嵐の後で芽吹くもの

 ──数日後


 トリッシュとミッキーとリタは、今回の戦いで命を落とした仲間の墓を作っていた。

 アリシアとハスキー、あれほどの混戦の中、しかもティム側の死者に比べ、二名しかドウターズの人間に死者が出なかったのは奇跡だったが、それでも女たちにとっては死は死だった。大小もなかった。

「もうすぐわたしたち、ここを離れちゃうんだよねぇ」トリッシュが言う。

 ディアゴスティーノの出した条件のもと、三人がドウターズを離れる日が近づいていた。

「ま、今生こんじょうの別れじゃないからね」ミッキーが言う。「あのオッチャンの言うには、しばらくすればウチらまたここに戻れるんでしょ?」

「まぁ、そうだけど……。」

「……すいませ~ん」と遠くから男の声が聞こえた。

「ん? ああ、郵便屋じゃない。しかも……。」トリッシュが言う。

「旅警配達員だ。珍しい」とミッキー。

 旅警配達員は、長距離で、かつ居場所が定かではない人物に届け物をすることを職務とする配達員だった。特に信頼の厚いレンジャーが務める、彼らの数少ない定職だった。

「すいませ~ん」と、旅警配達員は再び声を上げた。敵意のない朗らか声だったが、制帽の下の顔には傷があり、片眼には茶色の眼帯がかけてあった。水獣の革でこしらえた、防水加工の深緑のコートを見にまとっている。

「なんですか~?」とミッキーが訊ねる。

「こちらに~、ハスキーってエルフの方はいませんかぁ」

「……え?」

「いえね~、彼宛ての手紙を預かってるんですよ~」

 三人は顔を見合わせた。

 目の前にまで来た旅警配達員が三人に訊ねる。「ハスキーさん、おられますか?」

「え、いや……いるっていうか……。まあ……。」

 トリッシュは旅警配達員の背後を見た。そこには墓標があった。

「良かったぁ。ずうっと探してたんですよ、彼の事」旅警配達員は胸をなでおろすように言った。「行く先々ですれ違って、よ~やくですよぉ」

「は、はあ……。」

「じゃあ、彼にこの手紙を渡しといてください」

「え?」

 旅警配達員はトリッシュに手紙を渡すと、じゃあと去っていった。

「行っちゃったね……。」とミッキーが言う。

「まぁ、いるっちゃあいるからね」とリタ。

「で……誰から?」と、ミッキーが手紙を手にしているトリッシュに訊ねる。

「え? 勝手に読むわけには……。」

「だってもうハスキーのあんちゃん読めないじゃん。代わりに読んであげなよ」とリタが言う。

「……興味本位じゃないでしょうね」

「好奇心だよ」ミッキーが肩をすくめて言った。

 トリッシュは封筒の差出人の名を見た。ベウフォートとあった。人間の名前のようだった。

「誰なんだろ……。」

 トリッシュは封筒を開けて手紙を取り出した。



ハスキー殿


 あれから十五年が経ちます。いかがお過ごしでしょうか。

 あの事故から数年間は、私も妻も悲しみに打ちひしがれていました。しかし、悲しんでいても娘は戻ってきません。何より、私たちがいつまでも悲しみにとらわれていては、娘が喜びはしないでしょう。私たちは新しい人生を歩まなければなりませんでした。

 そんな私たち夫婦に、天は新しい人生を歩むきっかけを授けてくれました。娘が産まれたのです。あの子似の、とても可愛い娘です。娘にはあの事を教えるつもりはありません。私たちはこの子と一緒に、あの事件を過去にしたいのです。忘れはしません。しかし、もう悲しみたくも憎しみたくもないのです。

 それでハスキー殿にお願いがあります。あなたが定期的に送ってくださるあの慰謝料を、もう送らないでいただきたいのです。私たちは贖罪の、悲しみと憎しみから生まれたお金で娘を育てたくはありません。それに、貴方のお人柄もお気持ちも、もう十分に伝わっています。

 もう、すべてを過去にしましょう。私たちはそうしています。あなたも、あなたの新しい人生を歩んでください。わたしたちは貴方を許します。きっと娘もそれを願っているはずですから。


 今度こそ、この手紙があなたに届くことを願って。


 ヴィクター・ベウフォート

 クラリス・ベウフォート


 ※


 トリッシュは手紙を握りしめた。

「どうしたの、トリッシュ?」ミッキーが訊ねる。

「なんだよ、報われてたんじゃん……。」

「え? トリッシュ泣いてんの?」

 トリッシュはハスキーの墓標の前にひざまずいた。

「いや、だって……いい奴だったからねぇ」とリタが言う。

「やべ、ウチも泣けてきた」

「言うなよ、ぶっちゃけアタシも我慢してたんだからさぁ」

 二人はトリッシュにもらい泣きし始めた。

「マリンの事ありがとう~」リタは鼻水を流していた。

「何でウチの気持ちに気づいてくれなかったのさ~」ミッキーが言う。

「え、アンタ?」リタが訊ねる。

「だってぇ、敬語使ってくれる男とか初めてだったからさ~」

「オメェ単純だな~」泣きながらリタがミッキーの肩を小突いた。

「ちげぇよ馬鹿ども~」トリッシュが草をむしって二人に投げつけた。



 クロウは王都での聴取ちょうしゅを終え、ドウターズに帰ってきていた。執拗しつような取り調べを受けなかったのは、ケリーの尽力じんりょくのおかげだった。しかし、すぐに荷物をまとめると、クロウは他の女たちに悟られぬよう山を下りていった。横には荷物をまとめた袋を木の棒にくくりつけ、肩に担いでいるマテルがいた。

「クロウさんっ」

 そんなクロウの後を、マリンが追ってきた。

「……お前さんか」

「どうして……どうして何も言わずに行っちゃうの? ミラ姉もみんなも、クロウさんにずっとここにいてほしいのにっ。みんなと一緒にここで働こうよっ。ずっとずっと、ここにいてよっ」

「……あるいは、そういう人生もあるのかとも思ったよ。何気ない日常を、誰かと共有する日々というのも。同じ朝に起きて、見知った顔に挨拶をして、変わり映えのない四季の中で生きるというのも。だがどうしてもダメだった」

「どうしてっ?」

「どうにも、騒ぎを起こしてしまう性分でね。もしかしたら、私さえ現れなければ、こんな大きな騒動にはなってなかったのかもしれない」

「そんな……誰も今回のことでクロウさんを責めたりしないよっ」

「責任はな、だが原因はあるかもしれない。そして、何かにつけて突っかかりたくなるこの性分が、ここにとどまっていたら新しい厄介ごとを生むような気がするんだ。あまり私みたいなのが同じところに長くとどまるのは良くないんだ。迷惑がかかるんだよ。……それにお前さん、前は私に一緒に行きたいと言ってたじゃないか? それなのに、今じゃあ私にとどまれっていうのかい?」

「……それは」

 マリンは腕を組んで右手を見た。まだ指先にしびれが残っているような気がした。

「……純潔を捨てたんだな、お嬢さん」

 マリンははっとしてクロウを見た。そして顔を反らしてうつむいた。

「……まだ、手がしびれてるの。まるで、この手だけが自分のものじゃなくなろうとしてるみたい」

「……そうか」

「こんなの、こんなのおかしいよ。こんな……こんな、人を殺すなんて、わたしには無理だよ……。」

「……そうだな」

「……ごめんなさい。連れてってって頼んだのは……わたしなのに……。」

「いや……それでいいんだ」

「え?」

「これ以上足を踏み込めば、お前さんは次第に人を殺すことの敷居を低くしていくだろう。最初は引き出しの奥にしまっていたはずのその道具は、いつしか机の上に並べられ、そしてついにはお前さんはそれを手に取ることに躊躇ちゅうちょもしなくなる。何かをなす時に、人をあやめるという手段を容易に使うようになるんだ。だがね、そうなったら終わりなんだよ。もう引き返せないんだ。ここが分水嶺ぶんすいれいだ。ミラたちの所へ戻るんだ。血のわだちに乗るんじゃない」

「でも……。」

「彼女……ミラは人のために涙できる女だ。そんな人間となら、ただ一緒にいるだけで何かを学ぶことができるはずだ。……それに、お前さんたちは自分たちが思っている以上に強い女だよ。以前、お前さんたちのことを気ぐらいまで売り飛ばしてると言ったが、あれは訂正する。奪い合うことが常のこの世の中で、与えることができるお前さんたちの生き方は、きっとこの世界の何よりも誇り高い。私もそうなるべきだった。けれど、手にした刃が手から離れてくれないんだ」

 クロウさわやかに自嘲した。マリンは、右手の感覚を改めて思い出した。

「……ねぇ」

「なんだい?」

「クロウさんはどうだったの? 初めての時、わたしみたいに苦しんだの?」

「……私が純潔を捨てた時」クロウは空を見た。しかし、見ていたのは青空ではなく、夜空だった。「随分と誇らしい気持ちだったもんさ」

「……。」

「だから私はこちら側にいる」

 クロウはマリンに背を向けて歩き出した。向かう先は無限の荒野だった。もう、声はかけられなかった。ファントムは荒野の影になり、そして消えていった。


 ミラは街はずれのパルマの墓標の前にいた。これまでの出来事を、祈りで報告していた。

 ミラは思い出す。あの日、パルマが亡くなった日のことを。あの時、パルマは最後自分に何を望んでいたのか、今ならわかるような気がした。

──ありがとう、母さん

「……ミラ姉」

 ミラが振り向くと、そこにはマリンがいた。

「……マリン」

「皆が、ミラ姉呼んできてって……。」

「そうかい……。」

 ミラは墓標を見ると、マリンの方へ行った。

「そうだね、感傷に浸ってる暇はないんだ。まだまだ仕事が残ってるからね……。トリッシュたちもこれからが大変なんだし」

「うん……。」

 ふたりはドウターズに向かって歩き始めた。

「……あの姐さん、行っちまったのかい?」

「……え?」

 マリンはミラを見た。きっとこの人は、自分があの人についていきたいと言っていたことを知っているのだろう。それでも、いつも通りの、仕方ないような、でもすべてを受け入れるような微笑みを浮かべている。

「……うん」

「しょうがないね。空を舞う鷹ってのは、ひとりで飛んでるからこそ絵になるんだから……。」

「うん……。」

「でも、どんな鷹にだって宿り木は必要なんだよ。羽を休めるためのね……。飛び続けるのに疲れたら、そん時はまた帰ってくればいい。アタシらは、そんな彼女の居場所くらいは用意しとこうかね」

 人のために涙できる女だ、マリンはクロウの言葉を思い出した。親友を失って、一番この人が辛いはずなのに、それなのに誰かの心配ばかりをしている。本当に生きていくための強さはこの人こそが持っていた。自分がいるべきなのはこの人の横なのだ。マリンはミラの横に並んで歩いた。

「ちょっと、何だい」

 マリンはミラのスカートのすそを掴んでいた。

「甘えん坊だねぇ。いいさ、まだ十歳だもんね」

 ミラはマリンの肩を抱き寄せた。

「うん」

 マリンはミラの体に頬をすり寄せた。

 遠回りをして、少女は家に帰ってきていた。



 死んだ女がいた。去った女がいた。生き続けた女がいた。

 やがて、イリアのこの出来事は王国中に聞こえるようになった。

 噂は尾びれを引き、イリアは女の街だと曖昧なうわさが飛び交うようになった。

 噂だけでも十分だった。行き場のない女や、新天地を求める女がイリアに集まるようになり、そしてイリアは名実ともに、王国中で最も女の活気にあふれた街になっていった。

 そして悲劇は過去のものとなり、イリアのような街がイリアだけではなくなっていった頃、サハウェイの物語もミラの物語も、そしてファントムの物語も、おとぎ話のひとつとして伝えられるのみになっていった。

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