約束のかけら

「……人違いよ、おにいさん」

 私とロッキードは、女に連れられて海辺まで来ていた。陽は大海原を山吹色に染め、海風が重みをもった寒さを運んでいた。

「……確かにね、昔この町にはメリッサって名前のがいたわ」

 女の顔も山吹色に染まっていた。太陽の色をした彼女の顔は、昔日の面影を、それを見たことのない私にさえ垣間見せた。

「……とっても素敵なふたりでね」女は目を細めて笑った。自嘲にしては暖かい笑いだった。「あたし、いつも妬いてたっけ……。」

 女は海風で乱れた髪をかき上げた。

「人違いなのよ。……だってそうじゃない、そんなあのが、こんな惨めな姿であんな馬鹿な男にうつつを抜かしてるわけがないわ。……あのはね? 今もどこかで待ち続けてるの、彼の帰りを。この世界のどこかで」

 女は「きっとそうよ」と言って、顔を手で覆った。


 女は去った。私たちは海沿いに残された。陽は水平線に半分沈んでいた。

「……彼とはどんな約束をしてたんだ?」

「……俺とは約束を交わしてない」

「……なに?」

「行軍の途中、あいつは両足を付け根から吹っ飛ばされたんだ。なぜか平原を歩いていたら足元が爆発してな。……後から転生者軍がそういう爆弾を地面に埋めてたことを聞いた」

「……。」

「戦場に放置するのも気の毒だったからな、俺が途中まであいつを背負って歩いていたんだ。足が根元からなくなってるんで、止血などしようがなかった。俺の背中であいつは少しづつ死んでいったよ、か細く震えながらな。あいつ、うわごとのように繰り返すんだ、故郷の事を。故郷の家を、故郷のこの海辺の光景を……。最後にあいつ、俺の背中で呟いてな、“ただいまメリッサ”とな。……あいつは帰ったのさ、婚約者との約束を守って。だったら残された想いも返さないと……。」

「……そうだな」

 陽は、あと数分で消えてしまうほどに海に沈んでいた。

 ロッキードは荷物袋から小袋を取り出した。

「……借りていた金を──」

「私のものじゃない」

「……。」

「私が受け取るべきものじゃあね……。」

「……そうか」

 ロッキードは小袋から金貨を取り出した。そしてそれを大きな手でわしづかみにすると、大きく振りかぶって海に投げた。金貨は、光をまたたかせながら山吹色の海に飲み込まれていった。夢の名残りの、小さな火花だった。海はすぐに闇色に染まった。

 私たちは妙におかしい気持ちになって、消えていく金貨を見ながらほんの少し笑っていた。私たちが笑い終わるころ、太陽は海に完全に沈んだ。


 きっと、果たされないことで成就する約束もあるのだろう。世界のどこかに眠るべき約束というものも。




「……馬鹿げてるわね」

「私もそう思うよ」

 私たちの座っているテーブルを、給仕の青年が拭いていた。そのついでに飲み物のオーダーを訊ねられたので、私は酒のおかわりを頼んだ。女は「けっこうよ」と言った。

「……馬鹿げてるわ。戦争に行って、そして何十年も帰ってこないような男を想い続ける女がいるだとか、そんな甘い期待を抱き続けているなんて」

「そうだね」

「それに、彼女にだって彼女の人生があったはずよ。そんないい加減な約束で彼女の人生を縛ろうとするのは間違ってるわ」

「まったくだ」

「……本当にそう思ってるの?」

「ああ、どうしてだい?」

「何だか、貴女その割には……まるで良かった思い出を懐かしむような話し方してるわ」

「あるいはそういう感情もあるかもしれないね」

「……。」

「夕べまで正しかったことが、翌朝には間違いになる。世の中、往々にしてそういうものだよマダム」

「違うわ」

「そうかね」

「元々間違っていたことなのよ。それがようやく間違ってると言える世の中になったの」

「それもあるかもしれないね」

「そうに決まってるわ」

「決まっているかもしれない」

「……捉えどころのない言い回しをするのね」

「私の通り名を知ってるだろう? ファントムは捉らえどころのないものだ。言っておくが、諸国を回った私からすれば、世の中には捉えどころのないものばかりだったよ。名前のついたものの間に転がっている、名前のつけられない出来事や想いがね。そして世の中には、誰かがそんなものの為にやらなければならないことがあるんだ。誰かが寄り添ってやらなければならないものがね。それは人であったり、些細な感情であるかもしれない。確かにねマダム、結果は愚かしいものだったよ。けれど、もし彼女が夢の残骸に埋もれていたのなら、誰かがそこから手を刺し伸ばさなければならなかったんだ。彼女がしたたかに生きていけていたなら、別にそれでもいい。約束を守ろうとした側がただ愚かだったというだけの事さ。その時は軽い鼻笑いでも捧げてやればいいんだから。もし逆なら儲けもんじゃないか」

「……それがいったい何になるというの?」

「……この世界に生きる価値があると信じられる」

 女は小さく笑った。

「赤の他人の為にたいした使命感ね、請負人レンジャーというのは騎士気取りの奴らの事を言うのかしら?」

「人のためじゃない、自分のためだ。自分にとって、この世界が価値があると信じるための。……美しい花を見た時に、お前さんはそれを摘んで部屋に飾ろうと思うか?」

「とても美しいのなら、あるいは」

「だがね、花がその場所に咲いているのが一番美しいことを知っていたなら、わざわざ摘み取る必要なんかはないと思う奴だっている。ロッキードはそういう奴だった。やがて季節がめぐれば花が咲くという事実を知っているだけで、それだけで満足できる奴だったんだよ。これは世界の、人ので方の違いだ」

「……鼻につく例えね」

 店主の叱咤しったが飛んだ。奉公人の青年が同じ所ばかりを掃除しているからだった。


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