第二章 Whatever Will Be

鷹揚な男

 降り始めた雨は、一晩で衰えることを知らなかった。町の思わせぶりな年寄りが、「こんな雨は見たことがない。もしかしたらこの雨は止まないかもしれない」と心配するほどだった。三日で一応やんだが。

 しかし、雨が止んだ後もまた問題が起きた。川が雨で増水して、街の流通が止まってしまったのだ。ウンディーネがいつ機嫌を直すのか、雨空以上に予想がつかなかった。農民や店主はともかく、行商人や旅人は予定を大きく狂わされていた。幾人かは何とか策を練ろうとしていたものの、よその町での取引を急いだ商人が、いくぶん浅瀬の所から川を渡ろうとして、馬が足を取られ馬車ごと川の藻屑もくずになるという教訓を示してからは、いよいよ誰もその川を渡ろうとはしなくなった。やがて、鬱屈した街の中では閉じ込められた人々の空気がよどみ、無意味な喧嘩やいさかいが始まるようになった。私はというと、ロッキードとの言い争いの後から、ほとんど彼とは口をきかなくなっていた。懐は温かかったものの、の硬貨は無意味に冷たく重苦しかった。

 そんな鬱屈した商人や旅人がたむろしている旅籠屋はたごやに変化をもたらしたのは、巨大な異形の人外だった。

「……おう、そこに運んでくれ」

 ロッキードにうながされ、旅籠屋に街の商人たちが酒樽や料理を運び込んできたのだ。さすがにオークには人間よりも多くの食事が必要だとはいえ、それは独りで食べきれる量を越えていた。

「……なんだいこれは」私はロッキードに訊ねた。

「……うむ」

 旅籠屋の客たちは、宴会のような料理の数々を見るために、次々と集まってきた。そして客がすべて集まったのを見計らってロッキードが大声を張り上げた。

「天気は晴れているのだ、地上の我らの顔が曇る道理はあるまい! これはすべて俺からのおごりだ! みんな遠慮せずに食ってくれっ!」

 皆がみんな、意味も分からず呆けてロッキードを見ていた。ロッキードは大テーブルに置かれた骨付きのハムを取ると、「ほら、遠慮するな!」と、近くにいた女性にそれを押し付けた。

「……ま、まじかよ!」

「い、いいのか!?」

「すげぇ!」

 旅籠屋が、客の歓声でびりびりと揺れていた。


 それから一時間と経たずに、宴は町を巻き込んだカーニバルにまで発展した。ロッキードの気前の良さに感化され、町の人間も酒や料理を持ち込み、その量は最初にロッキードが用意したものの三倍に増えていた。さらにどこにいたのか、踊り子や吟遊詩人も現れて、旅籠屋の食堂の大テーブルの上に立ち、自分たちの芸を無償で披露し始めさえした。

 ほんの数時間前まで険悪だった旅籠屋とこの町は、一転して活気にあふれた賑わいを見せ始めたのだ。

 宴は深夜まで続いた。寝ることを惜しんで享楽をむさぼろうとした男が、杯を持ったまま笑顔でいびきをかいて寝ているほどだった。夢の中でも宴会をやっているらしい。

 私は人々の熱狂がただよい、酒の混じった吐息が充満する部屋の隅から、ふとロッキードを見た。さすがにオークといえど、この宴の主催者だけあって、彼の周りには多くの人々が寄り添っていた。この光景を見て、数十年前まで彼らが戦争をしていたなどと、いったい誰が信じるだろうか。

 ロッキードは町の青年の肩に腕を回して気さくに語りかける。「何だお前、その歳で結婚もしてないのかっ?」

「は、はあ……。」

「お前、いったい何のために生まれてきたんだ? お前がもし明日死んでしまったら、この世には何も残らなくなるんだぞ?」

 ロッキードは機嫌よく青年の肩を振り回すと、給仕の女を見つけて指をさし「あの女を踊りに誘え」と命令した。

「え? で、でも、何て言っていいか……。」

「余計なことを考えるな、ただひとこと“踊ろう”と言えばいいんだっ」

 ロッキードははじき出すように、青年の背中をばしりと叩いた。

「行ってこいっ」

 青年は千鳥足で給仕のところまで行くと、どもりながらも何とか女を誘えたようだった。踊り方を知らない青年は、女に促されて腰に手を回し、音楽に合わせて体を揺らし始めた。そんな青年の様を、ロッキードは嬉しそうに眺めていた。

 踊りを終えると、女は情熱的な視線を青年の体に這わせ「じゃあね」と去っていった。

 青年は女を見送ると、一仕事終えた顔をしてロッキードのもとへ戻ってきた。

「……何をやってる?」とロッキードが言う。

「え、何って……踊りが終わったから……。」

 ロッキードは大きくため息をついた。

「名前を訊け。歳と、どこに住んでるのかもな」

 青年は戸惑いながら、ロッキードと女を交互に見た。

 ロッキードは小さく首を振った後、「おおい!」と手を挙げて給仕の女を呼びつけた。

 女は青年の姿を見ながら近寄ってきた。

「なぁ、ちょいとばかし水が欲しいんだ。それも冷たい水がな。悪いが井戸に行って汲んできてくれんか?」そう言って、ロッキードは杯を女に差し出した。

 女は杯を受け取ると、旅籠屋の外にある井戸へと向かって行った。そんな女の背中を見ながらロッキードは青年に囁く。

「行ってこい」

「え、でも……。」

「あの女のあの目、ありゃお前に気があるぞ」

「こ、好みじゃありませんよ」

「阿呆、明日の朝には世界で一番愛しい女になってるっ」

 ロッキードは大口を開け、太い牙を覗かせてからりと笑った。

 青年は女を追って店から出ていった。そして、青年はロッキードのもとへは戻ってこなかった。

 手持ちぶたさだった私は、ロッキードのところに行った。宴が始まってから、一度も口をきいてなかった。

「たいしたもんだな」

 ロッキードは何も言わない。

「ところで、これほどの金、どこにあったんだい?」

「……盗賊を追っ払った報酬だ」

 今回の報酬は、街の代表がここの住民たちからかき集めるので少し時間がかかるという話だった。

「……なぁ、もしかして」

「もしかする。全部使った。俺の持ち金含めてな」

 私はロッキードに詰め寄った。

「……私の金でもあるんだぞっ。お前さんにその権利があるってのかっ?」

「……ある」

「何だとっ?」

「今回の仕事で、お前は役立たずだった。俺が来なければ、手籠めにされた上で殺されていただろうな」

「でも、だからと言って……。」

「役立たずは報酬をもらう資格がないのだろう? お前がに言い出したことだ」

 何も言えなかった。結局、私は自分で金を捨てたことになった。自分の信念に足をすくわれたのだ。賢く生きずに大損をこいた。

「しかし、全部って……お前さんだって路銀(旅に必要な金銭)が必要だろう?」

「必要以上の金など要らんさ。もてあます金は、かえって人を不自由にするもんだ。深く考えるな、お前ら女はいつも世の中を複雑にする。こいつらを見ろ」そう言って、ロッキードは子供に糖蜜とうみつ菓子を与えた。子供は嬉しそうにそれを頬ばる。「この笑顔を見て、金だの何だのと心配するのか? 明日の心配も余計だ。お前は今夜自分が死なないとでも思ってるのか? クロウよ、余裕を持って生きたければ、世の中を甘く見ることだ」

「……かなわんね」

 そうして、夜はよりいっそう深くなっていった。


 その明け方、住民たちは、地震を感じて目を覚ました。大きな地震だったが、奇跡的に建物が崩壊することはなかった。最初は不安を感じていたが、それからまったく余震がおこらないので、住民たちは再びいつも通りの朝を過ごした。

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