アンチェインとそれ以外

 それから、私たちは隣の町に到着した。ちょうど昼時で、ロッキードの腹の虫が鳴っていた。もっとも、彼の場合は虫というより獣の哭き声だったが。

 そこは旧黒王領でも、五王国からははるか遠く、大国間の戦争には直接は巻き込まれなかったものの、入植するには適していない土地だったため、五王国の人間がやってきても町の発展は遅れ、草木もわびしいありさまだった。どうせまた壊れてしまうと諦めているのか、建物は崩壊したものばかりで、廃墟と住居の違いが分からないくらいだった。戦前ならば、盟主である黒王の支援があったはずの土地だったが、黒王が倒れた今、ここを顧みる権力は存在しない。戦時中の爪痕が、三十年近く経った今でも癒えきれないのだ。

「どこかで昼食を取ろうか」私は周囲を見渡す。「辺ぴな街だ、食堂はあるのか?」

「クロウよ、わざわざ金を使う必要はあるまい」ロッキードが得意げに笑う。「こういう街には教会がある。そして、教会では巡礼者や物乞いのために炊き出しをやっているはずだ」

「……お前さん、異教徒だろう?」

「ふん、お前らの神は、肌の色で施しをやめるようなケチな奴なのか」

「神の気前が良くったって、人がケチならどうしようもない。優れた宗教楽譜信じ演奏すれば別物だ」

「ならば俺が代わりに壮大に奏でてやるさ」

 ロッキードは大きな肩を揺らして笑った。

「……騒ぎは起こすなよ」

 不安を覚える私は念を押した。 


 私たちは教会へ向かった。こういった町では高い建物は教会しかないので、場所はすぐに見つかった。そしてロッキードの読み通り、教会ではちょうど炊き出しをやっている最中だった。

「うん、美味そうな匂いだ」

 大鍋で煮込まれているのは、余った雑穀を寄せ集めて煮込んだだけの粥だった。オークの嗜好しこうは知らないが、お世辞にも美味そうとは言えなかった。金銭に余裕のある私の胃袋は、それを受け付けそうにない。“もてあます金は人を不自由にする”、なるほど、そして私は持て余さない金を持ち自由を手にしているのだが、それでもこれを食べるという不自由に甘んじなけれないけないのだろうか。

 私たちは物乞いや巡礼者の列に並んだ。遠目で見る限り鍋の残りは少なかったが、何とか私たちには鉢が回ってきそうだ。

「……うん?」

 ちょうど私の後ろに誰かが立ったのが気付いた。そこにいたのは、ボロをまとった物乞いの母娘だった。ふたりともねずみ色にくすんだ顔をしていた。世界のあらゆるものに平身低頭しているような、申し訳なさそうな表情を浮かべている。

 私たちはお互いを見た。

 そして私たちはその母娘に列を譲った。まぁ、まだあるから良いだろう。

 しばらくすると、また後ろに誰か立ったのに気付いた。そこにいたのは三人の巡礼者の老人たちだった。長旅の途中なのだろう、カーキ色のローブを身をまとい、一部がミイラ化していそうな体は、ちょいと強い北風に煽られただけでも命をさらわれそうだった。

 私たちはお互いを見た。

 ロッキードの瞳に戸惑いがあった。それはそうだろう、私は金を持っているので何とでもなるが、彼はここで食い物にありつかなければならないのだから。

 ロッキードはうなずいた。私は肩をすくめた。

 そうして、私たちは巡礼者たちに列を譲った。

 いよいよ、私たちの順番が近づいてきた。鍋の中は残り少ない。

 すると、また私たちの背後に誰かが立った。そこにいたのは、酔っ払った中年男だった。物乞いかもしれないが、さきほどの親子と違い、体にはまだたっぷりと脂肪が残っていた。赤ら顔で笑うたびに、口から酒の臭いが漏れていた。

 私たちはお互いを見た。

 ロッキードの瞳に戸惑いがあった。私の目には驚愕があった。いくらなんでも、そこらへんの腹をすかせた酔っ払いに列を譲ってどうしようというのか。

 ロッキードは肩を落とした。私はロッキードから顔をそむけた。

 そうして、私たちは酔っ払いに列を譲った。

 結局、私たちの順番が回って来た時には、粥は一すくい分しか残っていなかった。

 舌でなめ取ったらなくなってしまうほどの量の粥の器を片手にロッキードは言った。

「食うか?」

「……けっこう」

「遠慮するな」

「遠慮してない、本当に、遠慮はしていない」私は文を切るごとに強調して言った。

「……本当にいいのか?」と、ロッキードは片方の眉をつり上げた。

 私は大きくため息をついて言った。「私を助けてくれた貸しを、その器のちっぽけな量の粥でチャラにしてもらおうなんて思っちゃいないさ」

「分かってる、そんなことは思ってない」

「私も分かってるよ」

 ロッキードは粥を食べた。

 さて、私は店があったら何か買うか、なければ農家から金を出して直接何かを分けてもらおう。 

 私はロッキードを見た。ロッキードは名残惜しそうに器を見ていた。

 私は気を利かせて彼から背を向けた。ざらりと音がした。器の残りを舐めとった音だ。

「……それで足りるか?」私はロッキードをふり返って言った。

「武士は食わねど高楊枝。戦場では、すきっ腹など日常茶飯事だし、戦友の前で腹が減ったのだのと弱音を吐くわけにはいかなかったからな」

 そう言い終えた途端、ロッキードの腹の獅子が鳴いた。

「腹が減っては戦はできぬ。兵站を怠った軍隊が、敵に打ち勝つなんてできるのか?」

 私に言われると、ロッキードは口をもごもごと動かした。どうやら、彼は“壮大に奏でる”という宣言を、自ら自己犠牲を示すことで実行したようだ。しかし、使用した楽器は壮大なシンバルではなく、繊細なトライアングルだったが。

 私は近くの商店でパンを買うと、ロッキードにそれを与えた。ロッキードはかたじけないと、恭しく頭を下げてそれを受け取った。パンひとつで大げさだと言っておいた。そもそも、私には借りがあるのだから。

 


「それ本当の話なの?」

 女は訝しげに私を見た。

「私の言っていることが本当かどうか、お前さんに確認する術なんてあるのかね。お前さんは、私の話をただ信じるしかないはずだ」

「……。」

 私は煙草をカウンターの縁で叩いて灰を落とした。私の後ろから、奉公人の青年がお代わりは? と訊ねてきた。私は火酒を頼んだ。

「……面白い奴だった。加減を知らないというか、振れ幅が極端なんだ。あっけなく命を奪うと思うくせに、やたら自分の力を使うことに慎重でね。極端に豪胆なふるまいをした次の日には、極端に気弱だったりする。そういう男だった」

「……そんなの、言い訳になるのかしら?」

「言い訳?」

「奴が大勢の命を奪ったことに対してよ。例え善人の一面を見せたからと言って、それですべてが許されるわけではないわ。悪人が、たまに良いことをしたら善人以上に称賛されるのと同じよ」

「違うよ、奴は善人なんかじゃあなかったさ。ただ強かったんだ、馬鹿げたくらいに。それを誰よりも自分自身が知っていた。ロッキード・バルカにとっては、自分以外のすべてがいたわらなければならない弱者だったのさ。お前さんだって、迷子や荷物に難儀している老人を見たら、何とかしてあげようと思うだろう? ロッキードにとっては、そんなものが視界にあふれてる日常だったんだ」

「考えようによっては尊大ってだけだわ」

「お前さんの親父さんも、騎士だったなら同じように考えていたはずじゃないかい。“騎士の剣は弱き者の為に振るわれなければならない”、騎士はそれを信心で支えているが、ロッキードの場合は自信だったという違いがあるだけで」

「騎士のそれとは違うでしょう?」

「違わないよ。男に自分を犠牲にさせて世間のためにいいように使う、その方便という意味ではね」

「……嫌な言い方をするのね」

「嫌なもんさ。そのせいで望まぬ死を強いられた男だって大勢いる。弱さに素直になれずにね」

 突然扉が開き、老けた顔をした中年男が怒鳴り込んできた。中年男は予言の日が近いと叫び、過去に来た転生者は本物ではなく、改めて本当の救世主が現れ世界に秩序をもたらすとわめいていた。

 男は酒場の客たちに殴られて店を放り出されてしまった。かなり強めに殴られていたので、打ち所が悪ければ不幸な事故が起こるかもしれない。


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