無題
※
──
クロウは野良猫にやぶられた
「くろう、精が出るな」
そんなクロウに、陰陽流の高弟、“双竜”の
「……月堂様」
「怪我をしているというのに、そんな難儀な雑用を申し付けられるとはな」
まったく
「手伝おうか?」
「いえ、これもまた、指の動きの鍛錬になりますゆえ……。」クロウは言った。
「
クロウは何も答えなかった。
「……月堂様」
「何だ?」
「
クロウに怪我を負わせた門弟は、陰陽流の高弟・伊雅辰馬によって「無作法者」として、激しい稽古のうえ打ちすえられていた。
月堂は手のひらで顎を撫でた。「自分で言えばよかろう」
「私が言っても、辰馬兄ぃはかたくなに認めませぬ」
「俺が言ってもかえってムキになるだけだ。
クロウは小さくため息をついた。
「存外、妹以上に思うておるかもな」
クロウは月堂を見た。
「たわ言だ、聞き流せ」
月堂は愉快そうに目を細めからりと笑った。一見軽く見える月堂だが、剣の腕にかけては陰陽流の門弟の中でも抜きんでていた。
「……くろうよ」
そこへ、陰陽流の宗家・伊雅源馬が現れた。
「オヤ、先生……。」
月堂は直立不動になりこうべをたれ、クロウは作業を止め両手の指先を
源馬はクロウの張り替えた障子をしばらく見ていた。
「くろう、お主、左利きであったか?」
「あいや、左利きと申しますか……。」クロウは左手を見た。「両方使えます……。」
「……さようか」
源馬はクロウを見続けた。クロウは頭を伏しながら、頭上に師の視線を感じていた。ぴりりと頭皮を刺激するような視線だった。
「さようか……。」
クロウは、師の視線が自分から外れたことを感じた。
「……それが終わったら、稽古場へ来るがよい」
「? ……はい」
師が去ったあと、クロウと月堂は顔を見あわせた。
クロウが稽古場へ行くと、そこには源馬がひとりで立っていた。立ったままで静かに神棚を見上げ瞑想をしていた。どれくらいそうしていたのか、源馬は夕暮れの道場の静けさと一体になっていた。あたかも源馬の体を影が透いているようだった。
「……来たか」
物音をたてずにここまでやってきたクロウのはずだったが、師は弟子の気配を察し目を開けて振り返った。
クロウは息を飲んだ。師が、めったに着ることのない白装束を身にまとっていたからだ。
「木剣を取れ」
クロウは言われるままに、道場の壁にかけてある木剣を手に取り師の前に立った。
「正眼で構えよ」
クロウは正眼で構えた。
「これより、上段のみを打つ。受けるがよい」
「はい」
源馬は木剣を振り上げた。そして予告通り、上段で木剣を振り下ろした。クロウは、やはり言われたように、その師の上段を木剣で受け止める。
源馬はまっすぐな上段と、左右の横面を繰り返した。道場に、木剣と木剣がぶつかる音が響いていた。木と木がぶつかる音のはずなのに、源馬の斬撃は、金属のような鋭い音を木剣がぶつかるたびに響かせていた。まるで、木剣であっても肉を断てるかのような鋭い太刀筋だった。だが、単調な攻撃だったため、クロウは難なく師の上段を受け止め続けることができていた。
しかし──
「うっ?」
クロウの肩口に、源馬の木剣が入った。
クロウは唖然として師を見る。
──何かがおかしい
再び源馬は上段を繰り出し始めた。クロウも再び受け続ける。
「……あ」
数度の上段のあと、クロウの肩口には再び木剣が入っていた。
「……分かるか、くろう」源馬が訊ねる。
「今一度……お願いします」
源馬は再び上段で構え、打ち込みを始めた。クロウもそれを受け続ける。
そしてやはりまた、数度の打ち込みのあと、クロウの肩口には木剣が寸止めで入っていた。
「……先生、持ち手を変えておりますね」
「……さよう」
源馬はクロウから間を取ると、素振りを始めた。奇妙な素振りだった。上段に振りかぶり、木剣を持つ両手が体で隠れた瞬間、源馬は右手と左手を組み替えていた。そのために、僅かに剣の軌道が変化していた。わずかな変化だったが、剣の動きが精密であるほど、動きに相手が慣れるほど、そのわずかな変化は効果を生むようになっていた。
「こういうこともまた……。」
源馬はそう言うと、横なぎに木剣を振り切った。そして、振り切った木剣を逆手に持ち替えて切り上げを放った。振り切られた木剣は、再び順手に持ち替えられ上段切りに変化した。
源馬はせわしく右手と左手の握り手を変え、さらに順手と逆手を持ち替えて、可変の斬撃を繰り返した。まるで舞踊のような動きだった。
「……極光」源馬は、剣を横に振り切った状態で言った。
クロウは静かに、気配のみで師の言葉に相槌を打った。
「極むればその剣筋、無限の軌道を生み出すにいたる。線は円に、円は点に、そして点は再び線に……。」源馬は木剣を握る手を見た。「儂に至っても、その術理、なおも構想の域を出んがな。くろうよ、お主にこの奥義を授けよう」
「……なぜ私に?」
「簡単なことよ。いくら優れた技であろうとも、
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