in the backstage ─マン・イン・ブラック─

───


「まったく、何を考えてるのかしら……。あの方も何を考えているのか掴めない方だったけれど……。」

 リアルトラズの所長は自室で頭を抱えていた。レンジャーからのタレコミを受けた後だった。同室には、毛量の多い黒い長髪を油で整えた小柄な男がついていた。男は盗賊と結託し、クロウとロッキードを亡き者にしようと企み、返り討ちにあってロッキードに仲間を殺されて、一人で命からがら逃亡し、この刑務所に手配者のロッキードの報告に来たのだった。所長には、仲間と脱獄囚のロッキードを捕らえようとしたところ、クロウに邪魔をされ捕え損ねたと報告していた。

「それにあいつも……。」

 所長はほころんだドレスの裾を見ているかのように、エメラルドグリーンの瞳で忌々しげに目の前の小男を見ていた。実際には彼女は何も見えていなかったが。

「あ、あのぉ……所長さん」と小男は言った。

「何かしら、ヘイポーさん」所長は首を傾げた。スミレ色の長髪が重たげになびく。声は、クロウに接していた時のように、造られてはいなかった。

「ヘイローですぅ」

「ああ、そうだったわね。どっちでもいいけど。で、何かしら?」

「えぇ、私はもうこれでお邪魔しようと思うんですが、できれば情報料というか、何かいただければ助かるんですけど……。」

「“何か”? 貴方、この程度で報酬がもらえると思ってるの?」

「あ、いえ、そういうわけではないんですが、その……私も命からがらですねぇ……。」

「命からがらかどうかは貴方の力量でしょう? もし、報酬を望むなら、もっと役に立ってもらわないとね」

「えぇ、そう、ですかぁ……。」ヘイローはハエの羽音のような声で言った。

「……失礼します」

 そこへ、ロブと名乗っていた男が入室してきた。

「何かしら?」

「はい、以前より依頼していた応援の件なのですが……。」

「あら、もう到着したの? 思ったより早かったわね。」

「いえ……それが……。」

「……何?」

「ベクテルからではなく、それも……

「ひとり? またレンジャー崩れが自分を売り込みに来たんでしょう? 足りてるし私は忙しいの、追い返してちょうだい」

「そ、そうですよね。……ただ、向こうは“吟遊詩人”といえば分かるはずだと……。」

 所長は執務机の上で手を組んで口を隠した。そして、ほんの少し思案すると、「連れてきて」と言った。

「あの……実は……。」

「もう来ている」

 そう言って、男が入ってきた。その男が入ってきただけで、室内の二酸化炭素の濃度が変わったかのように空気が重苦しくなっていた。男の素性をすでに知っている所長だけでなく、ヘイローやロブもその息苦しさを感じていた。

 それは黒い男だった。黒いハットに黒いスーツ。シャツも黒く黒い手袋と黒い靴を着用していた。40代後半の白人男性。身長は180㎝ほど。顔立ちはこれといった特徴はなかったが、その中で瞳の色だけが異彩を放っていた。驚くほどにくっきりとした緑色グリーンの瞳だった。くすんでおらず、薄くもなく、深くもない。この世のすべてのグリーンの真ん中を行くような、そんな緑色だった。

 男が入室すると、は困惑しながら所長とヘイローを交互に見ていた。

 所長は窓を見て言った。「古の吟遊詩人の声を聞いたかしら」

 とヘイローは奇妙な目で所長を見た。

 黒い男は答えた。「愚かさとはゴールのない迷路だ」

 ふたりは黒い男を見た。

 所長は言った。「……外してちょうだい」

 とヘイローは部屋を出ていった。

 男は部屋の隅にあった椅子を音を立てて引きずり所長の前に置き、椅子に腰かけた。男は帽子を取った。オールバックの白髪交じりの金髪が露わになった。

 二人が出ていってしばらくして所長は言った。

「……どういう要件かしら?」

「なぁに、お前が手をこまねいていると聞いてな」

「別に……私は私のやり方でやってるだけよ……。」

「どうにも回りくどいじゃないか。さかしらぶって謀略を張り巡らせるのはいいが、手の込んだ編み物は、毛糸一本ほころぶだけで雑巾になるぞ」

「貴方達みたく、強引に事を進めないだけよ」

 黒い男は低く、小さく、かすれた声で笑った。達観と嘲けりのある声だった。

「お前、自分もこの計画の駒でしかないことを忘れてやしないか? ここの所長になるまでにさんざん後ろ盾してやったとういのに、まだ自分の思うように事を進めようとするつもりか?」

「上手くいけば、綺麗にことが片付くわ。それに、まだ失敗しているわけじゃない。計画は進行中よ」

「保険をかけておいた方が良い」

「……それで、貴方が来たというわけ?」

 黒い男は深く椅子に座りながら、ゆっくりとうなずいた。

 所長が問う。「もしかして、ひとりで片をつけようと気?」

「ああ、俺ひとりで十分だ」

 所長は訝し気に黒い男を見る。

「……まぁ、貴方達の力に関しては疑いようのないものね」所長は言った。「ところで、名前を訊いてなかったわね」

「リーガルだ」

「……リーガル?」

「それだけでいいだろう。名前など、もう俺にとってはどうでもいい。さんざん変わってきたのでね。まぁ、名前だけじゃあないが」

「……そう」

 所長は扉の外に声をかけ、とヘイローを呼び戻した。

「……それで、アイツの事なんだけれど、彼が案内人を務めるわ」

 そう言って、所長はヘイローを見た。

「……え? 私がですか?」

 リーガルは微笑んでヘイローを見た。

「あたりまえよ、アイツ等の足取りは貴方しかわからないんだから。ふたりの人相も、彼に一から教えるよりはるかにいいでしょ?」

「そうですけれど……。私はお役に立てるかどうか」

「役に立たないのなら、お前の命はない」リーガルは言った。

「へぇっ?」

 その一言で、ヘイローには重圧がかかった。心に錠前をかけられたような重み。その瞬間に、ヘイローは自分はこの男に逆らえないのだと思った。

「そういうことよ。で、リーガル、必要なものはあるかしら?」

「何も。ただ、俺のやることに目をつむればいい」

「……限度があるわよ?」

「分かってる。お前が思うほど狂っちゃいない。ここでいう狂っちゃいないというのは、お前の狂気にすり合わせるという意味だがな」

「……なら良いわ。いつ発つの?」

「もう行く、こんなところに用もない」

「……そうね」

 リーガルは黒のハットを被り立ち上がった。部屋から出ようとすると、扉の前でリーガルは立ち止まり、所長に訊ねた。

「……そういえば、明け方に地震が起きたみたいだな。それもかなりの広範囲で」

「……そうだったわね。それが何か?」

「……いや」

 そうして、リーガルとヘイローは出ていった。

 ふたりが去ったあと、ロブは所長に訊ねた。

「……あれが……ベクテルからの応援ですか?」

「……この件に関しては、私が訊ねるまで一切口にしないこと。いいわね?」

「は、はい……。」

「で、何か質問は?」

「え? えっと……じゃあ、あのヘイローという男はどうするおつもりなんですか?」

「あの小男に、定期的に連絡をよこすようにして。とても使い勝手が良いわ、彼。自尊心は肥大しているし、にもかかわらず権力にはめっぽう弱い。餌を与えれば都合よくこちらの意のままに動くはずよ」

 所長は歯止めとしてもねと、つぶやいた。

「出発前に、彼に使いの鳥竜を預けなさい」


 その夜、リーガルとヘイローは刑務所の隣の町にある酒場で、夕食を済ませていた。

 ヘイローは言った。「あの……リーガルさん?」

 リーガルは、書面を見ながらソーセージをほおばっていた。ソーセージを飲み込み、麦酒を流し込んで口をぬぐい、十分に間を開けてからリーガルは答えた。

「なんだ?」

「あ、はい、これからどうするのかと思いましてぇ……。」

「ひとりじゃあ時間がかかりそうなんでな、俺の手足になる人間を探すんだ」

「へぇ……あの……。」

「うぬぼれるな、お前は地図がわりだ。旅はにぎやかじゃなきゃあな。彩るものが必要だ」

「は、はぁ……。」

 ヘイローの座る椅子の足元に置いてあった、鳥かごの中の鳥竜がけたたましく鳴いた。ヘイローは「はいはい、分かりましたよぉ」と悲痛な声をだして鳥竜に餌をやり始める。鳥竜は、元々小型だったワイバーンをさらに小型に、かつ気性をおとなしくすることで、伝書鳩よりもより早く、より長距離との連絡電信に役立てるために品種改良された、鷹ほどの大きさの自然界には存在しない竜だった。だが、そんな小型の生き物にヘイローは恐縮しながら使えていた。どうやら彼はここにいる最下層らしかった。

「それは、所長からか?」とリーガルが訊ねる。

「は、はいぃ。わたしにぃ、何かがあれば連絡するようにとぉ……。」

 ただ説明をしているだけなのに、ヘイローは許しを請うかのような哀れな声を出す。

「ふん、気ばかりが細かい……。」

 また別の書面をめくると、リーガルはうっすらと笑った。

「決まったぞ」

 リーガルはヘイローに書面を渡した。


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