第三章 Now It Can Be Told

帰ってきた息子

 私たちは関所を避けて旧黒王領へ入り、そしてウィンチェスターへと到着した。バカでかいオークと並んでいるせいで、道中、先々の町や村で不審な目を向けられることもあったが、絡んでくる者はいなかった。視線さえ気にしなければ、これほど心強い旅の連れもいない。ただ“強い”という事が、これほどまでに便利なのかと、あきれて閉口してしまうほどだった。

「……知り合いの村は近いのか?」私は訊ねた。

 ロッキードは周囲を見渡した。

「大きな湖の近くの村だと聞いてたんだが……。」

 確かに、今いるところは湖の近くの村だった。しかし、住んでいるのは人間だった。五王国の中の種族の中でも人間は比較的繁殖力が強く、さらに山っ気の多い性質があった。エルフは長寿で子をなすことが稀で、ドワーフは自分たちの土地を移動したがらない。そのため、旧黒王領に入植しているのはほとんどが彼ら人間という状況だった。ちなみに、フェルプールは繁殖力も多く山っ気もあるが、そればかりで落ち着きのない奴らが多く、それはそれで新しい土地の開拓には向いてはないかった。もちろん、彼らの他種族からは理解不能なばかりの、同族や家族、土地に対する思い入れも理由にはあった。

 恐らく、元の住人たちは住まいを追い出されたのだろう。しかし、それを改めて言う必要もない。

「……私が聞いてこよう」と私が提案する。

「これは俺の問題だ、俺がやるべきだろう」

「国境を越える前、さんざん村人に怖がられたのを忘れたのかね?」

「俺も学ばない男ではない、処世術のための偽善だって身につけられるさ」

「……念のために、その処世術というのを聞いておこうか」

「いきなりこんなデカいよそ者が現れたら誰だって驚く。しかし、友好的な態度を見せれば、すぐに危険ではないと分かってもらえるはずだ。……友好的な態度、例えば笑顔だ」

「……なるほど。で、どんな笑顔だい?」

「こうだ」

 ロッキードはゆっくりと、顔をぐにゃりと歪めた。まるで、くしゃみをする寸前のライオンみたいだった。

「……私が聞いてこよう」

 ロッキードは笑顔をひっこめた。

 私もよそ者だったため、すぐに昔の住民の居場所を答えてもらえるわけではなかった。何軒か民家をまわった後、疑い深そうな老人が、村の人間の目を気にしながら私に彼らの居場所を教えてくれた。

「……どうだった」とロッキードが訊ねた。

「やっぱり、ここに入植してきた人間に追いやられて、山間やまあいに居住地を移したようだ」

「……そうか」

「行くのか?」

「もちろんだ」

 私たちは老人に教えられた場所へ向かった。村の広場では、大道芸人の集団が今夜催される祝祭カーニバルの出し物の広報をやっていた。道化に扮したラガモルフが曲芸を披露し、その隣で団長らしきシルクハットと燕尾服の男がビラを配っていた。


 一時間近く歩いて、私たちは目的の場所に着いた。村というより、難民の居住区のような、家とも呼べないような小屋の並ぶ場所だった。土地も平地が少ない。辛うじて、住むことができるといったところだった。しかし、そこにいた村人は人間と変わりがなかった。

 ロッキードは目についた民家の庭で洗濯物を干している女に声をかけた。人間と違ってオークを怖がらないあたり、彼らはやはり人間ではないという事なのだろう。

 ロッキードは女と話し終えると、こちらに戻ってきた。

「この村で間違いないようだ」

「そうか……。」

 私は通り過ぎるとき、ロッキードが訊ねた女を一瞥した。私の違和感に気づいたのだろう、ロッキードは言った。

「こいつらは人狼ライカンスロープだ」

「……なるほど」

 女に教えられたのは、その家からほど近い民家だった。ここもやはり、家というには粗末な作りだった。辛うじて雨風が防げるといったところだろう。

「……誰か……いませんか?」ロッキードが家の入口で声をあげた。

 しばらくすると、中から老婆が出てきた。やはり人間と変わりがない。違うところといえば、年齢に比べて髪が濃いというところだ。地肌が見えないくらいにびっしりとした白髪が頭を覆っている。

「……どなた?」

 ロッキードは荷物を下ろすと、中から黒曜石のペンダントと編んだ紐を取り出して、女に差し出した。

「……これは?」

 最初は戸惑っていたが、女は自分が渡されたものが何かを悟ると目を見開いて片手で口を押えた。

「これは……息子の……。」

 ロッキードは片足をついて両手を頭の前で組んだ。

「ティルクの形見です。あれから30年、今日の今日までこれを渡せず……申し訳ありませんでした」

 大きすぎる男だった。尊大さと傲慢さが歩いているかのように大きかった。しかし、その大きな体は今では小さく折りたたまれ、目の前にいる小さな女に不器用ながらも最大限の哀悼を示していた。

「お、おお……。」

 女は震える手で形見を頬に押し付けすすり泣き始めた。やがて女は膝をつき、私たちが目の前にいることさえ忘れたように、人目をはばからず大声で泣き始めた。気づくとちらほらと、住人たちが私たちの周りに集まってきていた。

「どこかで、どこかであの子が生きているものだと信じてたの……故郷には帰らないけれど、きっとそれも理由があって……でも、この世界のどこかで……もしかしたらと……。ああ、でもやはり、あの時の、あの言葉が、お前の私へかけてくれた最後の言葉だったのだね……。」

 幾度も襲い掛かる不安を幾つもの理由で誤魔化してきたのだろう。しかし今、女は長い年月をかけて築いた理性の壁を涙でくずし、抑えていたものを胸の内から吐露させていた。

 集まってきている住人に気づいて女は言った。

「……どうか、お入りになってください」


「……息子とはどういったご関係で?」

 女は私たちにお茶を淹れてくれた。白湯に近いほどの薄いお茶だった。それでも、今の彼女からすると最大限のもてなしなのだろうということが心苦しかった。

「……同じ部隊にいました」

 女はロッキードを見た。探るような光をそこに見たのだろう、ロッキードは説明する。

「もう、終戦間際の頃は、出身地や種族で部隊を分けるようなことはなくなりまして……。私も彼も、違う部隊からの寄せ集めだったんです」

「……そうだったのですね」

 女は私とロッキードがお茶を飲み終わったのを確認すると話し始めた。

「……とても優しい子でした。……村の子供たちには、いっつも自分の作った昔話を読み聞かせたりしたんですよ。そんなあの子が戦争にいくなんて……。それに、あの頃は村の他の男たちも戦争で出払っていて、畑仕事も何もすべてが女子供が引き受けなければならない状態でした。男手がとにかく足りなかったんです……。けれど……。」

 戦争とは概してそういうものだ。故郷のためと始められた戦いは、いつもその故郷を台無しにする。彼女たちが以前の村を追い立てられたのだって、男手がいない彼女たちに故郷を守り続ける力が残されていなかったからだろう。戦争の利益を口にする輩は、いったいどれだけその惨状を理解しているだろうか。

「……お母様の仰る通り、ティルクは優しい奴でした。いつも、隊の面々の気づかいばかりをしていましてね。衛生兵ではなかったんですが、怪我人の世話をよくしていました。自分の怪我などそっちのけでね。私も戦場で怪我で動けなかった所を、彼に担いで部隊まで戻してもらったんです」

「……まぁ」

「話も面白いやつでしてね。お母様の仰ったように、部隊で夜営をやっていた時など、よく気の利いた作り話をして、私たちを和ませてくれたものでした。……ほんとうに、良い奴でした。あんな素晴らしい男は他にありません」

 女は木製のテーブルの上に置かれた手を震わせ、その上に涙を一滴落とした。

「なるほど、合点が行きました。あんな男ならば、きっと素晴らしい母親のもとで育ったに違いないと、かねがね思っていました」

「……でもね、ロッキードさん? 私はあの子と喧嘩別れしたのよ? 戦争に行こうとするあの子を何度も引き留めて、そんな私にあの子はうんざりしていたんじゃないかしら……?」

「……お母様、こと戦場にいる男は、良くも悪くも素の部分が出ます。野蛮にもなれば、愛情深くも。彼は故郷のお母様をいつも気にかけていました。嘘じゃありません。私もそうですが、死地において母を想わぬ子がいるでしょうか。彼は死の間際まで、故郷と、お母様のことをうわごとのように口にしていました」

「……お、お、おお……」

 女は再び泣き崩れた。

 私はロッキードを見る。ロッキードは暗い顔をしていた。それは何かに耐えている顔だった。ひとりが抱え込めないくらいの深淵が表情に影を作り、瞳に闇を宿していた。まるで、戦友の母以上に彼の死に苦しんでいるかのように。

「……それと、これを渡すよう、彼と約束したので……。」

 ロッキードは袋から小さな革袋を取り出し、机の上に置いた。

「……これは?」

「息子さんが、少しでも親孝行をしようとためていた金子です。死の間際にこれを託されました」

 女はその革袋を手に取り中を見た。中には旧黒王領の金貨がぎっしり詰まっていた。

「……こんなもの……私はあの子さえ無事に帰ってきてくれれば……。こんな……。」

「受け取ってください。彼も喜びます」

 女は革袋を握りしめてすすり泣いていた。


 私たちは女に手厚い礼を受け、その村を後にした。

 最初の村に戻る途中、私はロッキードに訊ねた。「……彼はやはり転生者軍との戦いで?」

「……戦いか。……そう呼べるものならな」

「……どういう意味だ?」

「俺が斥候(前線において敵の偵察などをする任務)から戻ったとき、部隊は転生者軍の攻撃を受けて壊滅していた。壊滅などと生易しいものではないな。“無くなって”いたんだ。森は平地に、木々は倒れてすすになり、死体も誰が誰どころか、どこにあるのか分からなかった。彼女に渡したのは、辛うじて残っていた、奴の頭髪の着いた肉片から拝借したものだ……。」

「……じゃああの金は?」

 ロッキードの歩が速くなり、私より前に出た。

「……なに、俺が奴だったら、そうしてほしかっただろうと思ってな。奴が故郷の母の心配ばかりしていたのは本当だ。“ママっ子”というあだ名がつくくらいにな」

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