夜に呑むふたり

 日没後、私はその町の酒場で飲んでいた。しかし、ロッキードの姿が見当たらなかった。あんなに大きな体が見つからないというのも妙な話だ。私はロッキードの姿を探し始めた。そこへ、昼間の役立たずのひとりが話しかけてきた。

「よぉねえちゃん、アンタ、あの化け物探してんのかい?」

 私は何も答えなかった。

「なんだいねえちゃん、あんなのが好みなのかよ? レンジャー生活長すぎて、男日照りが続いてんのか?」

 そいつの仲間が相槌をうつ。「違いないですっ、あんなおっかない戦い方するんですもの。まともな男は相手なんかしませんよぉ」

 請負人レンジャーとは思えないような小柄の男だった。農夫が収穫せずに、そのまま腐らせた瓜のような男で、油を塗りたくったような黒い長髪は臭いもしていないのに鼻を曲げたくなる。痩躯そうくの怪力というわけでもないのは、服の上からでも分かる。立ち方歩き方が、そいつの弱さを物語っていた。声は練習をせずにサーカスのピエロをそのまま演じられそうなくらい間抜けている。

「……かもしれないね」私は言った。「何てったって、ここに男はアイツしかいないんだから」

 男たちはしばらく呆けていたが、意味がようやく分かると全員が肩を怒らせた。

「……なんだとコラっ?」

 私は刀を傾けた。5人いたにもかかわらず、男たちは私に挑みかかろうともしなかった。やはり、ここに男はいなかった。

 しかし、例え腐ったような男であっても下手に煽るべきではなかったのだ。私だって、多少はしおらしさくらいを身につけていれば、この物語はあんな結末を迎えることはなかったかもしれないのだから。


 店を出ると、遠目に森の中で焚火の灯りが見えた。そして、その傍らには大きな岩石の陰が。私は酒の瓶をもってそちらに歩いて行った。

「……中に入らないのかい?」

 私は木にもたれかかっているロッキードに話しかけた。

「……いや、ここでいい」

「……もしかして、周囲の視線が気になるとか?」

「いや……。」ロッキードは腰を持ち上げ尻を撫でて苦笑する。「あそこの椅子はどれも小さくて尻が痛くなる」

 私も苦笑した。

「隣で飲んでも?」

「かまわんさ」

 私はロッキードの隣に座った。

「……昼間も、俺の隣に座ったな」

「迷惑かい?」

「いや、珍しいと思ってな」

「別に、体から毒針が出てるわけじゃない」

「なるほど」

「それに、人間の男の隣に座ると恋の駆け引きが始まったんだと勝手に思い込む奴もいるからね。それはそれで面倒だ」

 ロッキードは笑った。

「面白い女だ」

「よく言われるよ」

 私は缶を荷物袋から取り出すと、ロッキードに断ってそれを焚火で温めた。

 辺りに酒の匂いが漂い始めたところで、私は缶を火から取り出して中身をカップに注いだ。リザードマンの国の酒。修業時代から大切に飲んでいたが、これで最後になる。

「……飲むかい? 米から作った酒だ」

「……いただこう」 

 ロッキードは大きな口をすぼめてカップを口につけ、ずずっとすすってから酒を口内に含み、しばらく泳がせてから飲み込んだ。

 飲み込んだ後、ロッキードは「ああ~」と風呂に入っているみたいな、気持ちよさげな声を上げた。

「……うまいな」

「ああ、こうして熱すると、酒は飛ぶが香りが強くなる」

「ふむ……。」

 ロッキードの垂れたような顔が、より弛緩してだらしなくなっていた。そして木に深く腰掛けると、うっとりと焚火の火を眺め始めた。揺れる火の中に、かつての素晴らしかった思い出が映りこんでいるのだろうか。

「何もにしないでつまらなくないか? しかもこんな暗いところにひとりで」と、私は何も口に入れずに酒だけを飲んでいるロッキードに訊ねた。

「……大勢で飲むのに慣れてしまうと、酒と向き合わなくなるからな。酒だけじゃない、自分にもな」

「分かるような気もするが、もう少し説明してくれるとより分かりやすいと思う」

「酔いが体に回ると、その体が自分に語り掛けてくる。過去の傷が、生活の苦労が、その体の悩みを受け止めてやる必要がある。そして、酔いが回ったときに見える風景もまた、自分に語りかけてくるものがある……。」

 焚火の火で、ロッキードの顔が揺れていた。

「月の見事な円を、虫のささやきを、木々の萌える匂いを愛でるだけでも酒は飲める。そうでないのなら、酒は苦痛を紛らわすものにしかならん。生きることに向き合っていない酒だ」

 ロッキードはふたたび口をすぼめて酒を運んだ。

「……詩人だね」

 ロッキードは酒を飲み干すと、良い酒だと満足げに言った。

「せっかくだ、これを……。」

 そう言って、ロッキードは荷物から干し肉を取り出した。

「なんだ、あるじゃないか」

「これは非常食だ」

「悪いよ」

「いや、食ってくれ。俺ばかりが施されていたら心苦しい」

 ロッキードは私に干し肉を押し付けた。

「分かったよ」

 私はその肉を受け取ると、口で引きちぎって食べた。硬かったが、丸々として噛むほどに味の出る良い肉だった。

「……うん、うまいね。これ、何の肉だい? 小さいが鳥でもないし、ウサギにしては肉付きがいい」

「大ネズミだ」

 私の口が止まった。

「ゴブリンの間では、そいつはごちそうなんだ。客人をもてなす時に食卓に出す」

 私はしばらくゆっくりと咀嚼したが、すぐにまたしっかりと口を動かし始めた。

「……うん、美味いよ」

「気に入ったか、よかった。まだあるぞ?」

「いや、これだけで十分だ……。」


 翌日、私たちは街の人間の案内で、盗賊たちのアジトへ向かった。遠目から、奴らが根城にしている集落を観察する。

「……元々は廃村だったんです。村人が疫病で全員死んじまってから手つかずだったところを、奴らが乗っ取ったんでさぁ」

 案内人は私たちに説明した。

「本当にゴキブリだな」私は言った。

「……どうする? 今から行くか?」とロッキードは言った。

「……盗賊には二種類いる。腹をすかせた盗賊かそうでないか、奴らはたぶん前者だ。前回の強奪に来たのは烏合の衆だったし、その時の奴らの装備もメンツも、裕福だとは言い難かった」

「……なるほど、それで?」

「そういう奴らは何かと節約をする。例えば灯り。夜になったら、必要な所しか灯りはともさないし、その必要なところでも夜が深まる頃には消すはずだ」

「そこを襲うのか? しかし、こちらも見えないぞ? 松明たいまつを使うとこちらの動きがばれる」

「……私の夜目は、お前さんがた他種族とは雲泥の差なんだよ。月明りでもまぶしいくらいさ」

「……なるほど」

「ある程度始末したら、私が灯りをつける。それが合図だと思ってくれ」

「……一人で乗り込む気か?」

「斬り込み役だ」

「他の策はないのか?」

 私はとロッキードに迫った。

「……もしかして、私の心配をしているのか?」

「……。」

「昨日の私の技量を見てもまだ不安だと? お前さん、同じくらいやれる男と組んでても、同じ事を言ってたかい?」

 ロッキードは否定しなかった。

「この仕事を選んだ時から覚悟はしてる、男以上の覚悟が必要な中でね。そうやって今まで生きてきた、生き抜いてきたんだよ。そんな私を、女だからって気づかうのか? お前さん、私の事を侮辱する気か?」

「……分かった、お前に任せよう」

「そうだ、それでいいんだ」

「……では、アジトに挑むのは今夜という事で」と、案内人は言った。

「ああ、いったん町に戻って準備しよう」


 私は街に戻ると、道具の準備をし始めた。刀のほころびの有無を調べた後、道具屋で投げナイフを購入した。私の夜目にかかれば、暗闇での投擲とうてき武器は刀以上に強力だ。闇討ちのナイフだけで、10人以上の盗賊団をひとりで始末したことだってある。上手くいけば、ロッキードの出番すらないかもしれない。

「よぉねえちゃん、盗賊団の討伐に行くんだって?」

 そして今日も、役立たずたちから声をかけられた。男の背後には小男がいた。

「……何だ、お前さんたちまだいたのかい」

 男は地面に唾を吐いた。

「へっ、いちゃあ悪いかよ」

「私がお前さんなら、気まずくってとっとと出ていくがね」

 私は道具屋の店主にナイフ代を渡した。恐縮した店主が小声で「まいど」と言う。

「……いちいちむかつく女だぜ」

「だったら話しかけなければいい。どうして自分から不愉快な思いをしにくるんだ?」

 男はまた地面に唾を吐いた。レモンでも食ってるのか。

「まぁいいさ、お前ら盗賊団の討伐に行くんだろ? だがお前らはたったのふたりだ。人数が足りねぇだろうから、俺たちが加勢してやるよ。もちろん、報酬は山分けだ。お前のせいで、こっちは見込んでた報酬がなくなってオケラなんだ」

「私のせいだと?」

「あ、あなたが雇い主に余計なこと言ったんでしょうっ?」小男がようやく口を開いた。

「余計なことを言ったかもしれないが、余計なことを実行したのは雇い主だ。今からでも雇い主の屋敷にいって、申し立てでもしろよ」

 男は腰の剣に手をかけた。

「……よぉ、ちょっと使えるからっていい気になるなよ」

 私も腰の刀に指を這わせた。

「ちょっとどころじゃないんだな、これが」

「……言っとくがな、俺たちだってこの稼業は長いんだ。昨日はお前とオークの野郎に後れを取ったが、お前らがいなくったって俺たちだけでも奴らを追っ払えたんだぞ」

「そうかい。だとすれば、昨日はお前さんたちは“やろう”とすら思わなかったのか。何考えてたんだ? 妖精でも探してたか?」

「……テメェ」

「……おい」

 静かだが腹に響く声が私たちを制した。ふたりが同時に見た方向には、ロッキードの姿があった。動く緑色の岩山を背にして私は息をのんだ。

「……なんだ、オークかよ」

「俺の連れに何か用か?」

 物憂げな垂れ目だった。もっとも、本人は夕飯の心配をしているだけかもしれなかったが。

「ああ……。」男は私を一瞥した。「このスベタじゃあ話になんねぇ。よぉオーク、オメェ俺らと組まねぇか? 頭数は多い方が良いだろう?」

「……結構だ」

「なんだとう?」

「命を粗末にする必要はない」

「……テメェこら、俺らじゃあ力不足だってのかっ?」

「そうじゃない。彼女に聞いた所では、あの盗賊団は食い詰め者の集まりということらしい。無下に殺す必要もあるまい。盗賊に執着がないのであれば、少し脅せばこの一帯から出ていってくれるはずだ」

 もしかして、こいつは私を気遣ってたのではなくて盗賊の心配をしてたのか?

「ああん? 盗賊相手に情けって、つか昨日オメェだって散々殺しまくってただろうがっ」

「挑んできたんだ、仕方ない。しかし殺さずに済むならそうしたい」

「んだよ、うまいこと言って、本当は分け前が減るのが嫌なだけだろっ?」

 ロッキードは懐を探って、中から小袋を取り出し男に差し出した。

「昨日の報酬の、お前たちの取り分だ。これで勘弁してくれ」

「お、おい」私は思わずロッキードの前に立った。「何やってんだ? これは私たちの正当な報酬だぞっ。こいつらは昨日なにもしなかったじゃないかっ。取り分なんかあるもんかっ」

「いいじゃないかクロウ。もし盗賊が現れなかったら、俺もお前もこいつらも、何もしないで報酬をもらっていたはずなんだ。ただ馬車に乗ってただけでな」

「……だけど」

「へへ、ありがとよっ」

 そう言って小袋をロッキードの手から奪うと、男と小男はそのまま駆け出して去ってしまった。

「……呆れた奴だな」私は言った。

「クロウ、お前は相手に突っかかりすぎなんだ。金を払って解決するのなら、それでいいじゃないか」

「あんなクズに金を恵んでやるのなら、ドブに捨てた方が音が鳴るだけまだマシだ」

「そう噛みつくな。無駄に恨みを買わないのなら、それに越したことはないということだ。俺たちも仕事がしやすくなる」

「……分かったよ。ああ、それともうひとつ」

「なんだ?」

「お前さん、盗賊相手に情けをかけているのか?」

「無駄な争いは避けたい」

「戦争でさんざん人を殺したはずのお前さんが、今さら何を言ってる?」

「今さらだからだ。今だから、わざわざ殺したり殺されたりする必要はないんだ。もう十分だ、時代は変わったんだからな」

「……欺瞞だな」

「そんなに奴らを殺したいか? 恨みもない相手だぞ?」

「違……そうしないと私たちが危ないってことだ」

「殺さなければ自分の身が危ないというのなら、この稼業から足を洗った方がいい」

「……何だと?」

「クロウ、殺さなければ仕事が出来ないというのだったら、それはお前が人を殺して回ってるということだ」

「斬られても仕方のない奴らだ。私は自分のやってきたことに、選んできた道に一抹の疑問もないよ」

「その信念から覚めた時、自分がどれほどの罪に苛まれるか、お前に分かるのか?」

「……そりゃあお前さんの身の上ばなしかい?」

「……。」

 ロッキードはきびすを返し去って行ってしまった。まったく、優しい奴を傷つけると、いつも決まって胸糞が悪くなる。私は自己嫌悪で近くにあった樽を無意味に蹴った。しかし、痛みはより一層私のみじめさを強調するだけだった。

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