エピローグ、もしくはプロローグ

 ベクテルとヘルメスの国境近くにある交易の街、怪我が完全にえた後、私はそこに呼び出されていた。

 由緒ある武門のエルフの国と五王国の首長の国境くにざかいに位置するこの街は、かつては取り締まりが厳しく、違法な取引などありえなかった。しかし、ヘルメスが事実上崩壊した今では、この街には違法な物品の売買が往来で行われるほどに荒廃していた。道を舗装するには時間がかかるが、荒れるには時間を要しない。とはいえ、道の舗装といっても、それはあくまで馬車を使う側の都合だ。歩かざるを得ない側は、道にあった靴を履かせられ、さらには歩き方さえそろえなければならない。結局のところ、人は道を歩くためにそれ以外の歩き方を忘れさせられる。

 露店の店主がふかしてる煙管からは、鼻を刺すような臭いがしていた。阿片だろう。その店主は私を見るなり、前歯の欠けた笑顔で異国の言葉をつぶやいて、自分の股間を握りしめた。異国の言葉であっても、語感や身振りから私を侮蔑したのが分かった。私も異国の言葉で言い返したが、店主は何を言われたか分からず、ぽかんとした顔をするだけだった。

 指定された教会に行くと、そこはもう何年も昔に打ち捨てられた廃墟のようにひどいありさまだった。石畳のあいだには雑草が生い茂り、木々の枝は伸び放題、建物の扉は外されていた。

 教会の中に入ると、そこではサマンサがひとりでせっせと教会の修復をしていた。祭壇の周りを雑巾で拭いたりしているのだけれど、到底そんな努力では教会が元に戻るとも思えなかった。まるで古い神話にある、生前の罪の償いのために河原で石を積み上げる罪人の様だった。しかし、サマンサの顔には悲痛さは一切なかった。

「……しばらくだね」

 私はサマンサに声をかけた。シスターは私を見ると、雑巾をバケツに入れて絞り始めた。私は長椅子に腰を掛けると、サマンサがこちらに来るまで待った。しかし、彼女はそんな私にお構いなしに再び雑巾をかけ始めた。可愛らしい尼さんだ。

「……お前さん、私が死んだって噂流したろ?」

 サマンサは雑巾をかけながら言った。「無茶をやった貴女のために、わざわざ手を回したんですよ」

 サマンサはようやく私を見て、感謝なさいと言った。

「感謝……ね」

「当然です。ワタクシが貴女に依頼したのは、ブラッドリー・ジョーンズがとの繋がりがあるかどうか調査すること。そして、もし繋がりがあった場合は彼を捕らえるという事のはずでしたわ。たった一人の身辺調査です。それがどうしてあんな大騒ぎになるのです? 何十人ともやりあって、しかもブラッドリーは殺害、果ては役人までも巻き込んで、貴女の名前があの街だけでなく王都にまで聞こえる始末です。以来、貴女の身を隠すために尽力したワタクシたちの努力が、まったくの水泡すいほうしたのですよ?」

 氷柱つららのような声を聞いている間、私は煙草をシガレットホルダーにセットしていた。

「……シスター」

「何ですの?」

「前置きが長いよ……。」

「話をややこしくしたのは貴女です」

 サマンサは、私のことをより一層きつくにらんだ。

「ここは教会、神の御前です。煙草はご遠慮いただけませんこと?」

「……こんなところにいるとしたら、そりゃ多分疫病神のたぐいだよ」私は周囲を見渡して肩をすくめた。

「ブラッドリーに関しては、場合によっては生死問わずデッドオアアライブという話だった。それに、奴を見極めるためには、どうしてもやらないといけないことが多くてね……。」

「教会を爆破するのがですか?」

「……やり方は私に一任されてたはずだ」

「あそこまでやるとは思いもしませんでした。もう少し、配慮のある方かと」

「配慮したさ。巻き込んだ人間は、あれでも最小限だった。お前さんたちが後手後手にしていたあの男、奴はイリアを牛耳ろうと着実に力をつけていたんだ。大事おおごとにもなるさ」

「……貴女なら、一騎打ちでブラッドリーを倒せたのでなくて?」

「買いかぶりすぎだ。奴は禁呪法にまで手を出していたんだぞ」

「それは……報告を受けましたわ」

「数回死んだ。運が良かったんだ」

 私たちはしばらくお互いを見ながら沈黙した。

 サマンサはようやく雑巾から手を離した。

「彼……ブラッドリーは、かつては優秀な修道士でした。それが……ある事件をきっかけに変わってしまったのです」

「アンチェイン」

 私が言うと、サマンサは同意を示すように私を見た。

「自分の強さは神の導きだと、信仰の強さの分だけ強くなるのだと彼は信じていました……。歪んだ考えですが、確かにそれに裏打ちされるほどの仕事を彼はこなしていました。しかし、歪んだ強さは歪んだ敗北を迎えます。あの怪物に敗れたブラッドリーは、よりいっそう聖典を独自に解釈するようになり、やがて失踪してしまったのです。……そんな彼を変えてしまった怪物を、貴女は倒したというではありませんか」

「私は一度も、そして誰にも彼を殺ったとは言ってないよ」

 私たちは再び沈黙した。

「お~、本当じゃねぇかっ」

 その沈黙を、全く関係ない赤の他人が破った。ふたりの酔っ払ったゴロツキだった。

「なぁ、言ったろ? べっぴんな尼さんと、ボロの女が教会に入っていったって」

 サマンサは言った。「……取り込み中ですわ。もしご用向きがあるのなら、日を改めていただけませんこと?」

「そぉんなぁ、つれないぜぇシスター、迷える子羊を無下に追い返すのかい?」

 私は言った。「舌なめずりをする狼のようにも見えるがね」

 ゴロツキたちは肩を揺らして笑った。

 サマンサが言う。「貴女、見かけで人を判断してはいけません。確かに彼らの言うとおりです。こんな夜中に教会におもむくなど、よほどの事情がおありなのでしょう」

 ゴロツキは祈るように手を組んだ。「さすがだぜシスター、話が分かる」

「……そうかい、信徒とのお話なら私は蚊帳の外だな」そう言って、私は煙草に火をつけた。

 ゴロツキのひとりが私の隣にどかりと座った。

 私が彼を見やると、男は順番待ちさと言った。

「あいにく、ワタクシはこの教会の者ではありません。祈りならば、どうぞお一人で捧げてくださいませ」

 サマンサは再び祭壇の周りを雑巾でふき始めた。そんなサマンサの後姿を、ゴロツキが文字通り舌なめずりをして見ている。おそらくそいつは気づいてないだろう。サマンサの後姿から、すでに殺気がもれていることなど。

「シスター勘弁してくれよ、そんなにケツをぷりぷりさせたら、俺だって敬虔になれねぇ」

 ゴロツキはサマンサの背後に迫り、尻を撫でた。

 サマンサは後ろを向いたまま素早く両手を床につけると、右足を後ろに蹴り上げた。

 ゴロツキの無防備な股間にサマンサの踵が突き刺さった。

「ごうぅ!?」

 サマンサはブリキのバケツを手に取ると、悶絶している男の顔にそれをかぶせた。

 ゴロツキは慌ててそのバケツに手をやった。

 がら空きになったゴロツキのに、サマンサが正拳突きを入れた。

 男が悲鳴を上げる。声はバケツの中でくぐもっていた。

 さらにサマンサは体を曲げている男の頭部に、右の上段回し蹴りを放った。

 顔に被さっているバケツがひしゃげ、男は体をまっすぐにしたまま、立てかけ損ねたのように倒れた。

「てめぇ何しやがる!」

 呆気に取られていたもう一人のゴロツキが、ようやく事態を理解して椅子から立ち上がり、サマンサに迫った。

 サマンサは男に向かって飛びあがると、両足をそろえた飛び蹴りを放った。

 しかし飛び蹴りはゴロツキに届かず、サマンサは男の前で倒れた。

「は?」

 サマンサは男の両足のあいだに自身の両足を潜り込ませ、その状態から両足を開いた。男の両足が大股開きになる。

 サマンサは両足をそろえて、股を開いている男の股間を蹴り上げた。

「ぎゃぁ!」

 ゴロツキは股間を抑えて倒れた。スクランブルエッグを作るように、実に手慣れた様子でタマを潰していくものだ。

 サマンサは立ち上がると、倒れている男の右の足首を自分の左足で踏んづけた。そして男の左の足首を両手で掴み、さらに肩に担ぐようにして持ち上げた。最大限に広がった男の股間から、めりりと音がする。

「うぶっ!?」

 睾丸と股関節を痛めつけられ男は体を丸めて震わせ涙を流して悶絶していた。

 サマンサは男の眼前にひざまずいた。

「楽になりたいですか?」とサマンサは訊ねる。

 男は涙目で頷いた。

 サマンサはゴロツキの背後に立つと、裸締めで男を締め落とした。

 本当に、とってもキュートな尼さんだ。

 私は言った。「……ここは教会じゃなかったか?」

「どうせいるのは疫病神の類なのでしょう? それに、神には祈るものであって頼るものではありません。自分の身は自分で守るものです」

「そうかい」

 サマンサは倒れたゴロツキたちを引きずって、教会の隅に寝かせた。多分、彼女なりの気づかいなのだろう。

 手のひらの埃を払いながらサマンサが言う。「それで、次の貴女への依頼なのですが」

「もうかい? 傷が癒えたばかりだぞ?」

「癒えたのでしょう? 次は何です? 生理痛など言い出すおつもりですか?」

「……いや、いいさ」

 まぁ、傷が完治したのもアグリコルの修道士の手当のおかげだ。どうやら人はいったんカモになると、とことんカモにされるらしい。

 サマンサは祭壇の前の階段に直接座った。

「……戦えて、かつ潜入ができる女をそろえてください」

「何人くらいだい?」

「多ければ多いほど」

「そうか……。」私は吸い終わった煙草の灰を指で叩いて落とした。サマンサは不快そうにそれを見ていた。「いいニュースと悪いニュースがあるよ」

「うかがいましょう」

「まず、そろえられるのはせいぜい五人だ。しかし、五人と言ってもかなりの手練れだよ」

 サマンサは五人と、小さくつぶやいた。

「仕方ありませんね。では、良いニュースというのはなんです?」

「今のが良いニュースなんだが?」

「何ですってっ? それのどこが良いニュースだというのです?」

「五人も集められるんだ、感謝してくれ。それに言ったろう、手練れだと。言いたくはないが、私より強い奴だっている」

「では……悪いニュースというのは?」

 私は小さくため息をついて言った。その五人の事を想像するだけで気が重くなる。

「……全員、くせ者なんだよ」


第3部 It's A Woman's Woman's Woman's World ─完─

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