リアルトラズ刑務所

 私は一週間かけてリアルトラズの刑務所に足を運んだ。やはり城塞のような刑務所だ。外壁は雲をつくかのように高くそびえ立ち、壁面は綿密に切り出された石によって滑らかで、軽業師であっても上り詰めることはできそうにない。その堅牢さは、仮に大軍に攻め込まれたとしても、三か月は籠城ができるかもしれない。周囲には荒野が広がっている。木々の一つも見当たらない完全な荒野だ。これだけ見晴らしが良かったら、仮に脱獄できたとしても簡単に行方を知られてしまうだろう。この建物だけではなく、この土地そのものが監獄になっている、そんな場所だった。広大さとは裏腹に、空気にまで錠がかけられている。

 私は裏口に行くと、クロックの知人だという男・ロブの名を門番に伝えた。門番は驚くほど簡単に私を刑務所内に入れてくれた。そこまで地位の高い人間なのだろうか。いよいよ、一般人という言葉では済まない気がするが。

「……あなたがクロウさんですか?」

 案内された看守の詰め所には、特徴のない男がいた。人相書きをする者が苦労しそうなくらい、驚くほど特徴のない顔だった。私だって、明日、人混みで彼を見かけたとしても存在に気づかないかもしれない。

「ええそうです。そういうあなたがロブさんですか?」

「ええ、はじめまして。リチャードから話は聞いています」

 声も特徴がなかった。そして、彼の“リチャード”という言い方には、妙に慣なれていない、持て余すような響きがあった。

 てっきりこの詰め所で話をするのかと思ったが、私はリチャードに「こちらです」と、刑務所の最上階にまで連れていかれた。

「……所長、ロブです」

 ロブが言うと、奥から「入って」という声がした。デジャヴを感じるシチュエーションだった。

 中に入ると、正面のマホガニー製の机の前には、季節終わりのくすんだスミレの色をした中年の女が座っていた。くせのある髪は女の腰くらいまで長かった。惰性で伸ばしているわけではなさそうだったが、どこか彼女の現実をとらえ損ねている印象を与える長髪だ。度のキツイ眼鏡の奥のエメラルドグリーンの瞳が、興味深そうに私を見ている。窓の外からは、看守が囚人たちをなじる声が聞こえていた。

 所長が目配せをすると、ロブは部屋から出て行った。違和感を覚えた私は、彼が出て行った扉をしばらく見ていた。

「……遠路はるばる、よくお越しいただきました。ここで所長の任に当たっている、コバーンよ」と所長は言った。枯れかけているが、つとめて高い調子で声を出している。

 役人にうやうやしく対応されると、妙にむずがゆくなってしまう。しかも、この女の視線には一口で説明しづらいものがあった。私に対して一定の敬意があるようであり、それでいてどことなく敵意があり、そして彼方を想う懐かしみもあった。そしてこの手のまなざしは、単純な敵意を向けてくるやからよりも厄介だ。

「こちらこそ、まさか所長殿直々にご対応頂けるなんて、思っても見ませんでした。」私は扉を顎でしゃくった。「はもう戻ってこないのですか?」

「今回の件は、この刑務所全体の問題です。中途半端に職員がやり取りするよりは、ここの責任者の私が対応させていただく方が適切かと」

「それはそれは」

 私は舞台からあの役者は、もう二度と戻ってこないのだと思った。

「話はもう、ええっと、そうそうから聞いてあるわ。ロッキードを追うのでしょう? それで、貴女はどんな情報を求めているのかしら?」

「……まず、これは当然の話ですが、奴の情報をいただきたい。人相はもちろん、経歴、出身地、罪状、脱獄の理由、囚人を追いかける上では必要です」

「長旅の間に多少は聞かなかったかしら? それともその猫耳は飾りなの?」

 何故か、口先から所長は針を吹き出した。私はそれを表情を変えずに受け止める。

「もちろん。しかし、どれもが伝説に片足を突っ込んだような噂話ばかりです。何より、多くの住民が戦後に住み着いた者なので」

「……そうね」所長は少し姿勢を変えた。「……まず脱獄したのは改めて説明する事もないだろうけど、アンチェインの名で知られるロッキード・バルカよ。種族はオーク。身長はだいたい210エンド、転生者測量だと195センチくらい。オークとしては特に大きい部類じゃないわね。ただ、はかなりあるわ。でも、肥満というわけじゃない。他のオークと比べても、かなりの肩幅よ。ひと目見てそれがロッキードだと確信できるくらい。戦時中は……。」所長の言葉が少し。「戦時中はかなり活躍したみたいね。でも、いまじゃあそれが祟って体がボロボロよ。服役中も“問題のある”囚人だったから、長いこと独房に入ってて、頭も正気かどうか分からない。少なくとも、昔ほどの脅威はないわ」

「しかし、脱獄されたと」

 私も針を吹き出してみた。所長のエメラルドグリーンの瞳がくすんだ。

「……そうよ。何か疑問でも?」

「ここまで案内されただけでも、この刑務所がかなり厳重だという事がうかがい知れました。建物だけではありません。この周辺の荒野には木々はおろか、岩山だってない。脱獄し、さらに逃げおおせるなんてことが、果たして出来るのでしょうか? 看守が一日中ここを留守にしていたというくらいの理由がなければ、信じることができません」

「貴女は、あいつのことを分かってないわ……。あいつの荒唐無稽な噂話を聞いてきたのでしょう? けどね、それは噂じゃあないの。奴は忍んで脱獄したわけじゃないわ、正面から堂々と逃げおおせたのよ。もちろん、こっちだって殺害してでも止めようとしたわ。でも、転生者の遺産を持っていたとしても不覚を取りかねない相手なのに、剣や槍を持っている程度の兵士なら、それこそ大人と子供よ。奴を止めようとして、ここの兵士の多くがやられてしまったわ。今ではまともな男が残っていないから、ベクテルから新しく兵士を派遣してもらうよう依頼しているくらいよ」

「なるほど。では、今さらになっての脱獄の理由は? そんな怪物なら、いつだって出ようと思えば出られたはずです」

「……調べてみるわ」

「調べてみる」私はオウム返しした。

「そうよ、悪いかしら?」不機嫌に所長は答えた。もっとも、その不機嫌さには演技が見て取れたが。「ここにいる囚人はアイツだけではないのだから。言ってるでしょ? 人手が足りていないと」

「……分かりました。では、彼がいったいなぜ投獄されていたのかお伺いしても?」

「必要かしら?」

「クロック氏もロッキードは故郷を目指していると言っていましたが、私には正直囚人が愚直に故郷に帰るとは思えません。待ち伏せされてる可能性が高いからです。もちろんゼロじゃないが、そうじゃない場合、別のルートを探す必要があります。脱獄の理由が分からない以上、そこに何かを求めることもあるでしょう」

「……そうね」メロディアは机に反り返った。「罪状……奴は戦争が終わった後、人を殺したのよ。やくざ同士の縄張り争いの喧嘩で。それで戦争での殺しじゃないから殺人で刑務所へ。さっきも言ったように、問題のある囚人だったから、刑期が伸びに伸びて今に至ったってわけ」

「その現場がコルトであったと」

「そう、だから奴が故郷に戻ると考えられるのはそのせいなのよ。過去の精算をする為にね」

「過去の精算……とは?」

「その縄張り争いの渦中にいたのがクロック氏とロッキードというわけ。ロッキードは投獄され、関わったクロック氏は罪を問われず財を成した」

「……なるほど」

 なるほど、彼が私にロッキードが帰ってくる根拠を示したがらなかった理由が見えた気がした。しかし、それでもすっきりしない。クロックほどの男が、今さら私のような流れ者の心象の良し悪しなどを気にするだろうか。

 私は言った。「もう一つ分からないことが」

 所長は答えた。「何かしら?」

「奴、ロッキードはどうやって捕らえたのですか? アンチェインと呼ばれるほどの男です。どうやって命を奪わず捕え、しかも収監までたどり着けたのでしょうか? 裁判だってろくに開けそうにない」

 メロディアは机の上で組んでいる手を、さらに強く握りしめ目をそらした。

「……自首よ」

「自首?」

「もっと知りたかったら、後で資料も閲覧してもらうわ。……それで、当てはあるのかしら?」

「いや、まったく。けれど、クロック氏は私兵で奴を迎え討つと言っているし、私は私で気ままにやらせてもらいます」

「気ままにって……。」

「仕方ありません。故郷もそこへの道も、分かり切っていて重要なところはもう手配済みでしょうし」

 所長は何かを思案するように、重ねていた手をこすり合わせた。一体何だというのだろうか。

 私は言った。「そういえば、貴女はさきほど私の耳の事を仰っていましたね」

「……そうね。……それが?」

「いえ、私はいちおう耳のことは隠しているのです」私は髪に紛れ込ませている耳を指で指した。「これは厄介ごとをさけるためですが、所長殿はなぜ気づいたのですか?」

「……ああ、それね。私だって、方々の情報に気を配ってるのよ。刑務所の所長だもの、時勢には詳しくないと。だから売り出し中の貴女の事だって、多少は知ってるわ。あの方のご息女だということもね」

「ご息女」

 私はにやりとせざるを得なかった。

「何?」

「道端にばら撒いた種の一つが実っただけです」

「険のある言い方をするわね」

「アイツの、村が一つできあがるくらいいるだろう愛妾のひとりの、さらにその娘の人生が、いったいどれほど愛に包まれていたとお思いですか?」

「……そうかもしれないわ。けれど、どうあってもあの方は貴女の父親よ? あの方がいなければ貴女はないのだから、敬意くらいあって当然ではなくて?」

「あるいは、父と母が……特にあの男が私を仕込んだ時、やがて生まれてくる私を祝福しながら“いたした”というのなら、そうも思えるかもしれません。しかし、実際は酒に酔った勢いということもあったでしょう」

「……貴女はあの方を知らないのよ。あの方は神になろうとしたの。でも……神になることは悪魔を知ることでもあったのよ……。」

「なるほど、悪魔と駆け引きをする英気を養うには、何ダースもの女は必要経費というわけですね。……気になるのですが、口ぶりからすると、所長はあの男とお知り合いという事なのでしょうか?」

「違うわよ。……ただ、あの戦争を経験した者にとって、あの方は特別なだけよ……。」

 所長の声色は、いくぶん窮屈そうだった。本人もそれを自覚しているらしく、シャツのボタンに手をかけようとしていた。

「……分かりました。確かに、五王国の人間からすれば、あの男は救世主なのでしょう。ところで、差し支えなければロッキードの資料をすぐにでも拝見したいのですが……。」

「……ああ……そうね」

 所長が扉の外に声を掛けると、職員が入ってきた。所長は彼に私を資料室に案内するよう命じた。

 やはりロブは二度と私の前に現れる事はなかった。

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