誇り

「……娼婦風情が誇りを口にしますか。……世も末ですね」

 低く、澄んだ、通る声だった。

 全員が声のする方向を見た。そこには、馬車に乗ったブラッドリーとサハウェイがいた。

 ブラッドリーは馬車から降り、ミラたちの所へ歩み寄った。鋼色の瞳は悲しげだった。

「世界は常に変わりゆくものです。しかし、変化と異常は違います。女が声高に自らの誇りを主張する、まさに転生者が作り出した世界の歪み、ここに極まれりといったところでしょうか」

 ミラが言う。「女が誇りを口にして、何が悪いってんだい神父様」

「誤解しないでいただきたい。女が誇りに値しないと言っているのではありません。むしろ逆です。誇りが女に値しないと言っているのです。よいですか? 誇りなど王侯貴族や戦場の兵士の、すなわち男の方便なのです。そうでもしなければ、男は社会での役目を負うことができない悲しい生き物なのですから。国のため、故郷のため、家族のため、男たちは常に自己犠牲を迫られます。それなのに、報われることなく命を落とすことも珍しくありません。誇りとは、そんな男たちの慰めのためにあるものなのです。女性には必要ないのですよ。それでも誇りを口にしたいのであればどうぞ、傭兵団を立ち上げ戦場にでもおもむけばよろしいではありませんか。私が敵ならば、まずそこから攻め落としますが」

 ブラッドリーは肩を震わせ、首を小さく振って「馬鹿げてる」と笑った。

「男は国を守り、故郷を守り、家庭を守ります。そして女は男の下支えをする。そうやって、人類は何千年も生きてきたのです。そうすれば社会はうまく回るというのに、なぜそれを覆そうというのです?」


 外の様子を窓から見ていた町人の男が妻が言う。

「お前、神父様の言う通りだ。なんだってあんな女たちの肩入れするんだ」

「え、だって、それは……。この街のこれからのために……。」

「未来より明日の生活だろうが。これだから女ってのは……少しは現実を見ろっ」


「皆さん、私はあなた達にぜひ問いたい。皆さんは一時の情けで彼女たちに肩入れしているのでしょう。しかし、ここで問われているのは、この街の、引いてはこの国のあり方なのです。ふしだらな娼婦が、敬虔けいけんな主婦と同じ扱いを受ける。あまつさえ、騎士と同じ名誉を与えられる。これは私たちの生活を、道徳を根底からくつがえす事態です。よろしいですか? 秩序か混沌か、理性か感情か、いま一度冷静になって考え直してはいかがでしょうか?」

「ぐだぐだうるせぇよこの唐変木とうへんぼくが」ミラは言った。ブラッドリーの密度のある髭がピクリと動く。「黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって。テメェらが勝手に作ったゲームのルールに乗せといて、秩序もへったくれもあるもんかい。ただたんに、テメェが上前もってってるゲームやめんのが都合が悪いだけだろう」

 ブラッドリーは目を見開いたが、すぐに目を細めた。「おやおや、やはり女というのはいけませんね。すぐに感情的になって言葉の使い方を間違える」

「へぇ、アンタの丁寧な言葉づかいにも傲慢さがにじみ出てるけどね、神父様」ミラは周囲を見渡した。「だったらアタシもアンタたちに問わせてもらうよ。……オクモニックさん、アンタは今じゃあもう引退してるけど、サハウェイが出てくるまではアンタがこの街を守り続けた。幾度となく、中央から別の土地への移住を勧められたけど、断ってこの街の基礎を作った。マンデラさん、アンタはこの街で一番古い雑貨屋だった。とっつぁんの頃からの付き合いだから知ってるよ。奥さんは金がない家や店には、こっそり格安で品物を下ろしてくれてた。アンタら夫婦は、この街の奴らを、言葉でしか慰めてくれない聖職者よりもずっと支えてくれた。オーウェンさん、産婆のアンタに取り上げてもらった赤ん坊は、もうこの街の住人と同じくらいの人数になってる。アンタにゃ頭の上がらない人だっているくらいだ。メンデルさん、アンタは獣医だけど、救った人間の命は家畜よりも多い。店の女だってアンタに助けてもらったコがいるよ。ベイダーさん、アンタは亭主に早くに死なれて、でも三人の子供を女ひとりで育ててきた。子育てと一緒に畑仕事と家畜に世話をしてね。……アタシには神様がなんて言ってるかなんて分からない。聖典なんて読んだことないからね。でも、この街のことに関しては、後からやってきてご高説たれてる奴よりも知ってるつもりだよ。皆、忘れちゃいないよね? この街を盛り立ててきたのは、何年もの歳月、苦しみ続けた男と女たちだってこと。確かに戦場には出てないかもしれないけどさ、それでも誇りってもんをもって生きてきたんじゃないのかい? それどころか、戦争で見捨てられた土地に緑を取り戻したんだ。殺しあってる奴らよりずっと誇っていいことだよ。それを今、ぶち壊そうとしてる奴らがいるんだ。説教たれて、それしか選びようがないみたいな言い方してね。築き上げてきたものを奪われようとしてるんだよ。なのに、問題すげかえられて納得しようとしてないよね? こいつらにコケにされてることにも気づかないでさ。ちったぁその誇りがまだ残ってるなら、黙ってないで抵抗してみなよっ」

「聖職者に対して何という口の利き方ですか。これだから娼婦は好きになれない。人はパンのみに生きているのではないのです。神の言葉もまた、日々の生活に必要なものです。特に、こんな辺境の地ではね」

「神の? アンタの言葉だろ。それでいいようにこの街を牛耳ろうってのがコケにしてるってことなんだよ。アンタなんか必要ない。アタシらは祈ってる暇があったらくわを取るし、それでも奪おうってんなら武器だってとるさ。最後の采配くらいは神様任せにしてもいいけどね」

 街の住人はいまではブラッドリーではなくミラを見ていた。

「あらあらブラッドリー、らしくないわね。そんな小娘に食ってかかられるなんて」と、馬車の上のサハウェイが言った。ミラはサハウェイを見た。「たいした自信だけど、これだけの男たちを相手に啖呵をきっちゃって大丈夫なの? それとも、何か切り札でもあるのかしら?」

 全員がサハウェイを見ていた。

「役人に私たちのことを訴えようって魂胆らしいわね。確か、新しくこの地域を管轄するお役人がこの街へ来るって話だけど、もしかしてそれを頼りにしてるのかしら?」

 ティムは薄笑いを浮かべてミラを見る。すでにめくられる前の手札を知っているイカサマ氏のような、はめた相手の絶望する顔を期待する笑顔だった。

「残念やったなぁ、もしその役人の到着を待っとるんやったら、そいつはこの街には来んぞ」

「……なんだって、どういういことだい?」

 ティムはサハウェイを見た。サハウェイは無言でうなずいた。

「言うたじゃろう、お前らの企みはまるっとお見通しやって。この街を仕切んのは、これからもワシとホートンズさんじゃ。今ごろ、お前らが望みをたくした新しい役人は、コヨーテの餌になっとるかもしれんのう」

 ティムの話に、ミラから新しい役人が来るはずだと聞かされていた街の住人たちは顔を見合わせ始めた。

 ティムは街を見渡して叫んだ。「のうお前ら! これで分かったじゃろう! 抵抗なんぞしても無意味やっちゅうことがなぁ! ワシらは何も、この街の生活を全部破壊しようっちゅうんやないんや! けんど、もしこの女たちに肩入れする言うんやったら、この先街で生きていけるかどうかの保証はないがのう!」

「皆、そんなはずないよ! きっとお役人は来てくれるんだ!」ミラも街の住人に語りかける。

「哀れじゃのう。ありもせん希望にすがりつかにゃあならんいうんは」

「すがりついてなんてないっ」

「もうええわい。おい、お前ら、とっとっとこの街から出ていけ。まぁ、その道中で、また賊なんぞに襲われんよう祈ることやなぁ」

 ティムは、また妙な気でも起こされたらかなわんからなぁと嗤った。

 形勢は決まったかのように見えた。ドウターズの女たちはうなだれ、街の住人たちは気の毒そうにミラたちを見たり、ミラたちに協力した住人は慌てふためき始めていた。

「何ぞ言いたいことがあるか?」

 ティムはミラの前にまで歩み寄ると、平手でミラの頬を打った。首がかたむいたが、ミラは倒れることなくティムをにらみ返した。

「おいっ」酒屋の店主が止めようとすると、店主はティムの部下たちに囲まれた。

「躾じゃ」そう言って、ティムは懐からナイフを取り出した。「以前にも、ワシらに逆らおう思うたアホがおってなぁ。で、そいつらぁ街から追い出すときに、仕置きっちゅうことでこうしたんよ」

 ティムはミラの上着の襟を引っ張りナイフで切れ目を入れ、ミラの上着を両手で縦に引き裂いた。

「丸裸で隣ん町まで行ってこいや。昼間なんはワシの情けじゃ」

 ティムはドウターズの女たちを見た。目が、お前らも同じ目にあわせてやると言っていた。

「よぉ、お前ら本気で俺らとやろうってんのか!? だったらビンタじゃすまねぇぜ!?」

 ティムの部下に凄まれて、数人の女たちがクロスボウを下げた。

 その様を見て、男たちは甲高く笑った。七面鳥のような奇怪な声だった。

「出ていく前にタダで一発やらせてくれやぁ! 具合のいい奴はここで飼ってやってもいいんだぜ!?」

 おら、とっとと服ぬげやぁ! とまた別の手下が言った。

「……ん? ティムさん、あれ……。」そう言って、ティムの手下が彼方かなたを指さした。

「ん……なんじゃあ?」

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