第一章 Somewhere Somehow Someone

アンチェイン

 待ち人来たらず。シスターからの依頼は思った以上に進展がなかった。かれこれ一か月以上になるが、誰一人として接触できていない。こうしてまた、あの氷柱つららのような声でなじられるのかと思うと、ますます酒がまずくなってしまう。だいたい、シスターだって私に面倒な仕事を依頼しておきながら、必要経費を払ってくれていないのだ。私だって好きでやってる仕事ではないのだし、ここは自分の配分でやらせてもらおう。私にだってそれくらいの権利はある。

「……もう一杯もらおうか」

 私はカウンターの店主に頼んで火酒を追加で注文した。酒を運んできたのは、栗毛色の巻き毛に頬に少し脂肪をたくわえた若い奉公人の青年だった。嫌みのない、感じの良い太り方をしている若者だ。私に酒を運ぶにも、いっさいの含みのない微笑みで給仕してくれる。

 飲み始めて一時間経つものの、私には誰も絡んでこなかった。国境にある街のこの酒場は、さすが五王国の中心と法治国家として名高いダニエルズとの間にあるだけあって、治安は私がこれまで訪れた酒場の中でも抜群に良かった。もちろん、この両国に挟まれているということは、住民がすべて人間、すべて同じ宗教の同じ宗派を信じているからだ。同族意識の高い仲間内では、道徳ひとつで十分秩序が保たれる。もっとも、その分盲目になるという事もあるが。私は自分が他種族だと知られないよう、耳を髪型に紛らせていた。

 私の隣に、誰かが座った。酒場にはまだ席が空いているし、カウンターだってまだ余裕がある。そいつはどうやら私に用があるようだった。

 隣を見ると、そこには40を越えたくらいの女が座っていた。やや大柄な女だった。白髪のふんだんに混じった紺色の髪と、皺の寄り始めた顔が、彼女の生活の苦労を私に教える。

 私は火酒を一口飲んだ。酒場と同じように、秩序の保たれた味のする酒だった。ようするに、退屈な味だ。私に用があるのかもしれなかったが、こちらからわざわざ話しかける必要もない。

 女が口を開いた。「……クロウさんで、お間違いないかしら?」

「……仕事の依頼だったら、あいにく当面は断ってるんだ。これでも仕事の最中でね」

「……お手をわずらわせるつもりはないわ。話をうかがいたくて貴女を探してたの」

「……話だけかい? そう言って、情に訴えて依頼を始めるという女もいるもんでね」

「お話だけよ」

「その後に耳障りな接続詞は?」

「つかないわ」

「分かったよ、信用しよう」

 女は給仕に酒を注文すると改めて話し始めた。「あなたの噂を耳にしたわ。最強の女剣士だとか、凄腕の請負人レンジャーとか……。」

「とびっきりの美女だという噂はなかったかね?」

 私はそう言って顔を撫でた。

「きっと……お顔を殴られ過ぎたんじゃないかしら」

「手厳しいね」

「……そして、あの“アンチェイン”を倒したという噂も」

「……噂だね。私は誰にもそんなことを話してない」

「……そう。でも、既知の間柄ではあるのよね?」

「……まぁね」

「貴女が奴を倒したかどうかはこの際どうでもいいの。もし、貴女が奴のことを知ってるのなら聞きたいのよ、奴の最期を」

「……もしかして、マダムは作家か何かかい? だとしたらお断りだ。お前さんの飯のタネのために、彼の話をする気はないよ」

「……違うわ。けれど、私にはそれを聞く権利があると思うの」

「なぜかね?」

 女は目に光を宿して正面を見据えた。視線の方向は店主にあったが、それでも店主が自分への用事だと勘違いしないくらい、その瞳には強い感情があった。

「……父を、アイツに殺されたから」

「……なるほど。しかし、もしかして戦時中の出来事と言うわけではあるまいね? それで権利なんかを主張されたら、私はアイツの話を遺族にするために、諸国を回らなくちゃあいけないことになる」

「……かもしれないけど、でも、私は……私たち家族はアイツの為に、戦後に肩身の狭い思いをして生きてきたのよ。そのきっかけとなったアイツの話を聞かせてくれてもいいじゃない。せめて、アイツがどういう最期だったかを、母と父の墓前に報告したいのよ。恨みとかじゃあないわ。これはけじめよ。誰にも話さないし、残そうとも思わない。私たち家族の人生に、せめてもの区切りが欲しいの。そうでなければ、父は世間の評判通りのただの不名誉な軍人でしかないし、私たちの家族はこれからも日陰者として生きていくしかないのだから……。」

 私は煙草を取り出してシガレットホルダーに差し込み、マッチに火をつけ煙草に火をともした。

「……正直」煙草をひと吸いしてから私は言った。「お前さんの話は少しも分からない。けれど、お前さんにとって大切なことだってのは理解できた。必要であるならば、奴の最期を話してもいい」

 女は懐に手を入れながら言った。「謝礼の方だけど……。」

「いらないよ。ただ話すだけのことに金なんて。だが、もしお前さんがどうしてもというのなら、今日の飲み代を肩代わりしてくれると助かる」

「……わかったわ」


 待ち人来たらず。待ってもいない人間が現れた。けれど、私はここで待つよりほか仕方ない。少しの時間つぶしにはなるだろう。



 陽気なオークとはもっとも陽気な男の事で、勇敢なオークとはもっとも勇敢な男の事だ。そして、戦時下においては陽気で勇敢な男に限って早死にしてしまうものだから、そういった男たちはめっきり姿を見せなくなってしまっていた。

 そして、ここにもまたひとり……。


 音もなく、けれど大粒の雪が降る夜だった。冬の最後の抵抗のような降雪。雲の合間からのぞいた満月が雪を照らし、地面が輝いていた。積もった雪の中を歩いてきたのは私たちふたりだけ。その足跡も雪で消され、私たちはまっさらな白金の舞台に立っているようだった。匂いは雪で澄んでいて、私の鼻孔から入った空気が私の胸の中を純白に満たしていた。まもなく、どちらかの血の匂いで胸の内が赤く燃え上がる前の、ほんのひと時の合間に。

 あらゆる音が雪に飲み込まれていた。世界中のどんな静寂よりも静かだった。そんな静寂の中、小さな物音がした。松の葉に積もった雪が落ちた音だった。

 ロッキードは松の葉を見て言った。

「寒青」

 ロッキードの目がうっとりとしていた。こんな状況だというのに。

「他の木々が枯れるほどの凍てつく雪風の中でも、凛として緑を残す松の事を、そしてその生きざまを指して言う……。」

 美しい言葉だと思った。その言葉の響きが、私の心に温かい烙印として残った。まさに、この目の前の男を表すにふさわしい言葉だ。

 美しい男だった。体は不釣り合いに肩幅と腕が大きく、緑がかった顔の鼻はオークの例にもれず、豚のようにつり上がっていた。しかしそれでも、真冬の松が歪んだ体で極寒に耐え緑を燃やすように、それはひとつのおもむきとして成立していた。

「……詩人だね」私は言った。

「……初めて出会った時も、お前は同じことを言ったな」

「……そうだったかね、忘れたよ。そして今日の事もすぐに忘れる」

 嘘だ。きっと私は冬の松を見るたびに、彼の事を思い出す。

 ロッキードは戦槌を振り上げた。

「お前がオークの女だったら、きっと惚れていただろうに」

 私は構えた。

「困ったことに、私と出会った異種族の男は、みな決まって同じセリフを口にするんだ」

「面白い女だ」

「よく言われるよ」

 出会った時も、こんな会話が交わされた。


 ふたりとも、構えてからしばらくのあいだ沈黙していた。旅の中で、お互いの技量はすでに見てきた。お互いが容易に動くことが出来なかった。

 ロッキードの戦槌が、ふわりと、まるで重さの無い羽箒はぼうきのように夜空に弧を描いた。戦槌の動きは次第に速くなり、やがて空気を、空間を強引に破き、彼の周囲だけ竜巻が起こり、穏やかな降雪は吹雪へと変貌した。

 まさに嵐。“嵐の終焉ストームエンド”、戦時中の彼の通り名だがなるほど、嵐をかき消すにはもう一つの嵐が必要というわけだ。


 逃げてぇ……。


 かすっただけでも肉が弾き飛びそうな戦槌さばき。自分で挑んでおきながら、私は嫌気がさして苦笑いを浮かべていた。あまりにも死が目前に迫りすぎると、人は却って自虐心ユーモアを発揮するものだ。

 そして、これから死ぬかもしれないというのに、私は揚揚と一歩を踏み出した。


 アンチェイン、いま終わらせやるぞ。お前は終わるべき時と場所をたがえた。戦後から彷徨さまよい続けたお前の終わる場所は、私が用意する。死にぞこなった幽霊の墓場を、このファントムが。


 恐怖の鎖が足に絡む。一歩、また一歩と進みながら、不退転の意思でその鎖を引きちぎる。

 風が私の頬を撫で、死の予告を耳元で囁いた。

 私は身を投じていく。絶命吹き荒れる嵐の中心へと。


 いいさ、やってやる。やるしかないんだ。


 風立ちぬ、いざ生きめやも

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