前史②

 そして数ある戦場の中では、戦術も戦略も無視されるような、奇形と呼ばれる異質な出来事が起こる場合がある。後に“ガードナー高原の悲劇”、と記憶される戦いである。

 ウォルマット歴1425年、“芽生えの月”初頭。その日、ガードナー高原では連合軍と黒王軍が隊をなして対峙たいじしていた。数度の局所的な敗戦はあったものの、戦略上の戦いおいては転生者の軍勢が優位であり、黒王側ではすでに敗戦色が濃厚になっていた時期だった。さらに、ターレスのように地の利を生かせるわけでもなく、また奇襲も望めぬ平地での戦い、そこで捨て身の黒王軍は、メロディア率いる転生者軍に挑もうとしていた。

 転生者軍は横一列に隊列を組み、ライフル銃で黒王軍を狙う。両翼にはエルフの騎馬隊が広がっていた。一方の黒王軍の長距離武器は弓矢のみ、正面衝突した際に威力を発揮する武装した戦象が十頭が、中央のやや後方にひかえていた。体格と数に利を活かすため、いかに接近戦に持ち込めるかが黒王軍の勝負所だったが、明らかに射程はライフル銃に圧倒的な利があった。


「あれれ~、もしかしてあのおサルさんたちは、このユーキ様から授かった武器で武装したぼくらに、あんなおもちゃで挑むつもりなのかなぁ?」

 弓の射程に歩み出ようとする黒王軍の歩兵隊。そのさまを、部隊の後方の移動式のやぐらに陣していたメロディアは、眼鏡の奥のエメラルドグリーンの眼光であざ笑った。十代後半の少女でスミレ色の髪をにまとめ、大きな丸メガネという戦場には似つかわしくないメロディアだったが、転生者は「王都の老害などよりも遥かに自分の意図を知る」と、彼女に信頼を寄せ部隊を預けていた。何より、銃火器で武装された軍隊である。指揮さえ誤らなければ、敗北することなどまずありえない。


「うわぁ、やっぱりでやるつもりなんだぁ~。しょうがないな~」

 メロディアが参謀に目配せをすると、参謀は号令をかけて兵士たちに黒王軍を狙わせた。

「え~とね、まだいいよ」

 そう言ったメロディアを、参謀は不思議な顔で見る。

「へへ~、せっかくだから、あいつらが自分たちの射程に入るまで待ってあげようよ」

「しかし……。」

「見たくはないかい? 彼らの顔が絶望に歪むのを? もしかしたらっていう希望を、出鼻でくじいてやるのさ」

「……。」

「最初っから勝つことが分かってる戦いなんだもん、そんな楽しみがないとやってられないよ」

 参謀は楽しげな顔を一つもせず、兵士たちにただ銃口で敵を狙うのみにとどめさせた。

 いよいよ弓が届こうという距離になった頃、参謀は不安げにメロディアを見た。

「……メロディア様」

 メロディアはグラスのぶどうジュースを優雅に飲み干すと、「仕方ないなぁ」と攻撃を命令した。

「って!」

 参謀の号令が各部隊長に届き、さらに部隊長の号令で一斉に銃口が火を噴いた。隊列の先頭に、炎と煙のカーテンが一瞬で浮かび上がる。

 弾丸に貫かれ一斉に倒れる黒王軍の弓兵。しかし、それでも彼らは前進をやめなかった。

「おやおや、見上げた根性だねぇ~。でも根性なんかじゃあどうしようもないってことがこの世にはあるってことを、あのチンパンたちに教えないとね!」

 メロディアは再び参謀に攻撃を命令した。

 再び銃口が火を噴いた。前列の弓兵たちやラッパ吹き、そして太鼓持ちが再び倒れる。しかし、黒王軍の兵士たちはそれでも進軍をやめなかった。

「……何考えてるんだろ、あいつら。とっとと逃げちゃえばいいのに」

 引かない黒王軍の兵士たちを見て、メロディアはきょとんとした顔で言った。

「……メロディア様」参謀が進言する。「お言葉ですが、決死の兵というのは、平時の人間の精神では想像も及ばぬ境地にあります。こと、現在奴らは国家存亡の危機にある状態。個の命など恐れるところがないかと……。」

「……ばかだねぇ~。じゃあこんくらべといこうかな? やっちゃえ~!」

 さらに一斉射撃を命じると、さすがに今度は黒王軍の進軍が止まった。

「……止まりましたな」と参謀は言った。

「……結局は誰だって命が惜しいもんさ」と、メロディアは得意げに参謀を見る。

 すると、黒王軍の集団の中から一人のオークが進み出た。

「あれれ? ひとりで出てきたよ? 降伏の申し入れかな?」

 前に歩み出たオークは、人間が二人がかりでようやく持ち上げられるというくらいの巨大な戦斧せんぷを地面に突き立た。

「我が名はアヴィオス! ザレムの戦士シンヴェンの息子、戦場の神の御名の元、汝らに決闘を申し込む! 我こそは武士もののふと自負する者は前に歩み出よ!」

 戦場が静まり返った。沈黙の薄皮を破ったのはメロディアの笑い声だった。

「うっはぁ! 何あれ!? すごぉい、骨とう品だ! ユーキ様が戦場を変えたことがまだ分かってないんだよ? こりゃあ黒王軍もジリ貧になるわけだ! 無様だねぇ!」

 しかし、彼女以外は誰も笑っていなかった。口を歪める者もいたが、あくまで愛想笑いだった。そして思う存分笑ったあと、メロディアはドスを利かせた声で命令した。

「……やれよ」

 メロディアの背伸びした命令にうなずき、参謀は狙撃手に指示をした。

 スナイパーライフルをかまえた兵士は名乗りを上げたオークの額をスコープで狙い、そして引き金を引いた。

「ごっ」

 弾丸がオークの額を貫き、巨躯きょくがどしりと音を立てて崩れた。

「アウトー!」

 メロディアはガッツポーズを取った。

 すると、順番待ちをしていたかのように、次のオークが前に歩み出た。

「はぁ?」

 次のオークも名乗りを上げた。しかし、名乗りの途中でメロディアは参謀に命じ、彼を狙撃させた。オークは名乗りを終える前に絶命した。

 しかしそれでもオークたちは引かなかった。隊列からまた一人、オークが歩み出たのだ。

 出てきたのは、面長でタレ目で眉毛が太く、戦場にありながらどこか弛緩しているような顔のオークだった。余裕の笑みを浮かべているようなその表情は、人を小馬鹿にしているようでもあり、一方で慈しみ深くもありそうだった。深い緑色の剛毛の長髪は三つ編みに編まれ、さながら頑丈な荒縄だった。他のオークに比べ特に背が高いというわけではなかった。しかし肩幅が以上に広く、その肩から伸びる腕に至っては、手と足を逆に取り付けたのではないかと疑ってしまうほどだった。まるで、その個体だけがオークの亜種のようだった。着用しているレザーアーマーは、五王国に生息していない肉食牛の皮でこしらえており、軽く柔軟性に長けており、クロスボウの矢も表面を滑るほどの防御力をほこる代物しろものである。

「我が名はロッキード・バルカ! ガイバルの戦士、マルコムの息子! 嵐の終焉を告げる者なり! 我こそはという者は前に出よ!」

 そのオーク、ロッキードの名乗りを聞いて兵士たちがに騒がしくなった。

「ロッキード……って、嵐の終焉ストームエンドのロッキードか? あの百人殺しの?」

「……マジか? 闘技場コロシアムで十年間負けなしって奴だろ?」

「俺はで残ったはずが、けっきょく全員追い返したって話を聞いたぞ」

「ドラゴンを素手で殺したんじゃなかったっけ?」

「それ、本当はワイバーンらしいぜ?」

「それでもバケモンだろ」

「思ったよりも小さいんだな」

「いや、十分デカいだろ?」

「だが山みてぇな怪物だって噂を聞いたが?」

「そんだけデカかったらオークじゃなくてタイタンだよ」

「すげぇ、本当に目にするなんて……。」

「ああ、俺もおとぎ話だと思ってた……。」

「肩幅広ぇ……。」

「もうひとつ通り名があったよな」

「え~と、……確か“繋がれざる者アンチェイン”だ」

 前に歩み出たのがロッキードだと気づいた参謀はメロディアを見た。五王国と黒王同盟が不干渉地帯と定めたエラウサット、そこは魔族と人間がしがらみを越え、利益を求めて交流する場所だった。ロッキードはそのエラウサットの闘技場において、素手での喧嘩ステゴロで10年間不敗という記録を持っていた。その相手にはオークはもちろんの事、それよりも巨大なオーガも含まれている。飲み屋で“種族問わず最強の男は誰か”、そんな話になったならば、誰もがロッキードの名を挙げないわけにはいかないほど、平時の時にでさえその名声は諸国に広まっていた。

「……メロディア様」

「何さ? 変わらないよ、さっさとやっちゃいなよ」

 メロディアは不機嫌な声を上げた。わがままを聞いてもらえない少女のそれだった。

「しかし奴は……。」

「何だい?」

「あ……いや……。」

 参謀長は再度、狙撃手に命じてロッキードを狙わせた。

 狙撃手はロッキードの額を狙い、そして引き金を引いた。

 次の瞬間、両軍の兵士たちは信じられない光景を目にした。

 絶命の弾丸が、戦槌の先端で弾かれたのだ。

 先例を見たうえで、敵の狙いを額だと読み取ったロッキードは、槌頭(戦槌の上部)を盾にして、死の凶弾を防いだのである。

「……な?」

 メロディアが目を見開いた。

「……マジかよ」と狙撃手がつぶやいた。 

「な、何してるのさ、たった一発弾かれただけでしょ? 早く撃ちなよ!」

 狙撃手が再び狙撃したが、ロッキードは再びそれを戦槌で防いだ。

「何してんのさ! 同じところばかり狙ってもしょうがないよ!」

 狙撃手は次に心臓を狙った。

 長年つちかった戦士の勘か、それとも遠目から狙撃手の動きの変化に気づいたのか、ロッキードは頭を槌頭の陰に隠したまま、体を横に向けた。

「……あ」

 狙撃手は気づいた。ロッキードの頭部は戦槌に守られ、体の急所は分厚い肩の筋肉で隠されていることに。

 それでも狙撃手は狙える場所をスナイパーライフルで狙撃した。

「うっ!」

 ロッキードの肩に弾丸が打ち込まれた。だが、ロッキードは小さく呻くのみで前進を続ける。

「まだだよ! 何してんのさ、もっと撃つんだよ!」

 メロディアに直接命じられ、狙撃手は再び狙撃した。しかし、弾丸は堅牢な肉食牛の皮でこしらえた鎧と、ロッキードの屈強な筋肉で阻まれ命には届かなかった。

「もっと! もっとだよ!」

 狙撃手は何度もスナイパーライフルで狙撃する。だが、ロッキードの前進は止まなかった。

「何という男だ……。」

 ロッキードの姿に、参謀はため息に混じりに言った。

 ロッキードは再び戦槌を地面に突き立てると、獣の咆哮のような声で転生者軍に語りかけた。

「どうした? 蜂に刺されたほどの痛みもないぞ!? 小指ていどの鉛など、いくら我が身を傷つけようと命には届かぬ! 我が命を絶つのは鋼の刃のみ! そっ首を叩き落さぬ限り、我が前進は止まらぬぞッ!!」

 それはむしろ、咆哮のような声ではなく、声のような咆哮だったのかもしれない。咆哮は兵士を鼓舞する陣鐘のように彼らの心臓に直接響き、兵士たちは胸の鼓動を激しくせざるを得なくなった。感化された兵士たちは互いに顔を見合わせる。

「……もう、一斉射撃でやっちゃいなよ」と、興も笑顔も冷めたメロディアが参謀に命じた。

「……いいので?」

「当たり前でしょ?」

 参謀はうなずいたが、それでも口をもごもごと動かすだけで命令を発することができなかった。

「なんだよ? もしかして、ぼくの命令が聞けないのかい? ぼくはユーキ様にこの場の全権を委任されてるんだよ? ぼくに逆らうってことは、ユーキ様に逆らうってことなんだからね?」

 参謀は口を歪めるだけだった。耐え難い苦痛は、額から汗として流れていた。

「はぁ……。もういいよっ、皆、殺っちゃって~」

 メディアから直接命令が下ったものの、兵士たちは各々顔を見合わせるばかりだった。

「貴様ら恥ずかしくないのか!」そこへ、ロッキードの怒号が直に兵士たちの骨身に響き渡った。「戦いの何たるかを知らぬ、チェス盤と戦場の違いも分らぬような子供の尻に敷かれ、ただ言われるままに指先ひとつで敵を殺すのみか!? 誰を殺したかも誰に殺されたかも分からぬ、そんな戦いに何のほまれがある!? 戦場の神がそんな貴様らに、死者の門を開くと思っているのか!? 汚辱おじょくにまみれた勝利を望むのか!?」

 戸惑う兵士たち。後方のメロディアは不機嫌に顔をゆがめていた。

「……早く殺れよ。……ん?」

 転生者軍の隊列から、ひとりの兵士が進み出た。中年の兵士だった。男はライフル銃を地面に投げ捨てると、鎧のぶつかる金属音を響かせながらロッキードへと近づいていった。

 メロディアは、誰に言うともなく訊ねた。「……何やってんだよ、あいつ」

 兵士はロッキードの前まで歩み寄ると、うっすらと青く輝くドラグタイト鋼のロングソードを抜き出した。

「我が名はエストル! キリル家のエスタックの息子! バンデロールの末裔! 聞こえに高い“嵐の終焉”、剣を交えるだけでも名誉と心得る!」

 晴れの日の満月の夜空のような、紺色の頭髪の中年の男だった。口ひげも頭髪と同じように紺色だった。体躯は大柄といえる部類だったが、ピンと伸びた背筋と堂々たる態度が、彼の体をさらに、オークにも見劣りしないほどに大きく見せていた。

 兵士の名乗りを聞くなり、メロディアの眼鏡はずり落ちた。「……はぁ?」

「キリルのエストル……その雄姿だけでも、戦場の神は満足であろう」ロッキードは微笑んだ。

「それだけではない、貴殿のを手土産に、死者の門をくぐらせてもらう」

 そう言って、エストルは青く輝く剣を構えた。屋根の構え※である。

(屋根の構え:切っ先を天に突き立て、姿勢を伸ばし、足は左を前にして肩幅に開く構え。多人数での戦い、または長期戦に向く)

 ロッキードは大きく朗らかに笑うと、戦槌を天高く振り上げた。

「上等ッ!」

 ふたりの様を見たメロディアは慌てて参謀に詰め寄った。

「ちょっと、あいつら何やってんだよ!? 参謀、とっとと止めてよ!」

 しかし参謀は何も言わずに、戦場の真ん中に立つ二人を見るだけだった。

「……参謀? ……ひ!」

 突然響いた金属音。ふたりの戦いが始まっていた。紺色のエストルは、屋根の構えからロングソードで斬撃を繰り返し、ロッキードは軽々と戦槌を操りその斬撃を防いでいた。

「……止める? いったいどうやってです?」と、参謀はメロディアに言った。その言葉には、どこか小娘を見るようなあざけりがあった。

「そ、それは……。」メロディアはうろたえた。「は、背信だよぉ! 上官たるぼくの命令に背いた罪で、この場で今すぐに射殺するんだ! あの不細工な怪物と一緒にね!」

「……はぁ」参謀は指で顎をかいた。「しかし、一騎打ちに応じてはいけないという命令も出されてはおりませんし……。」

「なっ?」

「それに存外、あの男、勝つやも知れませんぞ。ここで相手の出鼻をくじいたならば、むしろ士気を高めた手柄があるはずです」

「それはそうかもしれないけれど……。」

 戦闘は熾烈しれつを極めていた。繰り返されるエストルの連撃、それを防ぎ、かわすロッキード。エストルの攻撃の合間に戦槌の一撃が繰り出されるが、大ぶりの攻撃をエストルは難なく避けていく。

「やべぇ攻撃だな!」転生者軍の兵士が、ロッキードの攻撃を今まさに自分が受けているかのように肝を冷やしながら悲鳴じみた声をあげる。「かすっただけで体の一部が吹っ飛びそうだぜ!」

「ああ。……だが、あんなに大ぶりならば避けるのは簡単だ」

「しかし、当たれば一撃で終わる」

「……た、確かに」

「手先に当たれば手が弾け飛び、つま先に当たれば足が吹き飛ぶ。頭に当たれば意識がかき消える。とりあえずどこかに当たれば、その時点で奴の勝利だ」

 転生者軍の兵士たちは、文字通り手に汗を握りながら激闘の様子を見ていた。ある者は興奮して握り拳を作り、ある者は仲間の無事を祈って手のひらを強く折りたたんでいた。

 竜巻のような攻撃を繰り出すロッキード。その攻撃のすきを狙っての斬撃。攻撃は浅くだがロッキードを傷つけていた。

「おいおい、行けるんじゃないのか?」

 兵士のひとりがそう言った。誰もがそうあればいいと思った。だが、相手は聞こえに高い“嵐の終焉”だった。どんな激しい戦いも、彼の竜巻のような武器さばきによって、凪の如く沈められてしまうというのがその由来だ。

 戦槌での攻撃のすきを再びエストルが狙う。しかしロッキードはそれを先読みし、体勢の崩れた状態から前蹴りを放った。丸太のような足での前蹴りが、エストルの胸元に突き刺さった。けん制どころか、倒すに十分な威力の蹴りだった。エストルは突き飛ばされ、地面を転がった。

「うわ!」

 仲間の兵士が悲鳴のような声ではなく、悲鳴そのものを上げた。

 しかし、エストルは転がりながらもすぐに体勢を立て直し、そして立ち上がり剣を構えた。エストルの胸当てが、ロッキードの蹴りで軽くへこんでいた。

 倒れた所を狙っていたロッキードは、追い打ちで上げるように戦槌を振り上げた。紙一重のバックステップでそれを避けるエストル。風圧で、砂ぼこりが壁の様にエストルの眼前に広がった。

 一瞬の目くらまし。そのすきにロッキードの右腕はエストルの胸元をつかんでいた。

「う!?」

「捕まった!」と、転生者軍の兵士が言った。

 ロッキードはエストルを片手で軽々と持ち上げると、地面にたたきつけた。

「がぁ!」

 さらにもう一度ロッキードは兵士を持ち上げる。すると、兵士はロッキードの右腕に絡みつき、腕ひしぎ十字固め(相手の二の腕部分を両足のももで挟み、手首を両手でつかみ、自分の骨盤を支点にして体をそらし、相手の肘関節を逆に曲げる関節技)を極めにかかった。

「おお、そういえばエストルの奴、子供が生まれる前はソードレスリング(剣を持ち、鎧を着用したまま組み合う格闘を前提とした技術)で相当ならしたんだったな」と、兵士と既知きちの間柄の兵士が言った。

「ぬぅ!」

 ロッキードは相手が技の態勢に入ったと知ると、極められようとしている右の手首を左手でつかんだ。そして技を極められそうな状態のまま、高々とエストルの体を持ち上げにかかる。まるで、人間の体を武器として持ち替えたかのようだった。

 このまま地面にたたきつける気だ、周囲がそう思った瞬間、エストルは自分から手を離し技を解き、くるりと反転して地面に着地した。

「おっ?」

 持ち上げようとする勢いが余って、ロッキードは後退しながらたたらを踏んだ。

 そのすきをエストルは見逃さなかった。勢いよく飛び込むと、体重を乗せたドロップキックでロッキードの胸元を穿ったのである。体重差はあるとはいえ、ロッキードは体勢を大きく崩していた。斧で切られた巨木の様に、大きく仰向けにロッキードは倒れた。

 巨躯の相手につかまっても冷静を保ち、すぐさま反撃の技に転じ、それが返されようとしたならば執着せずに機を手放し次の行動に移る。血肉は沸騰していても精神は冷却され適切な行動をとるエストル、ロッキードに相対していた彼もまた優れた戦士であった。

 倒れたロッキードに対し、エストルは機を逃さんと追撃を試みる。

 飛び込みながらの刺突。

 ロッキードは腰間から巨大なナイフを取り出しそれを受け止めようとする。

 だが間に合わず、ロッキードは左腕で斬撃を受け止めることになった。前腕の肉を滑り、切っ先がロッキードの目の前で停止する。

「ぐ……ぬ……。」呻くロッキード。

 刃はロッキードの前腕にめり込み、骨まで届いていた。

 仲間の兵士たちは「おお~」とエストルが優勢になったことを喜んだ。

 しかし、周囲に見られるほど、状況は彼にとって有利ではなかった。

「く……む……。」

 ロングソードが、ロッキードの腕から抜けなくなっていたのだ。ロッキードの並外れた筋肉により、肉で剣が捕捉ほそくされていた。

 さらにロッキードは腕に剣をめり込ませたまま起き上がり、そのまま逆手に持ったナイフでエストルの喉元に刃を押し込んだ。剣と腕での鍔迫つばぜり合いだった。

「う……く……。」

 一見、エストルの方が有利に見えた。巨躯と言えど、ロッキードが武器にしているのは自分の腕。痛みに耐えきれず、やがて力が緩んでもおかしくはなかった。事実、ロッキードの腕からはおびただしい血が流れ、それが剣を伝ってエストルの手元から流れ落ちていた。

 しかし、嵐の終焉は自ら退くことを知らなかった。ロッキードは空いた左手で戦槌を取り、戦槌を振り上げたのだ。片腕でも使えるようだったがまさか、エストルの背筋から冷たい汗が流れた。

 この瞬間すぐに思い浮かぶ対応は、一時いっときでも武器から手を離し、そして攻撃の間合いから離れることだった。しかし、そうしてしまうと後はひたすら逃げ続けるだけになってしまう。それに、それを読まないロッキードではない。剣を離した途端、追撃で戦槌の餌食になるだろう。

 エストルは賭けに出た。ロッキードが、この勝負に左腕を差し出す覚悟あるかどうか。

「はぁっ!」

 剣に力を込めるエストル。しかし……。

「むぅん!!」

 ロッキードは気合いと共に踏ん張った。

「んな!?」

 さらにロッキードは力を込めて押し返した。剣を伝って、骨の感触がごりりと兵士の手に伝わる。

 左腕はさらに押し込まれ、逆手に持ったナイフはエストルの喉元まで届いていた。こうなっては、下手に逃げようと力の方向を変えると、かえってナイフが深く入ってしまう。

 エストルは瞬時の賭けに負けていた。ロッキードが腕を差し出す覚悟があるかどうかではなかった。彼が考えなければならなかったのは、自分が命を差す覚悟があるかどうかだった。

 地面に縫い付けられるように動けなくなったエストル。そんなエストルの頭上に、ロッキードは戦槌を振り上げた。

「見事だったエストルよ……。すさまじい強者、素晴らしい武人よ。貴様のような男と戦えたことを嬉しく思うぞ」ロッキードは剣のめり込んでいる腕を見る。「この季節になれば、この腕の古傷が痛むだろう。……貴様が付けた傷だ。このロッキード、その度に貴様を思い出す」

 エストルの体が痙攣し、体中から汗が吹き出ていた。死が、眼前に迫っていた。

 叫ぶロッキード。「我と共に生きよ、強き友よ!」

 恐怖しながらも、涼し気な笑みで覚悟を決めるエストル。「至極……恐悦!」

 戦槌がエストルの頭に振り下ろされた。エストルの頭が軽やかな音を響かせる。頭蓋骨の砕けた音だった。

 しばらくの間、どちらの陣営も声を発さなかった。ロッキードの陣営の黒王軍の兵士でさえ、神聖な儀式が終わった後のような面持ちだった。

「……な、な、なんだよ~! 結局やられちゃってるじゃないか!? 馬鹿なんじゃないの!?」

 静寂を破ったのは、またしてもメロディアだった。

「もう、だから言ったじゃないか! どうせ死んじゃうんだったらとっとと一緒にやっちゃえばよかったんだ! もうこうなったらぼくの命令をちゃんときいてもらうからね!?」メロディアは兵士たちに命じる。「みんな、もう一斉に撃ちまくっちゃって! 一方的に圧倒的にやっつけちゃうんだ! 常勝完勝圧勝、これが転生者軍のスローガンさ! ……撃てぇ!」

 メロディアの悲鳴にも似た命令が発せされたが、銃声は響かなかった。

「……みんなどうしたんだい? ねぇ!?」

 メロディアの声が虚しく、場違いな十代の少女のヒステリーのように響いていた。

 がしゃりと音がした。兵士のひとりがライフル銃を地面に落とした音だった。

 すると、ひとり、またひとりと銃を捨て始めた。

「……なに、してるんだよ」

 兵士のひとりが隊列から歩み出た。

「立てダニエルズの子ら、ヘルメスの子らよ! 死を手にしてよい者は死を知る者のみ!」

 さらに次々と兵士が前に進み出た。

「我に続け、今こそその命を賭ける時!」

「死して永遠の栄光に生きよ同胞よ! なれば我ら不滅なり!」

「不滅を!」

「されど敵を滅せよ!」

「滅!」

 兵士たちは剣と盾を打ち鳴らし行進し始める。

「王のため! 国のため! 翼竜の飛ぶ緑の故郷のため!」

「命を捧げよ、一騎当千のつわものたちよ!」

 両軍双方の兵士たちが駆け出し始めた。

「成せ!」

「さもなくば死ね!」

「死者の門をこじ開けろ!」

「こじ開けろ!」

 叫ぶ人間たちに、吠える魔人たち。

 双方の咆哮で大気がうねり、足音で大地が揺れ、両軍の兵士が衝突した。

 先頭の人間は飛び膝蹴りで突っ込み、されどオークの戦槌で自陣へと吹き飛ばされ、さらに味方に盾で背中を弾かれ敵陣に舞い戻った。命そのものぶつけ合い、我が身を粗末に扱う者同士での戦い。鎧と、武器と、肉と、骨が、壮大な交響曲を奏でていた。

「あ、あ、あ……。」

 自分のコントロールを完全に外れた戦場と、嬉々として死に挑んでいく男たち。メロディアは目の前の光景について行けず、ただ愕然として呻くだけだった。参謀は、そんな彼女がもうこの場では役に立たないこと、そして年端もいかぬ少女が命を落とす必要はないと、側近に命じてメロディアを戦場から逃がすようにと命じた。しかし……。

「な、何を言ってるんだよっ? ぼくはここの指揮官だよっ? そんな、逃げるだなんて……。」

「この場を抑えられなかったのは、ひとえに私の責任です」

「あたりまえじゃないか! で、でも、ひとりで逃げ出したりなんかしたら、ユ、ユーキ様に、転生者様に顔向けできないじゃないか!」

 転生者が失敗した者に対して容赦ないことはよく知られていた。とかく人の失敗には厳しく、厳しいことが上に立つ者の仕事だと思っている節さえあった。

「それに、まだ負けたわけじゃないよ! いいかい、ぼくの言う通りにするんだ! 両翼の騎馬隊をとにかく前進させて!」

「両翼の騎馬隊をですか?」

「そうさ! このままだと化け物相手には押し負ける! きっと陣形が歪むはずだから、逆に利用して騎馬隊を押し上げて包囲するんだよ! 背後からの攻撃を、あんなどんくさい集団がすぐに対応できるわけがないんだから!」

「なるほど、悪くない作戦ですな……。」

「当り前さ! これはユーキ様得意の戦術なんだ! 名付けて“カンネエ”、この作戦で初陣を勝利して、ユーキ様は王都の疑り深い老人たちを黙らせたんだ!」

「……すでに利用された戦術なのですか?」

「だから言ってるじゃないか! ユーキ様得意の型だって!」

「……かしこまりました」

 、参謀は一抹の不安を抱えながら号令をかけた。


 メロディアの予想通り、押し込まれた連合軍は陣形を凹の字にゆがめ始めた。そして騎馬隊をあえて集中させて突撃させたことにより、さらに陣形は急激にゆがみ、やがて黒王軍さえも通り過ぎた騎馬隊は、行き先を変えて黒王軍の背後に襲い掛かった。


「へへ~ん、どうだい! 恐れおののけビビりまくれ! たとえぼくらの方が兵が少なくったって、この戦術で一気に殲滅せんめつだい!」

 メロディアは得意げに参謀を見た。しかし、参謀の顔は晴れることがなかった。

「ちょっとぉ、ぼくの初陣大勝利をもっと喜んでよ~」と言って、メロディアは参謀の頭をぺしぺしと叩く。

「……あれは?」と、参謀が目を細めていった。彼は敵陣の動きに異変を見たようだった。

「うん?」


「アッララ~~イ!!」

 大勢の屈強なオークとオーガたちが、戦象にくくりつけた綱を引っ張っていた。象も抵抗しているとはいえ、何十人もの魔人の精鋭に引っ張られ、苦しそうに体をのけぞらしている。


「……あいつら何やってんだ? もしかして、無理やり象さんを後ろに向けようとしてる? ぷっふふ~! 無駄無駄! そんなことしたって間に合わないのにね~!」

 大笑いするメロディア。しかし、参謀は「まさか」とつぶやいた。


「アッララ~~イ!! アッララ~~イ!!」

 なおも黒王軍の兵士たちは戦象を引っ張り続けた。すると、悲痛な叫び声と共に象が大きくのけぞり、そしてズシンと地鳴りを立てて横転した。それも一頭ではなく、二頭、三頭と、立て続けに黒王軍の兵士たちによって象は倒され続けた。


「なんなんだよあいつら、自分たちの象さんをいじめて? 頭がおかしくなったんじゃないの?」と、メロディアがうろたえながら言う。

「まさか……そんなことが……。」と、参謀が頭を抱えて言った。

「え? なんだい? あれがどうしたってのさ? ……あ」


 黒王軍の用意した十数頭の象。それがことごとく倒されたことにより、戦場には即席の壁が作り上げられていた。

 そして、背後から黒王軍を襲うはずだった騎馬隊は、その壁に阻まれそれ以上の前進が出来なくなっていた。黒王軍は、動きを遮られたことにより停滞している後方の騎馬隊を、十分な余裕をもって迎撃する準備を始める。倒れている象の隙間から侵入を狙った騎馬隊は、オークの槍の部隊によって、狙い打ちされるかのように串し刺しになった。


「何という奴らだ……。人外とはいえ、ここまで非常識な戦術で対抗してくるとは……。」

 参謀は恐怖しながらも、感嘆せざるを得なかった。


 ただでさえ黒王軍に対して少ない勢力で挑んでいた転生者軍は、メロディアの采配による包囲のためにさらに戦力が分散していた。そのため、後方からの援護を失った前線は、あれよあれよと進撃され続けた。黒王軍のオークやオーガの勢いに押され続けた転生者軍の人間やエルフ、ドワーフたちの中には、剣を交えずに圧死する者さえいた。

 そしてさらに中央を突破した黒王軍は左右に分かれ、逆に転生者軍を包囲した。

 黒王軍一万、転生者軍七千五百、もとより転生者の装備に頼って寡兵で挑んだ転生者軍に、こうなった以上は勝ち目がなかった。


 黒王軍に包囲され斃れ続ける仲間の兵士を見ながら参謀はメロディアに告げる。

「……メロディア殿、私の側を離れまするな」

 参謀は顔面蒼白に、しかし眼光鋭く腰の片手剣に手をかけた。

「そんな、そんな……こ、こんなことが……転生者様から授かった軍隊が……。」

 メロディアは震える手で懐から拳銃を取り出した。

「……その代物は、自害する時に取っておきなされ」

 メロディアは仰天して参謀を見る。

「そんなもので、この戦況をひっくり返せるとでも?」 

「あ……あう……。」


 熱気こもる乱戦の中、いよいよメロディアと参謀が座していた移動にオークのひとりが襲い掛かった。参謀は片手剣で立ち向かうが、一呼吸も置かぬうちにオークの戦斧の切り上げでそら高く舞い上がった。

「ひ、ひぃ!」

 見知った人間がいともたやすく絶命する光景に、メロディアは腰を抜かし尻もちをついた。

 しかし、オークはそんな彼女を一瞥いちべつすらせずにその場を去っていった。


 こうして、自軍を上回る多勢に包囲された転生者軍は徹底した殲滅せんめつを受け、八割以上の兵士が死傷した。

 死屍累々ししるいるいの光景。先刻までうっすらと緑が広がっていたガードナー高原は、今では余すところなく、赤と黒に変色していた。死体を踏まずに高原を横切ることが不可能だというほどに。

 転生者軍の指揮官だったメロディアは、放心してその場にとどまり続けていた。幾人かの黒王軍の兵士が彼女を一瞥したが、少女を捕虜にするのは武名の恥として、ことごとくこれを無視をした。彼女は敵だとすら認識してもらえなかった。


 これが転生者戦争において、“ガードナー高原の悲劇”と称される戦いの顛末てんまつだった。この戦いの結果は転生者の怒りに触れ、戦死した兵士たちは恥さらしとして階級を上げられず、故郷に残された家族たちは遺族補償を受け取ることさえできなかった。

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