使うわけにはいかない金

 これはに、私が調べたことだ。

 ロッキード・バルカ、このオークは黒王直轄領の中東部のコルトにて、下級貴族の長男として生を受けた。コルトは火山地帯にあり、そこで採掘された石炭は、かつては黒王領の主要な交易品として重宝されていたという。そんな土地に生まれたロッキードだったが、実際には貴族とは名ばかりで、彼の父親は貧困のため自身が所有している炭坑で、自分も炭鉱夫として作業に従事しなければならなかった。ロッキードは幼いころからそんな父の仕事を手伝うため、学校が始まる前と終わりには、炭鉱に入り大人と一緒に採掘作業に従事していたのだという。大人顔負けの量の石炭を肩に担ぎ、さらに足場が不安定な山を往復し続けた少年の体は、同じ巨躯のオークたちの中でもひときわ強靭になっていった。滑らぬよう、転ばぬよう歩き続けたことで体幹のバランスは鍛え上げられ、幾度もの怪我で皮膚は分厚くなり、痛みは痒み程度にしかならなくなった。

 さらに、生来の負けん気が彼を闘争に駆り出すことになる。力の強い彼は、当然のごとく地域のガキ大将となるのだが、十代になったばかりの頃、移住してきた武術家の息子に良いようにあしらわれてしまう。普通ならば、ここで彼のガキ大将人生は終わっていたのだが、ロッキードはその武術家の門をくぐり、門下生としてその武術をおさめることになる。資料に乏しいので彼が何の武術を体得したかは不明だが、彼の立ち回りを見た限りでは、適切に最小限度の動きで相手の関節を躊躇なくへし折りにかかっているところから、打撃系よりも組技系だっという事が推測される。そうでなければ、エラウサットのコロシアムで、自分より体格の大きいオーガを仕留められるはずがない。体格に甘んじない、柔よく相手を制する術を身に着けていたはずだ。

 彼の逸話で際立っているのは、何もその強さだけではない。ある時、故郷のコルトの川が局所的な大雨で突如として増水し、川辺で遊んでいた子供が逃げ遅れて激流に飲みこまれてしまったことがあったという。大人たちが手をこまねいて子供の運命を受け入れようとしている中、一人の少年が川に飛び込んだ。それが少年時代のロッキードだった。どう見ても愚かな蛮勇、犠牲者が二人に増えてしまった、大人たちはそう確信した。しかし、少年のロッキードは濁流に何度も飲まれながらも、子供を引き上げ、ついにはその命を助けたのだ。戦場に立つはるか以前から、ロッキードが他とは違う存在なのだということを知らしめる逸話だといえる。きっとこの時、少年の心には強い自負心が生まれたのではないだろうか。自分は自然の驚異すらも、腕っぷしで乗り越えることができるのだと。

 オークという種族、武家の血脈から授かった負けん気の強い気質。加えて過酷な環境の数々。もし彼が黒王直轄の都で生まれていたなら、もし裕福な家庭で生まれていたなら、もし事故の多い炭鉱で若くして命を落としていたなら、もし武術家と出会って心が折れていたなら、もし濁流にのまれて命を落としていたなら……ひとつでも欠けていればアンチェインという存在はなかっただろう。


「で、どうするんだ?」

 そして、その稀代の豪傑は、私の前で腹を空かせていた。

「……うむ」ロッキードは周囲を見渡した。「町の人間に仕事をもらおう……。」

「仕事をもらえなかったらどうする?」

「クロウよ、仕事をもらえるまで訊ねるのだ。もらえないという事はない」

「……前向きだね」

 しかし、仕事はまったく見つからなかった。当たり前な話、デカいオークのよそ者が突然仕事を求めても、上手くいくわけがない。町の人間は戸を閉め、物陰に隠れ、挙句の果てには自警団の人間に取り囲まれてしまった。彼が釈明しようとすると、よけい周りがおびえるので、私がわざわざ間に入っていかなければならなかった。

 こんなデカブツに町を歩き回られても困るので、交渉は私がやることになり、そして何とか商人の積み荷を倉庫から運び、馬車に詰め込むという仕事をもらうことができた。この体を見たらうってつけとすぐに思うはずだ。ロッキードときたら、服屋の扉を叩くもんだから、例え好意的な人間が店主だったとしても与える仕事に困ってしまっていたのだ。自分を活かすことが考えられない男のようだ。

 夕方にさしかかる頃、さすがのガタイだけあって、人間よりもはるかに速いペースで仕事を終えることができた。商人は気前よくロッキードに硬貨を支払った。正しく努力すれば正しく報われるものだ。もっとも、その金も今夜の食費にすらならないはした金だったが。

「……さっきのパン代にもならないな」私は言った。「もう、とっととここいらを抜けよう。五王国からは遠いが入植している人間は多いんだ。あの教会だって、もともとはフェーンドたちの神殿だったが、彼らが自分たちのための神を祀るために建て替えたんだからな」

「……うむ」

「次は……どこに行く?」

「そうだな、ウィンチェスターに行こうと思ってる。友人に用事があるんだ」

「ウィンチェスター? ……そうか」

 やはり、彼は故郷に帰るつもりはないらしい。ここからウィンチェスターは、地図で見る限り、彼の故郷のコルトを迂回することになる。

「お前はどうするんだ?」ロッキードは私に訊ねた。

「ついていくよ。流浪の身だし、それにお前さんの借金を取り立てなければならないからな」

「なぁに、すぐに返す」

「借金をする奴はいつもそう思う。そうして、気づいたら返済しきれない金を抱えるんだ」

「ふんっ、まるで人生みたいだな」

「そういう場合は踏み倒せばいい。もちろん、踏み倒し損ねた時のも払ってもらうがな」

「ふはっ」

 ロッキードは軽く笑った。

 私は言った。「ルートはどうする?」

「……関所は避けよう」遠くを眺めながらロッキードは答えた。「なぁに、やましいことがあるわけじゃあないが、あれからあの土地もずいぶん変わった。友を訪ねるのに手間取る何ぞ冗談じゃないからな」

「……そうか」質問もまったくしないと疑われる。私は分かりきった質問をすることにした。「その、ウィンチェスターと故郷が近いのかね?」

「違う」

「……そうか」


 私たちはその後、移動中に見つけた森で野宿をすることにした。しかし結局、ロッキードの食事の為に金を使ったので、彼の借金はまた大きくなった。ほんとうに昼に言ったように、気づいたら返しきれない借金を抱えるわけじゃああるまいな。

「……火をおこせる場所があればいいんだが」ロッキードは、ふたりが野宿できる場所を探すため、森を探索たんさくしていた。この巨体なら、そこそこ広い場所ではないと寝苦しくなってしまう。

 私は言った。「……あるいは距離はあっても別々のところに寝るかだがね」

「……ふむ、だがお互いの身の安全の為にも近い方が良いだろう」

 こんな巨躯のオークに危険など、冬眠に失敗したひぐまに出くわさない限りあろうはずがない。お互いとは言ったが、たぶん私の身を案じているのだろう。

「そっちの方を見てみよう」と、茂みの中に入っていったロッキードの体がシュッと消えた。瞬間移動か? そう思った次の瞬間、大きな岩が転がるような音と、ロッキードの小さなうめき声が聞こえた。どうやら、急に現れた坂に足を取られたらしい。

「……大丈夫か?」

 私が茂みから崖ほどに急な坂の下をのぞくと、そこには荷物を散らかして倒れているロッキードの姿があった。

「……う、うむ」

「……まったく」

 私は木を伝いながら坂の下に降りていった。

「……怪我は?」私は訊ねた。

「……大丈夫だ」と、ロッキードは身を起こしながら言った。

 私は散らばったロッキードの荷物を拾い集めた。彼の大きな道具袋の中には、いったい何の必要があるのか分からないものばかりだった。黒曜石のペンダントも価値があるとは思えず、さらには捨てた方が良さそうな手袋や中途半端に切られた縄もあった。整理ができない男なのだろうか。

「……別にいいぞ、クロウ。自分でやる」

「遠慮するな……。」

 私は落ちている小袋に手を伸ばそうとしてしたが、その手が寸前で止まった。小袋の中から、大量の金貨が散らばっていた。五王国の通貨だった。あの町で使われていたのは黒王領時代に使われていた通貨だったので、村での報酬をちょろまかしているというわけではないだろう。だが、しかし……。

 私たちはお互いを見ずに、また凝視することもなく金貨を虚ろ気に見ていた。

 ロッキードは、ゆっくりと、小袋の中に金貨を入れ、そして道具袋にしまった。言いようのない空気が漂っていた。

 ロッキードは言った。「どうして、金を持っているのにこれを使わないのかと思ってるんだろう……。」

 私は言った。「こう思ってる。多分、臭い粥を施されてまで使おうとしないこの金には、何か相応の理由があるのだろうと」

「……ああ、これは俺が自分のために使う訳にはいかない金だ」

「そのようだね」


 それからの私たちには、必要最低限の会話しかなかった。木の陰で小さな火をおこすと、それが絶えぬようふたりで見守りながら、町で購入した干し肉と黒パンを食べ、そして寝付いた。

 明け方、私が目を覚ますとロッキードの姿が見当たらなかった。荷物はまだある。近くの川に水でも汲みに行ったのだろうか。すると、遠くから何か崖崩れのような音が聞こえてきた。

 私は起き上がり、音のする方へ向かった。そこには、河原の巨石を持ち上げては放り投げるロッキードの姿があった。持ち上げ、振り回し、そして投げ捨てる。一見めちゃくちゃだが、体の全体を使うバランスの取れたトレーニングでもあった。しかし、古傷が痛むのか、数回石を放り投げると、右の足首をかばう様にしてうずくまっていた。

 あきれた怪物だな、私は小さく独りちると、寝床に戻っていった。しかし、ロッキードの熱に感化されたのか、うまく寝つけず、私も刀を取ると素振りの練習を始めた。あの怪物に、ほんの一歩でも先を行かれるのが恐ろしかったのかもしれない。

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