アンチェイン・ロッキードVSセス・“ザ・マン”・レインズ
その夜、カーニバルの目玉であるこの催し物を見るために、この村だけではなく、近隣からも多くの観客が詰めかけていた。どう考えても、そんなに大がかりな
会場の中心、六角形に組み立てられた柵の中では、筋肉隆々のドワーフと肥満体の赤毛の男が体をぶつけあっては片方が片方を投げ飛ばしていた。そこまで高度な技の
私の隣で見物している観客のひとりが、連れに囁いた。「おい……オークが出るってほんとかよ? おれ、生で見たことないんだよね」
「今夜の目玉だって、昼からさんざん宣伝してたからな。嘘ってことはないだろう」
なるほど、したたかな座長さんだ。
ドワーフが肥満の男を体当たりで吹き飛ばすと、肥満の男は柵にぶつかり目をくるくる回して気絶した。というより、気絶したふりだ。実際に人間が気絶する時には、あんなに面白いように目が回転するものではない。きっと鏡を見て練習をしたのだろう。ある意味、プロ意識の高いエンターテイナーだといえる。
試合が終わると、座長が満を持したように現れた。熱狂が発狂に変わる寸前の観衆の前で胸を張る。
「皆さん、お待たせしました! ついに本日のメインイベントでございますっ!」
観衆は針でつついたように、内に溜めていた熱を吐き出した。
「さぁさぁお立合いの皆さん、今宵登場いたしまするは、先の大戦において数えきれない同胞を殺害した我々の憎き怨敵、その代名詞たる怪力無双の怪物、あのオークにてございます! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 山のような巨体に耳まで裂けた大きな口、さらにそこからのぞくナイフのような牙! ご婦人ご老人ご注意なされ、ふた目とみられぬこの恐ろしき姿に気を失うかもしれませぬ! 注意一秒怪我一生! 一度始まったらもう会場からは出られませんぞ!」
座長の前口上が終わるや否や、仮設の会場が崩壊するのではないかというくらいの喧騒に城内は包まれた。
「それでは、闘士の入場です! まずは、我が一座の誇るメインイベンター、セス・“ザ・マン”・レインズの入場だぁ!」
入ってきたのは、黒い長髪を油で固め後ろで束ねている、そこそこ上背のある上半身裸の男だった。そこそこの体つきだが、顔はなかなかハンサムだった。役者としても通用するだろう。彼が入場するなり、女たちの黄色い声援が飛びかった。こういった田舎に住んでいたら、あれくらいの男でも興奮してしまうものなのか。しかし、どう考えてもこの男がロッキードと戦えるとは思えない。脂肪が少なく、バランスよく鍛えられた見栄えする体だが、あの盗賊たちと同じように試合開始数秒で首の骨を折られてしまうだろう。もちろん、本当に殺し合いをやったらの話だが。
「続きまして、先の大戦で多くの人間たちを
私の体の血流が激しくなった。あのタヌキじじい、偶然かもしれないが余計な想像力を働かせ過ぎだ。
ロッキードが入場すると、先ほどの声援が打って変わって悲鳴や怒号になった。激しいブーイングの嵐も聞こえる。
ロッキードは冗談なのか本気なのか、唸り声をあげながら肩をいからせ、観客たちににらみを利かせていた。よくやるもんだ。
「皆さん、ご安心くださいっ! 聞こえに高いアンチェインですが、今は御覧の通り、しっかりと鎖に繋がれております! まさにチェインの状態です! たとえ暴れたとしても、当一座の優秀な闘士たちがすぐに押さえます」
確かに、ロッキードの首には首輪がはめられ、その首輪は鎖と繋がっていて、その鎖をふたりの男が引っ張っていた。足首には鉄球付きの足枷が。よく奴も引き受けたな。
鳴りやまないブーイングの嵐、しかしその雑音をロッキードは叫び声で黙らせた。会場は水を打ったように静かになった。ロッキードが叫び声と一緒に大きな屁をこいたのを私の猫耳は聞き逃さなかった。
ロッキードが中央に立つ。口を開け、歯を鳴らし、レインズに噛みつくようなパフォーマンスをするロッキード。この一連の入場の流れで十分だった。観客たちはレインズを熱烈に応援し、ロッキードに敵意を向けていた。もしかして、この設定を提案したのは彼なのだろうか。
男たちが鎖を引っ張り、ロッキードをレインズから遠ざける。そしてロッキードの首輪から鎖を外すと、それを合図にしたかのようにロッキードが大声をあげて暴れ出した。ロッキードを抑えるために控えていた彼らは、いとも簡単にロッキードの丸太のような腕に弾かれ柵の外に吹っ飛んでいった。しかし、すでにロッキードの本気を見ている私には、それが十分に加減されたものだと分かった。
男たちを吹っ飛ばしたロッキードは、次にレインズに襲い掛かった。
「おおっと、なんと卑怯な! まだ試合開始前だぞ!?」座長が悲鳴を上げる。
大げさに足音を立てて突っ込んでくるロッキードをレインズはひらりとかわし、ロッキードはそのまま柵に突っ込んだ。柵は破壊され、その動作だけで観客の興奮は最高潮に達した。
「な、なんというぶちかましだぁ! 一撃で柵が破壊されたぁ! セスよ、無茶だ殺されてしまう! さすがに今回は試合放棄しても私が許すぞぉ!」
レインズは座長の言葉を無視して、観客席にいる同僚の団員に声をかけた。団員が足元から武器を取り出してレインズに投げ渡す。渡されたのは
「おお、なんと! 皆さんご覧ください! セス・レインズは逃げません! この怪物と戦う気で満々です! まさに“ザ・マン”! なんと、なんと勇敢な男かぁ!」
「すげぇ、やれんのか!?」
「セス様がんばって~!」
一斉にレインズに拍手を送る観客たち。どうやらこの一座はなかなかの役者ぞろいらしい、客を盛り上げるのが巧い。
再びロッキードがレインズに突っ込む。レインズはそれをひらりとかわす。そして背中を向けたロッキードに、棍棒の一撃。ロッキードがのけ反ってうめき声をあげた。
振り向きざまに裏拳を放つロッキード。相手に申し合わせるほどに予備動作が大きいので、レインズは余裕でそれを後ろに飛びのいて避けた。
両手を広げてロッキードがレインズに襲い掛かる。そして両手を閉じて抱きしめるようにしてレインズを捕らえようとするが、レインズは側転してそれから逃れた。側転しなくても逃れられたがレインズは側転した。
今度はレインズはロッキードのわき腹に狼牙棒を突き入れた。ロッキードはまたうめき声をあげる。さらにレインズはロッキードの片足に右のローキックを入れる。ローキックが当たる瞬間、レインズは自分の左の腿を自分の手で強かに叩いたので、蹴りはたいしたことがないものの、音が鳴ったせいでまるで強烈な一撃が入ったように観客は錯覚しただろう。そして大げさな一撃に対して、ロッキードも大げさに片膝をついた。
そしてレインズは片膝をついたロッキードの顎を、これまた足を踏み鳴らしながら狼牙棒でかち上げた。やはり大げさに演出され、ロッキードも大げさにのけ反って見せていた。
「さすが、さすが当一座一の使い手!」座長が絶叫する。「
「む、むぅ……。」
ロッキードは呻きながら体を起こそうとするが、力が入らないようだった。
「おおっと、もしや今がチャンスなのでは!? いける、いけるのか!?」
レインズは柵に足をかけ、ジャンプをしてロッキードに狼牙棒を突き立てようとした。
しかしロッキードは寸前でそれを避け、レインズの足をつかんだ。そして足を引っ張り、レインズにしりもちをつかせた。
「つ、つかまった~! とうとうつかまってしまった~!!」
絶叫する座長、悲鳴を上げる観客。
ロッキードはレインズの体を高々と持ち上げ、舞台を歩き回った。さらに観衆は悲鳴を上げる。そしてロッキードは地面にレインズを叩き落とした。落とすと同時にロッキードもジャンプしていたので、レインズの体が落ちる音が見事に演出されていた。
レインズは苦悶の表情を浮かべ、地面をのたうち回る。ロッキードはそんなレインズの腹を足で踏みつけ、さらに足を動かして残虐性を煽った。
「な、なんたる非情な~! やはりオーク! このままではレインズの内臓がつぶれてしまうぞぉ!」
ロッキードは不敵に笑いながら観客席を見渡した。憎悪の溜まった観客は怒号をあげながらロッキードに物を投げつけ始めた。
「み、みなさ~ん、闘士に物を投げないで下さ~いっ」と、座長が慌てて言った。盛り上げすぎたようだ。
ロッキードは足を上げて飛び上り、レインズにとどめを刺そうとする。
足が上がった刹那、レインズは体を転がして難を逃れた。何もない地面を踏んづけたロッキードは足を抱えて痛がっていた。しかし、これはふりではない。古傷をやってしまったのだ。
一瞬、レインズが真顔になった。どうやら想定外の出来事らしい。しかし、すぐにレインズはロッキードの背後に抱きついて、闘争の続きを演出した。タヌキじじいの一座だが、それなりに団員は機転が利くらしい。そして、レインズは後ろから抱きつきながら、ゆっくりとロッキードと共に起き上がった。ロッキードのトラブルを観客に感づかれない工夫だろう。
ロッキードとレインズは呼吸を合わせ、ロッキードが自分でジャンプをし、レインズがさも後ろから抱えて後方に投げるように見せかけた。
ロッキードは大きく頭から地面に落ちた。
「バ~クドロ~ップ! 信じられな~い! レインズ!! 巨大なオークを投げ捨てた~!」
ロッキードは倒れ、レインズも勢い余って倒れていた。ふたりとも、この機を利用して少し呼吸を整えるようだ。
先に起き上がったのはレインズだった。レインズは狼牙棒を手にし、遅れて立ち上がろうとしたロッキードの横っ面を幾度も幾度も殴りつけた。殴りつけるたびに観客はレインズに歓声を送る。
レインズは大きく振りかぶって、ロッキードを殴り飛ばした。ロッキードが体を倒したのは、自身が破壊した柵だった。ロッキードの近くに団員が近寄る。ロッキードはその団員を跳ねのけると、頭を押さえ立ち上がった。
「え? き、きゃあああ!」
黄色い悲鳴ではない、普通の悲鳴が城内の空気を鋭く震わせた。観客が見たのは、額から流血するロッキードの姿だった。多分、先ほどロッキードに近寄った団員が、彼の額に血のりを塗ったのだろう。
「お~っと、アンチェイン流血だ~!」
しかし、血のりにまみれ、牙をむき出しにするロッキードの姿は、茶番とはいえ十分に観客の恐怖をそそるものだった。
ロッキードは吠えながらレインズに襲い掛かる。そしてレインズの襟をつかむと、何度も足を踏み鳴らしながら、レインズに頭突きを入れた。負けじとレインズも頭突きを打ち返す。血のりが飛び散り、凄惨さがより際立った。
「セスさ~ん、頑張って~」
村の女の声援が飛ぶが、レインズはロッキードの頭突きに耐えきれず背中を向けてしまった。ロッキードはレインズの狼牙棒を奪い取ると、狼牙棒の柄で背後からレインズの首を絞め始めた。
武器を使用するロッキードに対して、いっせいに村人からブーイングが飛ぶ。元々はレインズの武器だというのに。概して、美しくて強いものを人は吟味せずに肩入れするものだ。ロッキードは特に卑劣なことをやっているわけではないが、同じように戦うだけでも人は善悪の区別をつけたがる。そういう意味では、ただ背の高くてハンサムなだけの男をメインイベンターにするのにも相応の理由があるのだ。
レインズはあえて体を前のめりにすると、勢いをつけて後頭部でロッキードの顔面を叩いた。大したことのない攻撃のはずだが、それでロッキードの手がゆるんだ。さらにレインズは足を大きく上げて、ロッキードの足を踏んずけた。ロッキードがたまらずにたたらを踏んで後退しレインズを解放する。
「うおおおおお!」
レインズは雄たけびを上げると、ロッキードの腹にパンチを入れた。
「ぐぁう!」
苦悶の表情を浮かべるロッキード。さらにレインズは腹にパンチを連打する。
「ぐぅおおおおお!」
体が“く”の字に曲がったロッキードに対して、レインズは顔面に大げさなパンチを入れる。大ぶりだが、しっかりとロッキードの顔の前で寸止めされ、実際にはこつりと当たっている程度のパンチだ。
「おおい! おおい! おおい! おおい!」
軽いレインズのパンチが当たるたびに、座長が合いの手を入れて観客を盛り立てる。
レインズは最後に、腕をぶんぶん振り回してロッキードのおでこにパンチを入れた。ロッキードは勢いよく自分から倒れる。
「レインズ、強烈な一撃だ~~~!」
レインズは倒れたロッキードの上を小さくジャンプして飛び越えると、両腕を掲げ頭上で交差した。
「レインズの腕が振り上げられた! これは五王国で一番かっこいい大技、レインズエルボーだッ!」
レインズは倒れているロッキードの上に倒れ込むようにして肘打ちを叩き込んだ。
「決まった~~!」
動かなくなったロッキード、レインズは立ち上がると勝ち名乗りを上げた。
会場の興奮は最高潮に達し、観客は大声援を送り足踏みを鳴らす。いよいよ仮設の会場が壊れるのではないかと心配になってきた。
ロッキードが団員ふたりに肩を貸してもらいながら、よろめく足取りで会場を去っていった。そんなロッキードに、観客は遠慮のないブーイングを浴びせていた。
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