倒されざる者たち

「ぎゃあああああ!」

 クロウは空中でブラッドリーを蹴って距離を取った。

「お、おのれぇ! この、小娘るぁ!」ブラッドリーは薄皮一枚でつながる右腕を抑えて叫んだ。

 クロウが問う。「もう許さない?」

 ブラッドリーが叫ぶ。「もう許ざん!」

 ぜる火薬のように、ブラッドリーが襲いかかった。クロウは両腕を交差させて防御する。

 予想を超えた異形のスピードでのぶちかましに、クロウは店の壁にたたきつけられた。

「あ……がっ!」

「ごろず、殺す、ごろじてやるっ」

 さらにブラッドリーはクロウの頭をわしづかみにし、片手で軽々と持ち上げると、クロウの顔面を床に叩つけんと腕を振り下ろした。

 翻弄ほんろうされながらも刀で床に切りつけるクロウ。

 切り込みを入れたため、床板はクロウの顔面がぶつかるとともに割れ、致命傷は免れた。

 しかし、さらにブラッドリーはクロウを持ち上げ、遠投のようにクロウの体を外に投げ捨てた。

 地面と垂直に飛んでいくクロウ。地面に落ちると、ごろごろと砂埃をあげながら転がって、往来の真ん中に大の字になって倒れた。

「う……ぐ……。」

「ぐる、貴様ぁ……先ほどから小細工ばかり弄しおってぇ……。アンチェインを倒したのハ……やはり、だまし討ちだったかっ。つまらんっ、奴のためにぃ、き、禁呪に手を出したというのにっ、や、奴もぉ、とんだ腑抜けだったかっ!」

 クロウはゆっくりと立ち上がる。

「お、お前が……お前ごときが、あいつを語るな……。」

「ぐぅおおおお!」

 クロウが立ち上がる間もなく、ブラッドリーが大口を開けて飛びかかってきた。

 クロウは刀を横にして、噛みつきを何とか防いだ。

 しかし、ブラッドリーは刀を噛み砕くほどの勢いで刃に歯をたてると、顎と首の力で刀を奪い、刀を空高く放り投げた。

 クロウは上体を起こしてブラッドリーの体に抱きついた。密着の状態ならば、少なくとも噛みつきは防ぐことができる。

「う……うあ……。」

 だが、人外の力を持つブラッドリーには良策といはいえなかった。ブラッドリーもクロウの体に抱きつき、その万力でクロウの体を締め上げ始めた。

 右手が使えず、左手で右の肘をつかんでのだった。それでも、まるで太い縄で縛られ、大の大人数人で両端を引っ張られ絞られているかのようだった。クロウのあばら骨はみしりと音を立て、背骨までもがきしんで砕けかけていた。

「う……く……。」臓器までも絞られるような苦しみで、クロウの口から泡のような唾が漏れ始めていた。

「離しやがれこのぉ!」

 女の叫び声と共に、ブラッドリーの拘束が弱まった。

 ブラッドリーが振り向くと、そこにはクロウの刀を持ったミラがいた。ブラッドリーの首筋に刀を打ち込んでいたが、剣術にかけてはずぶの素人だったミラの一撃は、変態しているブラッドリーの皮膚を切り裂いただけだった。

「お、おんなぁ……。」

 ブラッドリーがクロウを解放して立ち上がり、ミラに迫った。

「あ、う……。」

 先ほどまで男たちと戦っていたミラだったが、人外の化け物と対峙する覚悟はさすがにできていなかった。地面に足を縫いつけられているように動けず、逃げることも立ち向かうこともままならなかった。

「お、おまへぇ……おまえはぁ……。」

 ブラッドリーは手を振り上げた。

「危ない!」クロウが起き上がって手を伸ばすが間に合わなかった。

「きゃあ!」

 しかし、ブラッドリーはミラを攻撃はせず、刀を奪うにとどまった。

「……え?」

 ミラがきょとんとしていると、ブラッドリーは刀の両端をもって膝で何度も打ち付け、ついには刀を折り曲げた。

 曲がった刀を持ってブラッドリーが言う。「おんながぁ……こんなものをもってはぁ……いけないゾ」

「は……はい……。」

 ミラは直立不動の涙目でうなずいた。

 そんなミラを、ブラッドリーはビンタで張り飛ばした。殺しかねない勢いだったが、本人は加減したつもりだった。今のブラッドリーは正気を保っていたころの習慣がわずかに残されているだけだった。

「むぅ!?」

 背中を向けているブラッドリーの首に、クロウの腕が巻きついた。はだか締めだった。しかし、ブラッドリーの首の力は強く、はだか締めが通じそうにはなかった。そしてそれはブラッドリーにもわかっていた。悠然ゆうぜんとブラッドリーはクロウの拘束を外しにかかる。

 クロウは、人外相手に人外の策に出た。

 クロウは大口を開け、ブラッドリーの顔に噛みついた。フェルプール由来のクロウの牙が、ブラッドリーの鼻孔を鼻の上から貫いた。

「ぐあぁああああ! ぎ、ぎざまぁ!」

 賭けだった。獣の特性として、彼らは口では呼吸をしない。故にネコ科の猛獣は、獲物の顔面に噛みつき牙で相手の鼻を潰し、呼吸困難にしてから獲物を仕留める。犬に変態したブラッドリーならばあるいは、クロウはコショウを投げつけた時と、抱き着いていた時、その際にブラッドリーの呼吸の異変に気づいていた。

「ぐぬぅうううう!」

「ふぅ! ふぅ!」

 狂乱して暴れまわるブラッドリー。一心不乱に噛みつき続けるクロウ。さながら、ネコ科の猛獣とイヌ科の猛獣の闘争が繰り広げられているかのようだった。

 時間にしては数分もなかった。だが、抵抗せんとする男と仕留めんとする女にとっては、とても長い時間だった。ついに、呼吸を封じられたブラッドリーは、大木のように大きく倒れた。

 クロウも力を失い、ブラッドリーの横に寄り添うように倒れた。

 気を失ったブラッドリーの体は、しゅうと音を立ててしぼみ始め、次第に元の人間の姿に戻っていった。

「……や、やったの?」駆けつけてミラを介抱していたトリッシュが訊ねる。

「き、気を失ってるだけ……だ」クロウが言った。

 クロウは刀を探した。しかし、愛刀はブラッドリーに曲げられていた。曲がった刀を手に取ってクロウは思う、これじゃあ包丁にも使えない。

 クロウが言う。「け、剣をくれ……。」

「あ、うん……。」

 トリッシュは周りを見渡し、倒れている男の剣を見つけた。

「何でもいいの?」

「ああ……とどめを刺すだけだから」

 とどめという言葉にトリッシュは青ざめたが、すぐにうなずくと剣を取りに立ち上がった。

「さて……。」

 クロウは呼吸を落ち着け体を起こし、ブラッドリーを見た。

──私のことを女じゃないと言っていたが、おそらくどこかで手加減はあったのだろう。そうでなければ、お竜を殺したこいつがこんなに簡単に倒せるわけがない。

「……何気に紳士だったんだな、神父様」

 クロウの声に呼応するように、ブラッドリーがむくりと起き上がった。

「え?」

「あお……貴様ぁ……。」

 クロウは地面を転がって距離を取った。

「……まだやるつもりかい?」

「だまれぇ……。」

 ブラッドリーはふらつきながら起き上がると、震える腕でクロウに殴りかかった。

 クロウは曲がった刀を縦にして拳を受け止めた。拳に刀がめり込み、ブラッドリーの人差し指と中指の間が、手のひらの真ん中まで切り裂かれた。

「あがぁあ!」

 ブラッドリーは左手を隠すように体を丸めた。

「……もう終わりにしないか。お前さんの味方は総崩れだ。それに、もうすぐ役人が到着する。神父様といえど、この状況を言い逃れはできないぜ」

「終わり……だと?」

「ああ、お前さんは負けたんだよ」

「ふざけるな……。わ、私は、神の、公僕だぞ……。貴様ごとき……転生者と淫売の雑種なんぞにぃっ」

「……やれやれ」

 クロウは立ち上がった。

「物わかりの悪い坊やには躾が必要だな」

 ブラッドリーが首を傾ける。

「言い訳できないように徹底的にやってやるよ」

 クロウは両の拳を握って構えた。


「殴りあおうぜ」


 ブラッドリーは血のしたたる口を歪ませて笑った。

「馬鹿が」

 ブラッドリーも構えた。右腕は肘から先がちぎれ、左手は切り裂かれていたが。

「敗北させてやるよ、神父様。徹底的に、二度と這い上がれないよう、生きてるのが嫌になるくらいに辱めてな」

「やってみろぉ!」


 ふたりは体を最大限にひねり、そしてフルスイングで拳を放った。

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