第4部 静かな時代の階段を

前史①

 ウォルマット歴1413年、転生者率いる五王国連合は黒王同盟への侵攻を開始した。同盟の高い結束と、名君として聞こえの高い“尊厳王”アムネストへの攻撃は、当初は五王国中の王侯諸将から無謀であるとの反発を受けていた。かように戦争を好む者の転生は失敗であった、それが当初の賢者たちの見解だった。しかし、銃火器で武装された転生者の率いる軍勢は、瞬く間に黒王同盟下の小国を制圧し、何十年も拮抗していた勢力を覆し始めた。その勢いを見た五王国の王たちは、手のひらを返して転生者の元へ馳せ参じ、それまで時には対立していた五王国連合は転生者を擁するベクテルを中心としてひとつの国へと変わっていった。強力な中央集権国家の誕生である。

 結束し強固な国家へと変貌を遂げた怪物に、緩やかな同盟だった黒王軍はますますなす術がなくなっていく。国家への帰属意識によって統制された軍隊と、先進的な兵器で武装した兵隊とは、さながら幼年兵の集団に殴り込む熟練兵ほどの差があった。


 しかし、どれほど戦力に差のある戦争であろうと、長く、そして多くの戦闘の中では例外が存在する。


 黒王の同盟国を制圧した転生者は、ついに黒王の直轄領へと侵入した。その連合軍を迎え撃ったのが、知将として名高い魔族フェーンドのターレスだった。しかし、それまでターレスの名は“退きのターレス”という、不名誉な名で知られていた。下級貴族の家柄だった彼は、決まって敗戦色が濃厚のうこうな戦場の指揮を押しつけられ、残された彼の戦闘手段はほぼ撤退戦だったからだ。自分たちで命じておきながら、そんな撤退戦に徹する彼を黒王軍の諸侯しょこうですら臆病者として軽んじることもあったが、本人はどこ吹く風、彼の信条はより多くの兵を故郷に帰還させることのみだった。

 ターレスは言う。

「生存こそ戦術の本質よ。愚かな将ほど敵をいかに殺すかということに腐心する。痛めるならば、その前に味方を生かすことに頭を使うべきであろう」

 しかし“氷塊ひょうかいの森の戦い”において、ターレスの名は歴史に刻まれることになる。

 季節は冬の真っただ中だった。冬の黒王領は氷点下にまで落ち込むこともあるため、冬の行軍は自殺行為だとみられていた。しかし、連合軍も兵站へいたんを怠ったわけではなく、彼らは物資を万全に備えたうえで黒王領への進攻していた。彼らの遠征の目的、それは捕虜たちを奪還だっかんし黒王領の民を“解放”することだった。

 捕虜の奪還だっかん、民衆の解放は驚くほど順調に進んだ。なぜなら、ターレスは小競り合いとも呼べぬ戦闘を交えると、すぐさま撤退したからだ。しかし、その撤退こそがターレスの罠だった。彼は丹念たんねんに、策略の糸を森の木々の隙間にまで張り巡らせていたのである。

 ターレスは撤退と同時に、村々の作物を住民が生活できるていどに残して略奪りゃくだつし、さらにケガを負った捕虜たちを村に放置した。無傷で勝利し目的を果たした連合軍は、最初の方こそは喜び勇んでいた。

 ある兵士は述懐じゅっかいする。

「わたしたちは連戦連勝をかさねました。仲間に死者が出ないこと、これもまた転生者の奇跡だと歓喜していたのです。やはりわたしたちの戦いは間違っていなかった、彼こそが神託の転生者なのだと皆が確信していました。“ユーキ様万歳、ユーキ様万歳”、そんな兵士たちの声が黒王領に響き渡っていたのです」

 だが、ゆく先々で同じことが続くと状況が変わってくる。保護した負傷兵は増え続け、“解放”という名目で戦っている連合軍は、村人から略奪をするわけにはいかなかった。それどころか、長い冬を越すための物資を、解放した村人に施さなければならなかったのだ。

 当初の予想よりも減りの速い兵站。人数は増えるがろくに戦えない軍隊。疲弊ひへいして伸び切った戦列。気づけば連合軍は、銃器を所持した烏合の衆と成り下がっていた。そして黒王領への侵攻から半月が経過し、連合軍が黒王領の半ばまで侵入した時、そこにいたのは進軍する兵隊ではなく、流浪する難民であった。それがターレスの歓迎だと知らず、転生者軍たちは領地のさらに奥へと進んでいった。なお、転生者は冬の寒さに耐えきれず、後は自分の言うとおりにしていれば勝利は間違いないと、進軍の途中で王都へと帰っていた。

 ターレスは辛抱強く機が熟するのを待っていた。そして勝算の果実が熟れて落ちた時、ターレスは残酷なタクトを振り下ろした。

 かくして虐殺の交響曲がかなでられた。ウォルマット歴1419年、“凍土の月”の月終わり、冬の合間の、のびやかな青空の下での出来事だった。

 ターレスの率いる軍勢は、雄たけびと共に伸び切った連合軍の戦列を真横から挟撃した。烏合の衆と言えど、銃火器で武装した集団である。対する黒王軍の遠距離武器は弓と投石、さらにそこから肉弾戦を試みなければならなかった。しかし、疲弊と恐怖に支配された連合軍は、決死の覚悟で挑む黒王軍とまともに戦うことができなかった。次々に殺されていく人間とエルフ、指揮を取る将兵は逃げぬよう兵たちを叱咤しったするものの、その彼らもに剣を交えることなく、頭上から降りてきた小鬼人リリパット無音殺部隊サイレンサーに喉をかっ切られた。

 分断され指揮官を失った戦列はさらに細かく散り散りになり、もはや連合軍は集団ですらなくなっていた。幼年兵の集団と熟練兵の戦争はこの場においては一転し、逃げ惑う乙女と荒れ狂う暴漢という様相をていし、戦いは火ぶたが落とされて一時間と経たないうちに事後処理へと移っていった。

 この戦いの報せは、黒王軍にとどまらず五王国までも震わせた。そしてこの瞬間、ターレスは“退きのターレス”から“奇跡のターレス”へと自分の歴史書の記載を書き換えたのだった。

 さらにターレスはいったん略奪した物資をすぐさま村々に戻し、彼らの生活を支えられるのは黒王だけであることを、改めて民衆にすりこんだ。転生者の軍隊など、口先だけの集団に過ぎぬと。こうしたターレスの働きにより黒王の同盟は結束を高め、良くも悪くもターレスは転生者戦争を長期戦へと持ち込むことに成功したのである。もっとも、彼の理想は長期戦を外交カードにした早期の講和だったのだが、一介の将軍である彼の意見は戦場を飛び越えることはなかった。

 このように、黒王軍が転生者に勝利した数少ない戦いの背後には、優れた戦術と戦略の存在があった。

 しかし歴史的に振り返れば、その知将たちの戦略と戦術も、転生者が航空爆撃機を戦争に導入するまでの時間稼ぎにしかならなかったのだが。

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