報われず、すれ違い


 トリッシュは店の外で、夜風にあたりながらすすり泣いていた。クロウが憎かったわけでもなく、また自分を憐れんでいるわけでもなかった。ただ今の自分の気持ちを整理するために、涙を流すことが必要な時だった。

 背後で、草むらを踏みしめる音がした。

「……誰?」

「……私です」

 振り返ると、そこにはハスキーがいた。

「見て分かんない? ほっといてよ」

「……そのようですね。ただ、いくら店の近くとはいえ、女性が夜中に外で一人いるのは危険かと」

「女性ね……。」

 トリッシュは鼻で笑った。

「違うのですか?」

「あんた、女が好き?」

「……恋に落ちるのは女性です」

「……アンタたちってさ、どうやって女を好きになるの?」

「どうやって……ですか?」

「だよね、そんなこと言っても分かんないよね。皆そうなんだ、相手を好きになるのに努力なんてしない。だいたい、恋に“落ちる”って言葉からしてそうなんだから。自然とそうなっちゃうはずのものなのに……。」

「……。」

「ねぇ、アンタに分かる? ただ好きになっていい相手が見つからないっていう、そんな簡単な話じゃないんだよ。まるで……わたし以外が、人間の皮をかぶった別の生き物に見えることがあるんだ」トリッシュは体を強く腕を組んだ。「それならいい……。もしかしたら、本当は自分が人間の皮をかぶった別の生き物なんじゃないかって思うこともある……。」

「……貴女の想いは報われないかもしれません。しかし、貴女に報いたい想いはあります」

「例えば何さ?」

「私ですよ。貴女に命を救われました。その恩に報いたいのです」

「わたしの話聞いてた? アンタがわたしをどう思ってくれようが、わたしは嬉しくないの」

「かまいません」

「……え?」

「貴女が私をどう思うと、いっこうにかまいません。貴女の心の片隅に、私の居場所などなくてもいい。貴女たちの、そしてあの娘の未来のいしずえになれるのであれば。それが私の報いなります」

「ちょっと、わたしは気まぐれでぶっ倒れてるアンタを助けただけなんだよ。そこまで大事おごとに考えてくれなくったって……。」

「貴女とは違いますが、私にも報いるべき相手がいないのです」

「……何それ?」

 ハスキーはうつむいたままトリッシュの前を通り過ぎた。まるで、目の前の女からではなく、月明かりを恥じているようだった。

「……私は人殺しです」

「まぁ、レンジャーやってるみたいだからね。珍しいことじゃないんじゃない?」

「私が殺したのは少女です。マリンあの娘と同じくらいの歳の」

「……何ですって?」

「かつて旅芸人の一座にいました。私の芸は、曲芸師として弓矢や投げナイフを的に当てるというものでした。……次第に、より観客を喜ばせるため曲芸は過激になっていきました。同じ一座の女性にリンゴを持ってもらって、それを目隠しで射ったりとね。ある日、小さな村の収穫祭に呼ばれたんです。しかし、その村ではどうにも客の受けが悪く、焦った座長が観客の中から私の弓矢の的になる人間をつのりました。そこで……ひとりの少女が名乗りを上げたんです」ハスキーは井戸の淵に腰かけた。頭を抱え、声が次第に震え始めていた。「彼女は……私を疑うなど夢にも思わなかったのです。遠い、外の世界から来たエルフの弓使い。田舎の少女には私がきっと特別な存在に見えたのでしょう。私の役に立てることが光栄でたまらないといったようでした。私もまた、彼女に応えるつもりでした。幾度もやった芸です。自信もありました」ハスキーの声が詰まった。喉につかえた自分の声が、音の欠片かけらとなって口から洩れていた。「何事も絶対などないのです。……目隠しをして矢を射る直前、私の顔に一匹の蜂が……。驚いた私は思わず……。次の瞬間、私の耳には群衆の悲鳴が……。」

 トリッシュはハスキーの話だけで、その光景をありありと思い浮かべ、思わずその時の観客のように目をつむった。

「愚かでした……何より軽率でした。何の因縁もない相手でした……。ただ手がすべっただけなんです……。それだけで私はあの娘の人生を……。」 

「……それで、逃げ回ってるっての? いっちゃあ悪いけど、あんまり感心しないよ」

 ハスキーは、いつもつけている左手の黒い手袋を取った。人差し指と中指がなかった。

「もともとは左利きだったんです。……刑期を終えた後はレンジャーになり、稼いだ金はあの娘の遺族に送り続けています」

「……。」

「しかし、例え永遠に金を送り続けても、彼女は戻っては来ません」ハスキーは顔を上げてトリッシュを見た。「この命をあの娘と取り換えられるなら、喜んでそうしましょう。何度もそう願いました。しかしこの思いは届きません、永遠に。……彼女のために命をかけることが叶わないならば、この命を拾ってくださった方々のために命を使わせてください」

「……わかったよ」

「……え?」

「そんなに命をかけたけりゃあ好きにしなってこと」

 ハスキーは返事をせずに、ただ深くうなずいた。

「でもね、価値のない命なんてかけてもらっても困るよ」

 ハスキーは顔を上げて、包帯の合間の瞳からトリッシュを見た。

「かけるに値する命だと思うなら、粗末にしないで。最後まで生き抜いてよ」

「……わかりました」

「……正直、嬉しくはないよ。でも」トリッシュはハスキーから顔をそむけた。「もしかしたら、自分はひとりじゃないのかもって思えた」

 トリッシュにはハスキーの吐息が笑っているように聞こえた。

「いっとくけど、犬に懐かれて悪い気がしないって程度のもんだからね」トリッシュはハスキーを見下した。きごちない、気恥ずかしさのある傲慢ごうまんさだった。「……まぁ、これを嬉しいって言うのかもしれないけどね」

「犬ならば、それでも十分すぎる言葉です」

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