」

「……お前にはお前の理由があった」

「俺だけのな。……ロッキード、俺の生涯はあの時終わってたんだ。残りの人生は惰性だったんだよ……。」

「……すまない」

「あやまってくれるな。お前が俺のやることに興味がない事くらい、最初から分かってたさ。お前が興味あるのは自分の強さだけだったからな。実際に強かった、馬鹿げたくらいにな。そんなお前を、俺や他の奴らが祭り上げたんだ。理想のオーク、大義をなす戦士だと。だが、お前にとってそれは後づけだった。ただ強くあろうとした結果、そう言われただけなのにな……。」

「……。」

「そんなお前にとって、黒王軍の再興など興味もそそられなかったろう。いいんだ。そんな男だからこそ、周りはお前に惹かれたんだからな。結果として、俺は現実を見ようとしない仲間と方々を走り回って……金と時間を無駄に失った。俺がただただ愚かだったんだ。むしろ唯一良かったと思えるのが、お前を巻き込まなかったことくらいだ」

 転生者戦争は正式には“一夜の女王”イングニットの降伏宣言で終わったとされているが、それ以降も同盟国の一部は抵抗を続けていた。しかし、結束力だけが取り柄だった黒王同盟が結束力それを失ったという事は、城がほりを失ったと同義だった。加えて転生者側は、何世代も前に黒王領内に移住し、名目上は国民とされていたものの、長年差別の対象とされていた、人間をはじめとする一部種族たちを支援し蜂起させることで黒王同盟内部の瓦解を促し、結果として敗戦した黒王同盟は、その死体を解体させられるがごとく、徹底した政略により二度と国を立て直すことが不可能な状態になっていた。抵抗はささやかなそよ風でしかなく、そよ風は時間とともに凪となり、やがて木の葉を揺らすこともなくなっていったのだ。

「……そうだ、土産があるんだった」ロッキードは言った。「しかし、奥方に断られてしまってな」

 レイセオンは仕方のない奴だ、と笑うと「こっちへ直接持ってくると良い」と言った。

 私が行くと言う前に、ロッキードが「結構デカいんでな、俺が行ってくる」と言って椅子から立ち上がった。

 結局、私は老オークとしばらく部屋に残されることになった。

 私は所在なく虚空を見ていた。私の事はいないものだと思ってくれという意思表示だった。だが、視界の隅には老人の視線を感じていた。

「……ドリスに似ている」とレイセオンは言った。

「……誰にです?」私は訊いた。

「奴の娘だ。聞いていないか?」

「いいえ……。」

「そうか……。」

「けれど私に似ているという事は、その娘はきっとかなりの美人なのでしょう」

 レイセオンは目を見開くと、せき込むようにして笑い声をあげた。せき込むような笑いだったが、途中から本当に激しくせき込み始めてしまった。

「大丈夫です?」

 レイセオンは手を振りながら、大事ないと意思表示する。

「ふ、ふふ、そういうところも似ている」

「……そうですか」

「似ていると言っても、たたずまいだ。さすがに、オークに似ている異種族など、そうそういない」

「だと思います」

「経緯は知らんが、きっとお前を連れているのは、そういう理由があるんだろうな」

 そういうも何も、奴の首を狙っている。

「その娘は今……。」

 私が言いかけた時に、ロッキードが入ってきた。

「またせたな」

 ロッキードの肩には大樽おおだるが抱えられていた。その大樽をロッキードは遠慮なく床に放るものだから、床板は裂けるのではないかというくらいに危なっかしい音を立ててきしんでいた。

「なんだこれは?」とレイセオンは言った。

「もちろん酒だ」

 こんな老人の、こんな狭い部屋に酒樽なんておいてどうするのか。相手が老人だと分かっていたのなら、私もさすがに口出ししたのだが。

「この量を……。」レイセオンは言った。

「そうだ」ロッキードは言った。

「……少ないな」

「え?」私は思わず老人を見た。

「すまん」

「日が暮れる前に飲みほしてしまうぞ」レイセオンは首を振った。

「まったくだ。……クロウ、すまないが杯をもらってきてくれ。さすがに杯まで貸してくれないなんてことはないだろう」

「……分かったよ」

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