リチャード・クロック

 ロッキードと出会う一か月ほど前、私はとある商人の屋敷に呼ばれていた。場所は黒王領ニューネスレの旧コルト。かつてはここの住民の多くはフェーンドやオークだった。しかし今では移住した人間が、まるで何十年前からそこが自分たちの土地であったかのようにふるまっていた。旧黒王領は、人間には住みづらい場所が多かったが、その土地は開拓が上手くいったのだろう、街を並ぶ商店が賑わいを見せていた。立場によってはそれは簒奪さんだつと呼べるのかもしれない。なにせ、彼らは地面をのに飽き足らず、この土地の名前すらも変えてしまったのだから。そのせいで、この土地の事を旅先で訊ねるときは、古い方の名前、コルトで訊かなければ答えてくれない場合があり、おかげで到着に少し時間がかかってしまった。新しい名前を知らないのか、それとも新しい名前を知ろうとしないのか、要するに名前ひとつとっても因縁が渦巻いている土地だった。

 その当時の私はまだ売り出し中だった。業界では“ゴールデンアイ黄金の目”、“殺しの子猫キル・キティ”と注目されつつはあったが、それはあくまで数少ない女性のレンジャーという物珍しさのせいであって、仕事に関しての評価ではなかった。しかし今回の依頼は、そんな私に直々に指名ということでギルドから話が入ったもので、この機を逃してはならないという焦りと、自分の実力を世間に知らしめることができるという期待が入り交じり、依頼を受ける前だというのに鼓動は速まり、私は屋敷の前で幾度も落ち着きなく身だしなみや刀の状態を確認していた。娼館に童貞を捨てにきた若造だって、その時の私を見たら肩を叩いて激励を送っただろう。

 分厚い玄関の扉をノックすると、老齢の執事が現れた。着ているスーツと同じく折り目正しい紳士で、見ているだけでこっちが清潔になりそうだった。

「お待ちしておりましたクロウさま」

 老人は清潔な真白いナプキンのような声であいさつをしてきた。しかし、磨かれたガラスのように薄く灰色の瞳は笑っているとは言い難かった。

「どうぞ、主人がお待ちしております」

 私は口角を釣り上げ白磁器のように冷たく硬い笑顔で応えた。多分、この老人は私の性別と年齢を見て面をくらったのだろう。これ以上、初心うぶな生娘然とするわけにはいかない。熟練の執事ならば、笑顔ひとつで十分な品定めができる。

 主人の部屋の前に案内され、「クロウさまがお見えになりました」と、扉越しに執事が伝えると、中から「入れ」とだけ声がした。執事は扉を開けて私を先に入室させた。

 部屋の中にはとしにして50代半ばくらいの男が立っていた。麦わらのような色合いの短髪だった。髪は頭頂部ちかくまで後退している。しかし、はげているというよりおでこが長いというように見える頭だった。面長で頭頂部がとがっていて、全体的に卵のようだった。青みがかった灰色の瞳をやけにギラつかせている。笑ってもいないのに、なぜか笑ってるような顔をしていた。ようするに、どこか人を小馬鹿にしている顔だ。彼がここの主人らしい。

「……よくお越しいただいたね、私がリチャード・クロックだ」男はそう名乗った。話す寸前に、一瞬笑顔を作るように歯がむき出しになる男だった。「私の話は……。」

「この土地の名士だと聞き及んでいます」

「……うん。まぁ、そこに座りたまえ」

 私は促されて、彼の机の正面にあるソファに腰を掛けた。男・クロックも、私の対面のソファに座ると、興味深いものを見るような目で私を見た。いくばくかの不安が見て取れるのは、先ほどの執事と同じだった。クロックが執事に目配せをすると、執事はうなずいて部屋を去って行った。

 私も彼を正面に見据え観察をする。この町一番の富豪というこの男、濁った湖のような眼は、どこか私の故郷の幼なじみに似ているものがあった。しかし、どれほど強欲でも毛髪だけは彼の手をすり抜けてしまったらしい。いくら金を積んでも時と髪は買えない。興味深いことだ。

 部屋の中は不釣り合いな家具や骨とう品で満たされていた。竜人の国の白磁器、ベクテルの貴族ご用達ようたつの画家が描いた裸婦画らふが、南方諸島の象牙、死ぬまでの蓄財ちくざいの量で天国に行けるかどうかが決まる宗教でも信じているのだろうか。それほどまでに、手あたり次第の栄華がその部屋には集中していた。

 私は言った。「この度は直々に私を指名いただいたということで、身に余る光栄です」

「うん……。」

 クロックは笑顔を作っては戻していた。何かを言いたげだった。

「……何か、手違いがあったと思われています?」

「いや、そうじゃない……女だし年齢が若いとは聞いていたが……その……。」

「思ったよりも美人だと?」

 クロックは笑った。作り笑いではなかった。この場で最初に波を作ったのはどうやら私のようだった。

「ご指名をいただいて光栄なのは先ほど申しましたが、しかし、どうして私に白羽の矢が立ったのでしょうか? 自分の腕には自信がある方ですが、そこまで私の名が広まっているとは自分でも言い難いものでして……。」

「ああ、それか、実は知り合いから君を推薦されてね……。」

「知り合いから? それは私の過去の依頼者ということでしょうか?」

「まぁ……そんなこところだ」

 なるほど、確かにここ最近、小規模だが盗賊団を討伐したし、過去の仕事の報復ということで命を狙われ、それをことごとく返り討ちにしたことがあった。その中の誰かが彼に私の事を教えたということだろうか。私としても、過去の依頼主の詮索せんさくをするつもりはなかったので、それ以上の質問は控えることにした。

 そこへ、執事がティーセットを持って入ってきた。

 クロックは言った。「黒王領ではろくな紅茶のもてなしができないというのが相場だと思っているかもしれんが、ここでは違う。君はどうやって紅茶を飲む? やはりジャムを入れるのかね?」

 どうやらこの依頼主は、女は甘いものが相場だと思っているようだ。

 私は言った。「いかようにでも」

「ふむ、仕事中だから控えるが、私は紅茶にブランデーをたらして飲むのが好きでね」

 執事が私の前のテーブルにティーカップを置く。私はそれを口に運んだ。

 クロックはお茶に手をつけずに私を見ていた。

「ところで……。」クロックは言った。「君の事を少し聞かせてもらえないだろうか?」

「もちろんです、貴方にはその権利があります。……私はクロウ。姓を名乗る必要はないでしょう。見ての通り、女ですが請負人レンジャーをやっています。腕には自信がありますが、証明できるほどのキャリアはつんでいません。もぐりの仕事が多いのも原因です。しかし、もぐりとはいえ、法に反するような仕事は受けていません」

「そうか……。私は見てくれにはこだわらない。私自身も、人間が少数種族とされた土地で成り上がった。……剣には自信があるみたいだが、実際にはどれくらいのものだろうか?」

「最近の仕事では、ひとりで盗賊団を始末しました。面倒でなければ、ギルドに確認していただければ、私の仕事が分かるはずです。依頼をするときに確認しなかったのですか?」

「いや、さっきも言ったように、知人の紹介だったものでね。そうか単独で盗賊団を始末したのか……。たいしたものじゃないか、良ければ手際を聞かせてもらえないか?」

「夜の闇に乗じたのですよ。夜目が効きますので、

「夜目……か。単純だが言われてみればなるほど、目隠しをした相手と戦っているようなものだからな。しかし、それだと、つまり、君はだまし討ちが得意という事になるのかな……?」

 私は立ち上がって右の人差し指を差し出した。

「……何だそれは?」クロックは訊く。

「握ってください」

 クロックは「いいだろう」という顔をして立ち上がると、私の人差し指を握った。

「両手でお願いします。そして、私の指を折ってみてください」

「何だと?」

「私の力量を知りたいのでしょう? これで折れるならば、私の指はそこらの町娘と同じだという事です。雇われる価値はありません」

「……どうなっても知らないぞ」

 クロックは人差し指を握る両手に力を込めた。力が入る寸前に私は人差し指を下げた。クロックにはまだ遠慮があるようで、力には加減があった。

「もっと強く」

「……これ以上は無理だ。折れてしまう」

「折ってくださいと言いましたが」

「冗談を言うな」

「……そうですか。では……。」

 私は左手で右手首を握ると、体全体を傾けた。

「うぉ?」

 クロックの体も傾いた。さらに私が自分の腕をひねると、クロックの体はさらに

「倒れそうならば、手を放すことをおすすめします」

「あ、いや、手が……放れない……。」

 クロックが傾いているところを、さらに私は体をひねると見せかけ、左手をクロックの硬直している右ひじにそえ、彼の体が倒れるよう促した。

「あぁっ?」

 クロックは床の上に転がった。最後は左手を使ったが、クロックからすれば右の人差し指一本で倒されたようなものだった。

「どうです? 他愛もないパフォーマンスです。しかし、この指が縫物ぬいものをするために備わっているのではないという事は分かっていただけたのでは?」

「あ、ああ……。」

 クロックは立ち上がった。立ち上がりざま、本人が乱れていると思っている髪を手櫛で整えた。もちろん、そんな毛量はないのだが。

 クロックはソファに座り直した。

「うむ、体術の心得があるようだ。初めて見る」

 クロックはティーカップを取って、ようやくお茶を口に運んだ。

「ああ、そういえば……。」わざとらしく、クロックは顔を上げて言った。

「何でしょう?」

「君の名前は少し変わっているね。特に女性にしては。名前の由来は……その、母親譲りだったりするのかね」

「……いいえ? どちらかと言うと父譲りです。父の国の言葉で“九番目の息子”を意味します。どうやら、父は私が男か女かは興味がなかったようで。……名前に何か気になるところが?」

「いや、特に。単なる好奇心だ。そうか……。」クロックはまだ熱さが残っているだろうお茶をかなり大めに口に含んだ。「ああ、それでさっき、君は私を名士だと言ったが、実際のところどれくらい私の事を知っているんだね?」

 私は言った。「リチャード・クロック。人間ですが、この土地には黒王統治下の時代から住んでいて、戦後は五王国の後ろ盾で石炭の採掘事業に携わり財を成したと。今では炭鉱の事業にとどまらず、この街に関わる仕事はすべて貴方の息がかかっていて、この街に存在する契約書には、必ずあなたの名前がどこかに記載されているとも」

「当たり障りのない回答だ。後半は脚色があるようだがね。しかし、ここに来るまでに聞いただろう? 私に関する後ろめたい噂の一つくらいも」

 クロックは再びお茶を飲んだ。

 五王国に魔族フェーンドがいるように、黒王領側にも少数ながら人間は住んでいた。歴史上、彼らは黒王側からは少数種族として、五王国側からすると背信の流民レネゲイドとして両方から疎まれてきた。そしてこのリチャード・クロックは、戦時中は黒王側にくみしていたが、敗戦となると手のひらを返し五王国にすり寄り、黒王領の解体に協力したのだという。土地を奪い、名を奪い、黒王領の地図を新しいものに書き換えた簒奪者さんだつしゃ。この男が財を成したとされる炭鉱も、元々はオークの貴族の所有物だったという。彼の掌にある金貨は、血とすすで汚れている。

 私は言った。「大金を手にするならば、その中にくすんだ輝きが混じるのは必然かと」

「どうやら、話の分かる女らしいな」

「時と場合によります。もとより金に臭いなどありませんが、遺恨はついて回りますので」

「なに、この依頼はレンジャーとして至極まっとうなものだよ。君をはるばる呼んだのは、とある悪人を成敗して欲しいからなんだ」

「自殺願望がおありで?」

「……面白い冗談だ。立場をわきまえていれば」

「流浪の身ですので、立ち位置が定まりません」

「なるほど、だが多少のマナーを覚える事をお勧めする。淑女たるものな」

「その忠告はしばしば耳にします。しかし、レンジャーを求める殿方の横には淑女は必要ないかと」

「……そうかもしれんな。まぁ、いい。仕事の話だ。君はロッキード・バルカを知ってるか?」

 その名前の響きに、私の体は反応せざるを得なかった。肩の筋肉が少し緊張してこわばった。

「……もちろんです。この稼業にいるものなら、誰もがその名を一度は耳にします。そして、その名が意味するところも」

 ロッキード・バルカ、その名はとても幼稚かつ単純で、大の大人が口にするのもはばかれる言葉、“最強”と同じ意味を持つ。それは旧黒王領に限ったことではない。大陸中の戦士たちのみならず、戦場をしらない女子供であっても、その名前がただ事ではないことは知っている。英雄でも悪役でも、ロッキードが登場する演劇が少なくとも20は存在するというほどに。

「そうか、なら話が早い」

「……そのロッキードの首を取れ、ということでしょうか。確か、リアルトラズ刑務所に収監されているという話ですが」

「先日、奴が脱獄したという知らせがそこの知人からあった」

「リアルトラズから脱獄ですか? そんなことが?」

 黒王領のさらに東、竜人の国との国境近くにあるリアルトラズ刑務所はそこいらの監獄とはわけが違う。重要犯罪に加え、オーガや竜人なども収監しないとならない。故にその造りは強固であり警備は厳戒だ。リアルトラズには入り口はあるが出口はない、そんなまことしやかな噂話だってある。

「奴の通り名を知ってるだろう」クロックはカップのお茶を飲み干し、空になったカップを名残惜しそうに見た。のどが渇くのだろうか。「アンチェイン、文字通りつなぎ留められない男という意味だ。監獄など意味などないさ。そして脱獄したアイツは、必ずここへやってくる」

「なぜここに帰ってくると?」

「それは……ここが奴の故郷だからだ」

「……なるほど。しかし、故郷に必ず帰ってくるとは限らないのでは? 脱獄しているならば、奴は賞金首のはずです。役人の追求だって激しい。そんなあからさまな行動はしないと思いますが。あの刑務所は竜人の国の方が近いのだから、向こうに逃亡する方が、逃げ切るには確実です」

「私には分かるんだ」クロックはきっぱりと言った。

「……そうですか。では、今回の依頼は貴方の護衛を含むロッキードの討伐ということになるのですか?」

「まぁ、そうだが……。」

 クロックは意味ありげにカップのふちを指でなぞった。

「……何か?」

「いや、奴が脱獄したしらせを受けてから、毎日が気が気ではなくてね。ここで奴を待つのなら、以前から雇っている者たちで足りるんだ。そういうわけで、君に依頼したいのは奴の追跡、その上での討伐なんだがね……。」

「奴は……必ずここに来るのでは?」

「もちろんだ。だが、言ったように、ただ待つだけなら君は必要ない」

「……わかりました。で、奴は今どのあたりにいるのでしょうか?」

「なに?」

「リアルトラズのご友人からロッキード脱獄の報せを受けたのでしょう? その時に、奴がどの辺りに潜伏しているかなどは聞かなかったのですか?」

「……いや、聞いてないな。彼はあくまで一般人なのでな、私に教えてくれたのは脱獄したということだけだ」

「なるほど。では貴方の望みは、貴方を思いながら行方の分からないバケモノを追い回し、旧黒王領、下手をすると五王国までを這いずり回り、ようやく出会ったならば命を落とす覚悟する、ということですね?」

「……君の態度は何か気に食わんな」

「いいですか、私は貴方の命を狙っている男から貴方を守らなければならない。それなのに貴方は私を自分から遠ざけ、さらに手掛かりもなしで何処にいるかも分からないその男を追えと言う。私が離れている間に貴方がロッキードにやられてしまったら、私は誰から報酬を受け取ればいいのですか? 請負人レンジャーは評判がすべてです。失敗すると分かって仕事を受けるのは、命を落とすのに等しいのです」

「……なるほど、そこまで想像は及ばなかったな」

「今は及びますか?」

 クロックは前のめりになって、右の親指と中指を重ね合わせた。「私が指を鳴らす。そうすると、私の雇いの者が君を袋にするという想像をしてみよう」

 クロックは乾燥した薄笑いを浮かべた。私は立ち上がった。

「失礼、商談は不成立ということで」

 私は背を向けて扉に向かって歩き始めた。絨毯を踏みしめる感触をゆっくりと味わいながら。

「ちょっと待ってくれ」クロックは言った。「そこまで無茶な依頼ではないだろう。私はロッキードを待つ、君は追いかける。挟み撃ちにするようなもんだ。君が奴を探している間に奴が来たら、私が自分の護衛とで迎え撃つ。私の方で奴を倒しても君には報酬を約束しよう。また私が奴にやられてしまっても、その後に奴を倒したら報酬を渡すよう、これからギルドにそう手配させておく。仮に奴を探し出して手に余るなら、所在の情報をくれるだけでもいい。どうだ、悪い話じゃないだろう?」

「……そこまでして奴を討ち取りたいのですか?」

「……用心に越したことはないということだよ。君に支払う報酬など、私の金庫を軽くすることだってできやしないんだしね」

「……分かりました」

「それに、何も手掛かりなしで奴を探せというわけじゃない。私に報せをくれた知人、彼は刑務所の職員でね。彼に聞けば情報がもらえるかもしれない」

「……一般人ではなかったのですか?」

「ああ、いや、一般人だ。だって、刑務所の職員は一般人だろう?」

 嫌な予感がした。この稼業のことわざで、“卵からかえるのは雛とはかぎらない”というものがある。依頼は受ける時にこそ気を配れ、という意味だ。しかし、“今日の卵は明日の雛にまさる”ともいわれている。私の心技体が充実しているうちに大きな仕事をてがける必要だってあるのだ。

 私はこの仕事を受けることにした。

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