夜語り②

「野望に生きた女、愛に生きた女、力に生きた女、みんな苛烈かれつな女たちだったよ……。そしてその中の一人でも欠けていたならば、この街が生まれることはなかったろう」

 老婆はすべてを話し終えると、また年相応の年齢に戻ったようだった。

「最初は些細な、気まぐれともいえる善意だった。でもその種は大きく実り、そしてまた多くの新しい芽を実らせていったのさ……。」

 老婆は正面に座る少女を見ると、エプロンのポケットからハンカチを取り出して少女に渡した。 

「……え?」

 少女はハンカチを渡された意味が分からなかったが、老婆の目配せで自分の目から涙が流れていたことに気づいた。

「あれ……?」

 悲しんでるわけではなかった。感動しているわけでもなかった。ただ、涙が正しい流れ方を忘れたかのように、目からとめどなく溢れ続けていた。

 少女はハンカチで涙をぬぐった。

 老婆はほほ笑んでため息をつくと、立ち上がってあ~と呻きながら肩を抑え首を傾けた。話すだけでも、相当の労力が必要だったようだ。

「……ねぇ、おばあちゃん」

「なんだい?」

「その、それからファントムはどうなったの? この街には帰ってきたの?」

 老婆は少女を見ると、窓辺に立って外を見た。

「……あれからしばらくして、風の噂で亡くなったことを聞かされたよ」

「……え」

「隣の街で、施した物乞いに刺されたそうだ。狙われてたんだろうね。死体には油がまかれ火をつけられたと。……みじめな最期だったそうだよ」

「そんな……。」

「……彼女もまた、血の轍から逃れることはできなかった」老婆は少女に振り向いた。「まっすぐに伸びる刃は、折れず、曲がらず、一見するととても頼もしくもある。けれど、どれだけ手入れをしようと、いずれはさび付き、ほころびてしまうんだ。だから、私たちは愛に生きなきゃあならないのさ。例えそれが欺瞞だったとしても、それでも種をまき、実らせ、命を永遠に繋いでいく生き方をね」

 老婆は、まぁ稲を収穫するにも刃がいるんだけどね、と言った。

「さぁ、もう寝なさい。そしていつかお前さんも語る時が来る、この物語を」

 老婆に背中を押され、少女は姉妹たちの眠る寝室に向かった。

「……ねぇおばあちゃん」

「うん?」

「おばあちゃんは信じてるの? その、ファントムが隣の街で……。」

「まさかっ、あの女が、そうやすやすとくたばるもんかねっ」

 少女は突然変わった祖母の声の調子に身をすくめた。少女が老婆を見上げると、彼女はそれまでに見たことのないような、からりとした笑顔を浮かべていた。

「ファントムは誰にも捉えられやしないさ」


 ※


 ピュブリシス侯国のライヒムスといいます所は大変美しい場所でして、国は栄えてはいないものの古代からの自然が手つかずのまま残されておりまして、特に“暁の滝”と呼ばれるマナを蓄えた霊験あらかたなる場所は五王国の修行者たちに特に知られた聖地でございます。

 そんなライヒムスのとある山間のほとほと寂れた寒村、村が真っ赤にそれこそ血で染め上げたような夕暮れ時、村の真ん中で無頼の女剣士“ファントム”クロウと盗賊の男が睨みあっておりました。クロウの背後にはふたりの幼い兄妹が、さらにその後ろには木の枝でこしらえたみすぼらしい墓がぽつりと二つ。

 どうやら尋常じゃない事情があるようで、兄は賊を親の仇のように厳めしく睨みつけ、妹はファントムを可憐な瞳で心配そうに見つめております。

 クロウに相対する山のような大男、地響きのように轟く声を上げて憎たらしい笑い顔を浮かべ、

“おうおう貴様ぁ、こんな餓鬼どもの仕事を請け負うなんざぁ相当安く自身の命を売り払っちまったとみえる。いったいいくらでその命を売り果たした? 10ジルか、それとも1ジルか、はたまた1セルか? ”

 男は傷頭にこぶ頭、見るも恐ろしい面相で、ひと睨みするだけで往来の人々が道を開けるほど。しかしそんな男を前にしてファントムはどこ吹く風、涼し気に男を見返すばかり。女は兄妹をちらりと見ると、

“なぁに一宿一飯の恩返し、それに銭ぃもらっちまったからな。”

 と、声も涼し気に言い返し、懐からすっと袋を出して男に見せつけた。

“何だそれはぁ? それが貴様の命の値段か。袋に収まる程度とは実に哀れな女よ。二束三文でその命売り渡すとは、そんなはした金じゃあ三途の川の渡り賃にもなりゃしねぇ。川のほとりで後悔してももう遅いぞ”

“そいつはちと違う。これは私じゃあなくって前さんの命の値段さ。お前さんはこの二束三文で切られるんだよ”

 言われて男はむっとする! 怒り狂った禿げ頭が真っ赤に染まると、男は得物のモーニングスターを頭上高く振り上げぶんぶんぶんぶん振り回し始めた! ぶんぶんぶんぶん風が唸る唸る! このモーニングスターという武器、とても恐ろしいものでして、長い棒の先端に鎖が伸びていて、その先は棘だらけの鉄球に繋がっております! 棒を振り回すことでその鉄球に遠心力が加わり、一度ひとたび頭に振り下ろされれば兜がひしゃげ頭蓋骨がばらばらに砕けるという代物しろものなのです! 古くはこの武器“聖者の噴水”などと呼ばれておりまして、頭にくらったらば最後、頭から噴水のように血がぴゅうっと噴射するという笑えぬ由来がございます!

”ううぬ吠えたな女! もはや許さぬ貴様の頭を叩き砕き、そのはした金で女を買うてやる! あばずれを殺した金であばずれを買うのだ、その女には寝物語にお前がどれだけ無様に死んだか聞かせてくれようぞ!”

 男がモーニングスターをぶんぶん振り回しながら唾をまき散らし叫んでいると、なぜかファントム袋の中から硬貨を一つ取り出して、硬貨の入った袋を兄に投げ渡し、そしてそれを指でつまんで男に見せびらかしてこう言った!

“今この時よりこの硬貨一枚で今回の仕事を請け負うことにした。これがお前さんの命の価値だ。お前さんはこの硬貨一枚のために命を落とすんだ。三途の川のほとりで途方に暮れるがいい”

 ファントムに挑発されたものだから、男の赤い顔はまるで出血しているかのようにさらに赤に染まり、頭の古傷から血が吹きだすほどに、禿げ頭ではありますが怒髪天どはつてんいていた! 男はファントムが構える隙も与えぬとモーニングスターを振り回し、えいやぁとファントムの頭上に振り下ろす! しかし男の破壊したのは巨大な岩、ファントムの姿は消えていた! 忽然こつぜんと目の前のファントムが消えていたので男は大慌て! 背後に気配を感じて男が振り向くと顔の前には一枚の硬貨が、男が硬貨に目を捉われていると、硬貨がぴぃんと音を立てて真っ二つ、さらに男の体も真っ二つ!

 倒れた男の胸元にぽつんと落ちると、真っ二つの硬貨を見てファントムこう言った!

“……これで貴様の命、硬貨一枚の価値もなくなったな” 

 ファントムすすすぅと静かに納刀しまして、兄妹は親の仇が討てたことを嬉しそうに喜び合っておりました。

“やったねぇあんちゃん、おとっつぁんとおかっつぁんの仇が討てたよ!”

 そう兄妹がはしゃいでんでおりましたところ、

“いやならない、こちらに来るんじゃあない!”

 と、なぜかファントムが兄妹たちにしかりつけたのであります。兄妹たちは困惑してファントムを見るばかり。しかしファントムは斬った男を用心深く睨みつけております。

 するとななんと! 斬られたはずのこの男! むくりと起き上がり再びモーニングスターを振り回し始めた! しっかりと刀は男の体を切ったはずなのに、どんな魔術か妖術かはたまた妖怪変化のたぐいか! いったいファントムはこの怪物にどうやって立ち向かうのかぁ!

 さあいよいよここから物語は面白くなるのですが! なんとなんと!! ……お時間が……いっぱいいっぱい……。まっことに心苦しいのですが……本日はここでお開きとさせていただきます。それでは再度のファントムの登場まで……しばしのお別れでございます。

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