第四章 Things Have Changed

残された女たち

「もうそろそろだな」

 ロッキードと次に訪れたのは海沿いの町だった。港町というわけではなかった。というのも、町が面している海は、断崖絶壁になっていたので船をつけることができそうになかったからだ。さらに、海風のせいでおおよそ生活するには不便だった。夏は暑く、冬は寒い。鉄などは潮風で容易に錆びてしまうだろう。木造の建物は湿気で重みを増し、不機嫌に体を傾けていた。風が吹くたびに、建物のきしむ音が聞こえてきそうだった。

 ロッキードは革袋を絞り出すようにして葡萄酒を飲んでいた。これで二袋目だった。自分にとってはミルクみたいなものだとは言っていたが、それにしても飲み過ぎだ。

「ずいぶん辺ぴなところだな」私は言った。「ここにお前さんの友人が?」

「……ああ。大丈夫か?」

「正直なところ、そろそろ休みたいんだがね」

 私たちは日が昇ってすぐに出発し、陽がわずかに傾きかけるまで歩き続けていた。こいつらオークときたら、馬や馬車に乗る習慣があまりないせいか、平気で一日中休むことなく歩き続けることができるらしい。ただ歩くだけでも十分な鍛錬ができるのだろう。それがオークという種族が最強と目される所以ゆえんなのかもしれない。しかし、こちとら弱い乙女だ。酷使した私の足は熱をもっていた。ブーツを脱ぐのにも一苦労しそうだ。

「そうか、俺は住人にアイツのことを聞き込んでくる。お前はあの木陰で休んでおくといい」

「そうさせてもらうよ」

 私は木に背を預けるとブーツを脱いだ。怪我はしていなかったが、足が赤くほてっている。多分、ロッキードなら私が歩けないと言えば休んだだろうが私はそうしなかった。唇を舐めると強い潮の味がした。けっこう前から潮風に身をさらしていたらしい。

 ここにいるのはみな魔族フェーンドだったので、ロッキードの聞き込みを恐れる者はいなかった。順調に聞き込みを終え、ロッキードは数軒回ると私の元に戻ってきた。

「分かったぞ」

「そうか」

 ロッキードは私の隣に尻をついて座った。ロッキードが木に体を預けると、木の幹がみしりと音を立てた。うっかり倒しかねない。

 私は立ち上がった。

「……どうした?」ロッキードが言った。

「行くんだろ? 友人のところに」

「しかし……。」

「私なら大丈夫だ」

「……そうか」

 ロッキードも立ち上がった。古傷のある傷が痛むらしく、木に体を預けながら立ち上がると、木はいよいよ音を立てて枝を揺らした。私は立ち上がるのに難儀していたロッキードではなく、揺れる木を見ていた。

「……その友人はどんな男だったんだい?」

「……故郷に婚約者を残してきたらしい」

「……そうか」

 そうか、それならば、これから会うのはその婚約者という事になる。

「いつも故郷と婚約者の話をしていてな。行軍の時にはその女を想ってか、時おり思い出し笑いをしていたもんさ。それが独り身ばかりの部隊だったもんで気に入らなくて、よく頭を小突かれていたな。若造が調子乗って腑抜ふぬけるなと、ここは戦場なんだとな。それでもそれが図星と言わんばかりににやつくんだ。まったく、兵士らしくないふざけた奴だったよ」

 ロッキードは腹立たしいように言っていたが、彼の顔もにやついていた。まるでその若者が帰還し、婚約者と抱き合うのをみんなで揶揄からかえるのを心待ちにしていたような、そんな笑顔だった。きっと用意していたのだろう、婚約者に彼がどれほど戦場で不始末をやらかして、周りに迷惑をかけたかという、不器用な男たちの祝福がわりの嘲笑を。

 しかし、あれから三十年近く経つ。例え彼ら魔族が長寿だとしても、その想いがいつまでも変わらず続いているなどという事があるだろうか。

 ロッキードが教えられた家まで行くと、そこは町の中でもひときわボロボロの一軒家だった。家の一部は傾いているどころか、すでに倒壊していた。

「……ここか?」私は言った。

 ロッキードは何も答えずに、陰った瞳で建物を見ていた。まるで崩壊した建物が、ここが夢の残骸なのだと彼に思わせているかのようだった。

「……出直すかね」私は言った。

 ロッキードはやはり何も答えずに、しかし前に進み出た。

「……おじちゃんたち」

 と、子供の声が背後から聞こえた。私たちは振り返った。そこにいたのは年端もいかない魔族の子供だった。薄い黄色の頭髪の巻き毛、その頭から伸びている二対の山羊のような角、顔は鼻から口にかけてやや出っ張っている。

「……うちに何か用?」

 ロッキードは子供の前に行くと、体をかがめて目線を対等にした。とはいえ、それでも子供の倍くらいの大きさだったが。

「ここは、メリッサのウチかい?」

「……うん。メリッサはぼくのお母さんだよ。おじちゃんたち、お母さんに何か用なの?」

「……そうさ、の古い知り合いなんだ」

「そうなんだ。……でも、今は入れないよ」

 ロッキードは建物をふり返った。

「どうしてだい?」

「お母さんがしばらく入るなって。おじちゃんが来てるときは、おじちゃんが帰るまで家に入っちゃいけないんだ」

 子供はいつもだよ、と言った。

「……そうか。その……おじちゃんというのは、坊やのお父さんじゃないのかい?」

「ううん。お父さんはどっか行っちゃった」

「……そうか」

 私たちは顔を見合わせた。

「じゃあ、少し待たせてもらおう」

「でも、けっこう時間かかるよ。さっき入ったばかりだから」

「……そうか」

 ロッキードは、ありがとう坊主と言って子供の頭をデカい手で撫でまわした。

「そうだ坊主、これをやろう」

 ロッキードは鞄からリンゴを取り出した。

「ほれ、母ちゃんを待ってる間にこれでも食べておけ」

「ダメだよ」と子供は言った。

「どうしてだ?」

「お母さんが、知らない人から物をもらったらいけないって」

「……そうか」ロッキードは腰を折って、子供の体くらいはあろう大きな顔を子供に近づけた。「俺の名前はロッキード・バルカだ。坊主、お前の名は?」

「……ビーター」

「ピーターだな。よし、これでもう俺たちは知らない者同士じゃあない」

 そういって、ロッキードは「ほれ」と再びリンゴを差し出した。子供はありがとう、と言ってそれを受け取った。

「……どうする?」私は言った。

「……聞いて回る時に、雑貨屋があった。食料を買い足しておこう」

「……そうだな。もちろんそれは……。」

「お前の貸しだ」

「分かったよ」

 私とロッキードは町中に引き返した。そこで、彼が見つけたという雑貨屋に足を運んだ。民家の門前をくり抜いたような建物で雑貨屋を営んでいる店だった。店主も魔族で、額の真ん中からは小さな一本の角が伸びていた。

「……アンタたち、旅人かい」

 食料を包みながら店主が訊ねてきた。

「……ああ」

「こんな辺ぴなところでねぇ。……ほれよ」

「ありがとう」私は紙袋を受け取った。

 確かに、辺ぴだった。辺ぴ過ぎて店の品ぞろえも辺ぴだった。酒と魚の干物しかなかった。

「よぉ、とっつぁん」

 そこへ、町の青年がやってきた。

「おお、ブレイ。今日はいつもの連れはどうした?」

「あいつか?」青年は鼻で笑った。「あいつはな、いつもの外れに住んでるオバハンの所に行ってるよ」

「またかい? あいつらデキてんのか?」

「まさか」青年の吹き出して笑った。「酒を持ってって適当な話につきあってやったら、簡単に股をおっぴろげるからな。娼婦を買うより安上がりなんだよ。つきあう気なんてないさ、あんなオバハン。もっとも、向こうはどう思ってるか知らんがね」

「ほどほどにしとけよ。確か婚約者がいたはずだ。知られたらだぞ」

「戦争に行った愛しのフィアンセってやつか? おいおい、冗談はよしてくれよ、いい加減戦争終わって何十年経つと思ってんだよ? 憐れなもんだぜ、戦争に行った男が、金持って帰ってくるなんてまぁだ本気で信じて吹聴してやがんだ。んでもって、そうやって捕らぬ狸の皮算用をちらつかせれば男が寄ってくると思ってやがる。まぁ、最初の方は寄ってくる男もいたけどよ、もう無理だろ?」

「はは……見てて痛々しいもんだね」

「まったくだぜ……おぉ」

 振り向いた青年の前にはロッキードが立ちはだかっていた。逆光のロッキードがどんな表情をしているか私からは分からなかった。しかし、青年が息をのむほどの表情らしかった。

「な……なんだよ」

 ロッキードは何も言わなかった。ただ背中が膨らんでいた。私がそいつだったら間合いを空けている。

「……ロッキード」私は言った。

 ロッキードは無言で踵を返した。

「なんだよ……おっかねぇな」

「……行こう」

 私はうながした。ロッキードは私のあとについてきた。 

 私たちは婚約者の家に戻るまで一言も話さなかった。話せばその言葉がの終わりを告げそうだった。

 崖から見える大海原、太陽が水平線に近づいていた。陽の光までが、私たちに語りかけそうだった。すべてが終わっているのだと。

 私たちが戻ると、少年はまだ家の前の木の下にいた。虚ろな顔をしていた少年は、私たちを一瞥いちべつしてまた虚ろな顔で木の枝を見始めた。手遊びすらやりつくしたという顔だった。まだか、などと言う必要はなかった。

 私はロッキードを見た。表情は読めなかった。きっとロッキードは金を婚約者に渡すのだろう。忘れ去られた約束であっても、果たされる機会を待っているのだから。

「ホントだってば~、もう少ししたらアイツが帰ってくるんだから~」

 私の猫耳が、家から聞こえてきた声に反応した。

「もう聞き飽きたよ」

「ホントなの~。そうしたら、アンタと一緒に暮らしてけるだけの金がさぁ~」

 ロッキードも家からの声が聞こえたらしく、家の扉を見た。

「おいおい、そいつが帰って来たなら、お前、そいつと暮らすんじゃないのかよ」

「冗談じゃないわよ~、散々待たせた男の事なんかさ~、金もらったらとっとと追い出してやるわぁ」

 扉が開くと、中から男と女が出てきた。女は中年で、オリーブ色のウェーブのかかった頭髪の側面からは、ヒツジのような巻いた角が生えていた。外に出てきたというのに、下着シュミーズ姿だった。ここまで色気が失われた下着姿もそうそうお目にはかかれない。下着というより、脱皮しかけているトカゲの皮膚のようだった。

 女は男の腕にすがりついていたが、私たちの姿を見て取ると男の腕から手を離した。

「……あら、アンタたち何よ?」

「お母さんのお客さんだよ」と、私たちの後ろにいた少年が言った。

「客ぅ?」嫌悪で陰った瞳で女は私たちを見た。「……誰だい、あたしはアンタらなんかに見覚えがないけど? 特に、アンタみたいなデカブツなら忘れようもないところだけどさ」

 ロッキードは前に進み出た。巨体に迫られたせいで女はたじろぎ、そんな女を間男まおとこはかばおうとするそぶりも見せなかった。

「な、なにさ……。」

 ロッキードはひざまずき、両手を組み合わせ頭の前に掲げた。

「……スツーカの想いを伝えに来ました」

「……スツーカ……ですって?」

 ロッキードは肩から降ろした荷物袋から小袋を取り出した。

「奴が生前、貴女の為に貯めていたものです。奴は最後まで貴女との新しい平和な日々を夢見ていました。最後の最後、今際いまわの際まで貴女との明日を……。」

「……。」

「約束を果たせず、申し訳ありませんでした。そして、今日の今日までこのことをお伝えすることができなかったことも……。」

 ロッキードはより小さく体を縮めた。尊大すぎる男の不器用な謝罪は、哀しく歪だった。

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