世界の値札


「……やっぱり、アイツは悪人だったわけね」

 女はそう言って、麦酒を一気に飲み干した。うなだれて紺色の髪がぱらりとカウンターの上に落ちていた。まるで、話をひとつ聞くごとに、彼女は老けていくんじゃないだろうかと心配してしまう。

「……これで満足なら、もうそろそろこの話は終わりにしたいんだが」

「冗談を」

「そうかい、それもいいだろう。しかし、これから話すことを聞いたら、お前さんはあの男への憎悪を、紙で包んでくず籠に捨てるわけにはいかなくなるかもしれないんだがね」

「……それは、奴は本当は悪人ではなかったという話かしら?」

「良いとか悪いとか、表とか裏だとかそう言う単純なものでもないんだよ。私たちは、常に道の途中にいるんだ。歩きやめたらそこが答えだというだけさ。お前さん次第だし、私次第でもある」

 私はマッチを取り出し、爪の先で火をつけた。

「器用なものね」と女は言った。

「どうも」

 そして私は三本目の煙草に火を移した。

「分かりやすく言うなら、私はそのクロックという男に依頼を受け、刑務所で所長の手引きで奴に会ったんだ。さも偶然をよそおってね。そして、奴のそばで奴を倒す算段をたてていたってわけさ。だが、一緒にいればいるほど、彼我(相手と自分。あちらとこちら)の差を見せつけられるばかりだった」

「でも……最後は奴を倒したのでしょう?」

「……倒した、ね」

 後ろでは、隣の席の男二人組の片方が、妻の悪口を話していた。結婚した時に比べて太ったという。しかし男の連れが、それはお前に合わせたんだよとわらっていた。



 ロッキードと私は町へと帰っていった。その間、ロッキードは無言だった。背中が不機嫌だということを物語っていた。

 私は言った。「……そりゃあ、計画が上手くいかなかったことは恥じてはいるが、仕事は終えたんだし、そうイラつかなくてもいいだろう」

 ロッキードはしばらく無言で歩いていた。そして言うべき言葉と感情の整理がついたのだろう、私をふり返って言った。

「このざまだ」

「……なんだと?」

「ちょいと腕が立つからと片意地張って背伸びして、率先して先を急いで遠回りをする。戦場に立とうとする女はいつだって軽率だ」

「へまを打つのは誰だってそうだ。女というのは関係ない。むしろ、女だからこそ生き延びこれたことだってあるんだ」

「さっきみたいにか? 服を脱がされれば黙ると見下され、侮辱を受けるような生き方が、そんなにさかしいか?」

「今こうして立ってる。それが答えだ。男だったら殺されてたかもしれない。そうでなくても足くらいは折られてただろうな」

「かもしれない、だがそれでも女は剣を持つ必要はない。剣を持つのは男の役割だ。女が男に守れらることは何も恥じゃあない。何事にも分相応というものがあるんだ。クロウ、鳥は飛びたいから飛ぶのでも、飛ぶ権利があるから飛ぶのでもないんだ。飛ぶようにできているから飛ぶんだぞ」

「私は“飛ぶようにできている”。抱いた男よりも切った男の方がはるかに多いんだからね。そりゃあ、私だって過去には男たちには力では勝てないと言われて、実際に何度も力でねじ伏せられてきた。女たちにはもっとさかしく生きろと言われて、実際に片意地を張って何度も大損をこいた。でもね、だからといって私が挑まない理由には、剣を捨てる理由にならないんだよ。例え私が翼があると勘違いしたウサギで、その阿呆が崖から飛び降りて当然の結果になろうとも、私はそれを受け入れる覚悟はできている」

「お前には覚悟があるから良いかもしれないが、他の女たちはどうなる? お前の様に剣を持てなければ、覚悟とやらが足りないダメな女だと言われるんだぞ?」

「これは私の生き方の話をしているんだ。他の女は関係ない。他の女は好きなようにやればいいじゃないか」

「お前が言っているのはそうであっても良いという話だ。俺はそうでなけれならないという話をしている」

「“そうでなければならないもの”、そんなものがこの世にあるのかね?」

「あるさ、そうでなければ、この世界にいったいどんな生きる価値がある?」

「私は世界に値札をはるつもりはないし、自分の人生の定価は自分で決める」

「そんな都合のいいことがあると思うのか?」

「さぁね。けど、世界は広いし時代は変わる。探せばいくらでも見つかるさ。三十年前には、お前さんたちは黒王国が無くなるなんて、想像もしなかったろう?」

 ロッキードは大きく深呼吸をすると、背を向けてのしりと歩き始めた。怒りで体が膨張しているのか、地面を踏みしめると木の根っこまでもみりしと音を立てていた。

「俺はできた人間じゃあない。怒りを鎮めるのには時間をもらう」

 よどんだ空からは、地面に音を立てるほどの大粒の雨が降り始めていた。

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