宴会と謝罪
しかしそんな賑わいだというのに、ロッキードには誰も寄り付こうとはしなかった。溝という言葉が比喩にならないほど、ロッキードの周りにははっきりと目に見える溝があり、そして村人たちは注意深くその溝を避けているようだった。
私はというと、ただのロッキードの連れだったので、壁の花よろしく部屋の隅で喧騒を一人眺めていた。数人の男が私に声をかけてきたが、冷たくあしらうといよいよ私には誰にも話しかけてこなくなった。口説かれて不機嫌になったのではない。不機嫌を見せつけたかったのだ。今の私には、感情のままにふるまう事が必要だった。
「……あの」
私に村の女が話しかけてきた。酒の入った瓶を手に抱えた中年の女は何かを頼みたいようだった。
「何だい?」
私がうっかりその女にも険のある声で答えてしまったせいで、女はピクリと体を強張らせた。
私は自己嫌悪混じりの声で、手にしていた杯を上げて言った。
「……酒は足りてる」
「えっと、その……。」女はしどろもどろしながら、ロッキードを見ていた。
「……分かったよ」
私は女から酒瓶を受け取ると、ロッキードのそばに行った。
「……おお、すまないな」
ロッキードは杯を上げ、私はその杯に酒を注いだ。そんな私を、村の男たちが興味深そうに見ていた。
「……なぜそんなに機嫌が悪いんだ?」と、ロッキードが訊ねる。
「機嫌よく酌をしてたら情婦みたいだろ」
ロッキードは笑っていたが、私の機嫌の意味を知って口調を改めた。
「……そう
「それで侮辱されてもか? アンチェインの通り名を教えたのはお前さんだろう? 戦場で轟かせた名前を、こんな小銭稼ぎに利用するなんて。お前さんは、頭を殴られるために頭を下げたんだ、信じられんね」
「たかが名前だ、それで金を産むなら儲けものだろうが。それに侮辱されたんじゃあない、侮辱させてやったんだ。頭を殴られるために頭を下げる、けっこう、俺はそれを誇りに思うがね」ロッキードは私の肩を分厚いの手ひらで叩いた。「言ってるだろう、もっと大きく構えろと。小言は女房だけで充分だ」
「……結婚してるのか?」
「……まあな」ロッキードは目をそらして酒を飲んだ。
そこへ、一座の若者が恐縮しながらロッキードの隣に座ってきた。まだ十代も前半で、焦げ茶色の長髪が新芽のように柔らかそうだった。
「……お疲れさまでした」と、変声期を迎えたばかりの声をうまくコントロールできない声色で青年は言った。
「おぅ……。」若者を見る私に気づいたロッキードが言う。「こいつはな、舞台裏で俺の世話をしてくれたんだ。試合の段取りもこいつに世話になってな。中々見込みのある若造だぞ」
青年は頭を小さく何度も下げながら、ロッキードを見ていた。赤みを帯びた青年の瞳には、羨望の眼差しがあった。純粋な闘争の塊のような男だ。恐怖する者もいれば、この青年のように憧れを抱く男もいる。
「あの……。」青年は言った。「実はお願いがあるんですけど……。」
「もう座長にも言ってあるが、お前たちと仕事をするのは今回きりだ。俺にもやることがあるんでな」
なるほど、今日の試合の盛り上がりっぷりを見れば、彼をスカウトしようと思うのは座長として当然のことだ。
「いえ……そうじゃあなくて……。」
「……なんだ?」
「この興行が終わったら、ぼくをお供にしていただけませんか? ぼく、
カーブを描いていたロッキードの口角が真横に伸びた。
「座長は、ぼくにもゆくゆくはカーニバルレスリングをやるようにって考えてるみたいなんですけど……。」
「いいじゃないか、きっと向いてる」そう言って、ロッキードは青年の肩をつかんだ。確かに、まだ成長過程だが、青年の体はこのまま筋骨が成長すれば並みの男よりは大きくはなりそうだ。骨のフレームががっしりしているし、手足が年齢に比べて大きい。生来の素質が、あるべき姿への成長を待っているようだ。
「けど、ぼく、今日あなたのお世話をしてて思ったんです。自分も本物の戦いができる男になりたいって」
「……今日の戦いは本物じゃなかったか?」
「だって、今日のあれは、最初から勝ち負けが決まって……。」
「本当に危険に身をさらし、本気で観客を喜ばせなければならない、あれも十分に本当の戦いだ」
「……けど、あなたは本当の生死のやり取りの中で生きてきた。あなたを見ればわかります。そうだった者と、そうじゃないものの違いが。それに、この目でもっと見たいんです。その武名がぼくらの世代にも聞こえているロッキードという男の姿を」
「おだてても、首は縦に動かんぞ」
「お願いします自分がどこまでやれるのか、試してみたいんです」
「……いいじゃないか」私は言った。「別にやりたいようにやらせてやれば。もしこのデカブツが反対するなら、坊やは自分で勝手にレンジャーになってしまえばいい」
「おい、口をはさむな」
「一度しかない人生だ。それで思うようにやって、ダメならそれでいいだろ。本人も納得がいくってもんだ」
「クロウ、それは自分が一人で生きてると思ってる奴の言葉だ」
「そうだよ、誰しも死ぬときは結局ひとりさ。だったら、思うようにやればいい」
「あきれた奴だな、いったいどういう教えを親に受けてきたんだ?」
「そうだね、“お前さえ生まれなければ”と事あるごとに言われたもんさ」
「……ふん」ロッキードは面白くなさそうに杯を口に運んだ。私と青年はそんなロッキードの次の言葉を待った。
「……話をしよう。お前がその話を聞いて、まだ俺についていきたいと思うかどうか。……戦時中の話だ、聞きたいか?」
「はいっ」
「……そうか」
ロッキードは杯を私の方に差し出した。
「その左手は飾りかい?」私は言った。
ロッキードは自分で酌をした。
青年は言った。「戦場の兵士たちは、他では築けない絆で結ばれるというのは本当ですか?」
「……そうだな、戦場では兵士たちじゃなく、兵士に飼われてる犬っころにだって絆があった」
「へえ……。」
「部隊にダンという男がいてな、そいつは斥候をやっていたんだが、そのために軍用犬を連れていた。犬の鼻で敵を追ったり、隠れている場所を探し当てたりしてたんだ。……だが、犬もただの道具じゃなく、自分も部隊の一員だという気持ちがあったんだろう、俺たちが夜営で楽しんでいれば鼻を鳴らして寄ってきて、極寒の森の中では自分の体で仲間を温めてくれたりと、お互いの肌を触れ合わせ交流してたもんさ。……サシャという名前だったな。クリーム色の愛らしい奴で、軍用犬には見えなかった。面白くてな、ダンの奴が芸を仕込んでたんだ。後ろ足で立ってぴょんぴょん飛び跳ねるという他愛もないやつなんだが、餌が欲しい時や、部隊の雰囲気が沈んでるときには、それをやって周りを楽しませてくれたもんさ」
ロッキードはうっとりとした目で杯を見ていた。まれに、彼の瞳には
「だが、転生者の軍勢は日に日に戦場を変えていった。俺たちのこれまでの戦いは通用しなくなり、俺たちは奴らからひたすら逃走するばかりになっていった。奴らの空からの攻撃に対しては、犬なんかいても意味がない。それどころか、転生者に攻撃されたら真っ先に鳴き声を上げちまうもんだから、そいつのせいでいつ敵に見つかるか、俺たちは気が気じゃなかった」
「……。」
「……ある日、部隊の誰かが言い始めたんだ。“サシャを始末しよう”と。最初は一部の小心者のたわ言だとほとんどの奴が思っていたよ。だが、本当にサシャが鳴いたせいで敵に見つかったことがあってから、それはたわ言ではなくなった。恐怖は流行り病のように俺たちの中に広がったのさ。もちろん、ダンは最後まで反対した。だが、俺たちはがやってるのは戦争だ。犬のために兵士が死ぬなんてことを誰も受け入れることなんてできなかった……。」
青年は訊ねる。「その……殺すんじゃなくて、部隊から追い払うってことはできなかったんですか?」
「ダンもそう言ったさ。だが、いくら追い払おうとしても、サシャは逃げようとしないんだ。それどころか、どうしてこれまで仲間だった俺たちが怒っているのか、その理由を知ろうとこっちの
ロッキードの杯を持つ手が震えていた。
「殺し合いが、いつの間にか手段ではなく目的になっていた。俺たちは、狂気に肩までどっぷりと
ロッキードは杯を座っていた場所に置いた。
「若造、本物の戦いを知りたいか?」
「……覚悟は、あります。その先にしか見えないものもあるはずです」
「本物の憎しみと、本物の悲しみと、本物の後悔を見たいのか?」
「……。」
「ところでお前、両親は生きてるか?」
「……ぼくが幼い時に亡くなりました。それからここに拾ってもったんです。だから、ぼくが野垂れ死のうと、悲しむ人はいません」
「違う、俺が言ってるのは、お前が自分と同じ境遇の人間を生み出すということだ。路頭に迷い、サーカスに拾われ、そうでなければ盗賊に身をやつす人生を、子供たちに与えることになるんだぞ?」
「それは……。」
「本物の憎しみや悲しみというのはな、お前が憎み悲しむことじゃあない。お前が憎しみや悲しみを作ることなんだ。そしておれはそんな本物をそこらに産み捨ててきた男だぞ? それでもまだ俺についていきたいというのか? もしかしたら、お前の両親を殺したのは俺かもしれんのに」
「……いえ」青年はうつむいて首をふった。「すいません……でした」
そして彼は立ち上がって去っていった。
私は言った。「……まぁ、あの程度の覚悟ならどのみち同じ事だったろうね。……しかし、いたたまれない話だな。きっと最後の最後まで、その犬はお前さんたちの機嫌が直ることを信じてただろうに」
「……嘘に決まってるだろう」
「……なに?」
「戦場ではよく聞く話をアレンジしたんだ。やれ、懐いていた馬を食用にしただの、あそこではそういう話があふれてるからな」
ロッキードは自嘲気味の笑顔で顔をゆがめた。
「……かなわんね」
私はしてやられたと、首を振って杯に口をつけた。私たちの後ろでは、興に乗った座長が故郷の民謡を歌い始めていた。
「……覚悟な」私に視線を合わせずにロッキードは言った。「前にも言ったな、覚悟を決めていると。確かにお前は覚悟を決めてるのかもしれない。目の前の困難に、その覚悟の量で耐え忍んできたのだろう。そしてそこいらの男にも負けないほどの腕を身につけた。お前はそれでいい。だがな、大義を考えてみろ。お前の様になろうと、他の奴らも率先して剣を取るようになったら、最後は老人や子供も剣を取り始めるだろう。そして誰もが剣を持つようになった時、その時に世界がどうなるか、お前に想像できるか?」
「そのために無力であれと?」
「違う、力を手放すのではない。手にする力の問題だ。剣以外の力を手にするために俺たちは日々努力しなければならないんだ。お前はその腕で世の中を肩で風を切って歩いてきたのかもしれない。だがな、もしかしたら肩を張るお前を器用に避けてきた周りの人間の努力だってあるかもしれないんだ。そして振り回された剣は、いつか別の剣にぶつかるものだ」
「剣を持っていた奴が言っても説得力がないな。お前さんは、その剣以外の力を見つけようと、これまでにほんの少しでも努力をしてきたのか? 今夜はアンチェインの名前を利用したのに?」
「それとこれとでは、話が……。」
「勘違いをしないでもらおうか。私だって、率先してこの道を選んだわけじゃない。女子供が剣を取らなければならない必然だって、この世界にはある。最初から何も望まないわけじゃなかったさ。私にだって可愛らしい乙女だった時代だってあった。だが、それだと奪われ続けるだけの人生だったんだ。もし、奪われながらでもお前さんの言う大義を夢見ながら、私と私の友が満足して死ねたのであればそれでもいいがね」
「……そうか」ロッキードは杯を口にして大量に酒を流し込んだ。そして口の中で酒をゆっくりと動かすと、それをごくりと飲み込んだ。「まぁ、それならばいい。確かに、オークの中にも伝説に残っている女の戦士はいた。優れた指導者もな。……俺も少し頭が固くなっていたのかもしれん」
ロッキードはどうやら、これで謝ったつもりらしかった。
「……固くしなければいけない理由だってあるだろう。お前さんは私よりも、人の死に携わってきたんだからね」
私もこれで謝ったつもりだった。
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