決着

 クロウは倒れているブラッドリーを見下していた。

 意識のあったブラッドリーは立ち上がろうとしたが、脳震盪のうしんとうをおこしているため、膝に力が入らずにすぐに転んで仰向けになった。

 クロウは石ころを捨てると、鼻の穴に指を奥深く突っ込んで、曲がった自分の鼻を無理やり矯正した。

「神は何をお考えなのか……。」空を仰いでブラッドリーが言う。「長い間、さまよい続けていた。そして、ようやく理想の土地を見つけたというのに……。心血を注いだにもかかわらず……報われぬとはな」

 クロウのもとへ、刀を持ったトリッシュがやってきた。お竜の刀だった。

 クロウは刀を受け取ると抜刀した。

「お前さん、自分が度し難い邪悪だってことにまだ気づいてないのか」クロウは倒れているブラッドリーの隣に立った。「報われることはないが、報いを受けるんだな……悪党」

「……お前は地獄行きだぞ、バスタード」ブラッドリーは言った。

 クロウは刀をブラッドリーの胸に突き立てた。

「そいつはちと違う。私はそこから来たんだよ、神父様パパ

 クロウは全身の体重と力を込めて、刃をブラッドリーの体に沈み込ませた。ブラッドリーは小さなうめき声をあげ痙攣けいれんした。そして刃が体を貫き通し、地面に到達したころ、ブラッドリーは静かに息絶えた。


 ブラッドリーの敗北を見て、ティムはキャサリンを連れて逃走を図っていた。

「う、うせやろっ。おっさんまで負けるなんちっ」

 キャサリンは手を引かれていたが、振りほどけないほどの力ではなかった。

「くそっ、なんでじゃっ。なんでこないなことにっ」

 激しくうろたえるティムだったが、キャサリンはそれでもこの男を見限ろうとは思わなかった。

──大丈夫、この人はここで終わる人じゃない。その時まで、わたしがこの人を支えるんだ。

 路地裏を走っていたふたりだったが、突然ティムが足を止めた。

「……なんじゃ、くそっ、待ちぶせかいっ」

 逆光でよく見えなかったが、誰かが路地裏の先で立っていた。手にはクロスボウがあった。

「……マリン?」とキャサリンが言った。

「……なんやと」

 よくよく見ると、その影は確かに小さかった。光を背にしているために表情は分からなかったが、目が慣れてくると、おぼろげに見覚えのある少女だということが分かった。

「な、なんや、あのガキかい……。」

 ティムが胸をなでおろすように言った。

「ね、ねぇマリン、わたしたちを見逃してっ。お願いっ」

「ワシからも頼むわ。もうこりごりじゃ、二度と悪さはせん。おんしらの目の届かんところで、こん娘とひっそりと暮らすきに」

 ティムは腰に手を回して、猫なで声を上げながらマリンに近寄った。

「のう、頼むわ。おんしが黙ってくりゃあ、みぃんな丸くおさまるとぜ? な? そげな物騒なもんはしまって……。」

 マリンはクロスボウをティムに向けた。

「なっ……。」ティムは立ち止まった。

「マリンっ」とキャサリンが言う。

「……そのまま、後ろを向いて」

「なんやぁ、大人を脅すようなマネはやめんかい」

「向いて」

 マリンに言われ、ティムは肩をすくめてから後ろを向いた。ティムの手にはナイフが握られていた。

「……それで、どうするつもりだったの?」

「どうするって、いや……武器を向けとるんはおんしやし……。」

「キャサリンからは見えてたよね?」

「え、あの……わたし、目が悪いから……。」

「わたしが刺されるの、黙って見てたっていうの?」

「えっと……その……。」

「おい!」業を煮やしたティムが、猫なで声から一転してドスのきいた声を上げた。「ええ加減にせえよガキ! こっちが優しゅうしてやりゃあ調子乗りよって! あんまり大人なめとったら容赦せんぞ!」

「動かないで」

「ああん? やれるんか?」ティムは振り向いた。「やれるもんならやってみい!」

「来ないでって言ってるでしょ!」

「黙らんかクソガキっ」

 ティムはマリンに向かって駆け出した。

 がしゅんと機械が作動する音がした。

「……あ?」

 ティムの胸に、クロスボウの矢が刺さっていた。

「な、なんじゃあ!!」ティムはクロスボウの矢を掴んで絶叫した。

「ひぃっ」キャサリンは両手で口を押えて悲鳴を上げた。

「や、やりやがったのう。く、くそ……。」

 ティムがマリンに再び迫った。千鳥足で、左右に体を揺らしていた。

「こ、こないで!」

 マリンは下がりながらクロスボウに矢を装填する。

「よくも……よくも……。」

 マリンは極度の緊張と混乱で装填しかけた矢を地面に落とした。

「来ないでよっ」

 マリンが目をつぶって叫ぶと、目の前でティムは体を前のめりに倒し、マリンにしがみついた。

「よくも……よくも……。」

「やだぁ!」マリンはティムを振りほどこうと体をよじった。しかし、ティムにそれ以上のことはできなかった。ティムは激痛のショックで気を失っていた。放っておけば絶命するほどの深手だった。

 マリンは呼吸を乱しながら、倒れているティムを見続けた。そして、クロスボウを拾うと狙いをキャサリンに定めた。

「……え、ちょっと待ってよっ。マリン、嘘でしょっ?」

 マリンは無言で構える。

「まさか、わたしを殺すなんて、そんなことしないわよね? わたしだって、好きでこの人についてたわけじゃないんだよっ?」キャサリンは胸に手を当て、悲劇のヒロインのように必死で訴えた。

「……わたしがキャサリンに話したこと、この人たちに教えたでしょ?」

 キャサリンの顔が、セリフを忘れた役者のように固まった。

「……わ、わたしたち、友達だよね? 友達にひどいこと、しないよね?」

「娼館に、友達なんていないんじゃなかった?」

 とうとう、キャサリンはひざまづいて泣き崩れた。子供のように両手の拳で目をこすっていた。

「仕方ないじゃないっ。怖かったんだよっ。周りに誰も頼れる人いなかったしっ。許してよっ。マリンだって、わたしと同じ立場だったら同じことやってたでしょっ? 子供だったのっ、弱かったのっ、強くなれる方法があったら、誰だってそれにすがるでしょっ? 無力な女なんだもん!」

 キャサリンは突っ伏して泣きわめき始めた。

 そんなかつての友人を、マリンは冷たい目で見下していた。

「……ねぇ、マリン?」

 キャサリンが顔を上げると、未だにクロスボウの標準は自分を向いていた。あきらめとともに、キャサリンの涙は引いていた。

「……その言葉は、あなたが自分でクレア姉たちに伝えて」

 そしてマリンはその場から去っていった。

 マリンが去った後、キャサリンは再び涙した。罪悪感と屈辱の涙だった。


 マリンは表通りに出ると、大きく呼吸をして、一休みしようと酒樽の上にクロスボウを置いて、酒屋のテラスに腰かけた。

「……あれ?」

 酒樽の上に置いたはずのクロスボウが、まだ右手に握られていた。

 不思議に思ったマリンは、自分の横にクロスボウを置こうとした。だが、クロスボウは手から離れなかった。

「あれ? ……あれ?」

 マリンは手を振ったが、クロスボウはべったりと右手について離れない。指をクロスボウから外そうとするが、指はマリンの意思とは無関係に、あらん限りの力でクロスボウを握っていた。血が止まり、指の先が真っ白になっているほどだった。  

「ど、どうしてっ?」

 マリンは呼吸に小さい悲鳴を混じらせながら動揺する。指を一本一本、硬い針金を解くようにして、ようやく指はクロスボウから解放された。

 マリンは腕を組み、荒げた呼吸を抑えながらクロスボウを見る。このクロスボウには呪いでもかかっていたのだろうか。しかし、マリンは自分の指を見て原因は武器にあるのではないことを知った。指が、がたがたに曲がっていた。指のように、マリンの顔が青ざめた。

 マリンは自分の右手を布でくるむと、突然後ろめたいものを隠すように、周りを確認しながらミラたちのもとへ戻っていった。

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