やさしい夢

 ティムと馬で並走している男がティムに訊ねる。

「ティムさん、あの娘、置いてって良かったんですか?」

「あほか、さすがにワシかてガキを殺すんは寝覚めが悪ぅなるわい。安心せぇ、ガキのたわごとなんぞ誰が信じるか。みなしごで娼館育ちのガキの言うことなんざぁな」

「いえ、生かすなら生かすでも、ひとりで帰れますかね?」

「ああ? まだ日が明るかけぇ大丈夫じゃろ。今から戻ればガキ一人でも心配なか。運が良けりゃあな。……それよりも」

 ティムはブラッドリーを見た。ブラッドリーは元の姿に戻っていたが、様子がまだおかしかった。目は虚ろで、たまにぶつくさと独り言を口にしていた。男たちは、そんなブラッドリーに話しかけることはおろか、彼を避けるように距離を取っていた。


 ティムの予想と違って、マリンはすぐには帰らなかった。廃屋の中から農具を取り出して穴を掘り始めていた。

 そして木に吊るされているお竜をおろして埋葬すると、「次に来るときにきちんとお墓を建てるからね」と、小さな祈りをささげてクレアのもとに戻った。

 ひとりで墓穴を掘り、吊るされていたお竜を降ろして埋葬したマリンは、一見すると歳に似つかぬ気丈な少女のようだった。しかし──

「……クレア姉、帰ろうか」

 マリンは息をしていないクレアを背負いイリアを目指した。

 マリンの心は正常な調子を失い、そして凍てついていた。お竜と違い、体に欠損がないのだから、休ませたり医者に見せたりすればまた息を吹き返すに違いないと信じていた。こんなにきれいなクレア姉が死んでいるはずがない、そう思おうとしていた。少女は両親の死を克服したのではなかった。遠い彼方に封じ込めていた。そして今も、少女は背中に感じる死を何かの間違いだと信じずにはいられなかった。

 すでに、お竜を埋葬し終えた時点で日は沈みかけていた。そして少女の力で大人の女を背負って歩くには、あまりにもイリアは遠かった。道の半ばで日は完全に落ちていた。

 それでも少女は歩き続けた、自分より遥かに大きいクレアを背負って。時おり感じる重みや体温の変化が──もちろんマリンの気のせいなのだが──クレアが生きている証なのだとマリンの励みになっていた。

 息が白くなっていた。凍える寒さだった。

「クレア姉、寒くない?」

 そうマリンが訊ねるが、もちろんクレアは何も答えない。それでも少女は「急がないと」と、イリアを目指した。少女の膝は疲れで曲がり、背負っているクレアのつま先が地面について、地面に線を引いていた。遠目から見ると、まるでクレアの遺体が荒野を這っているかのようだった。

──急がないと、急がないと……。

 急がないといけない理由はマリンも分からなかった。

 精神を歪ませてまで痛みを抑え、疲れを忘れて肉体を動かしていたマリンだったが、それでも限界が来ていた。視界は夜なのに白み、頭の中は寒さに反し暖かくなっていた。

──イリアってこんなに遠かったっけ……。

 一歩、また一歩と少女の足取りは重くなっていった。そしてとうとう、その場でマリンは膝をついた。

──あれ、ここ寝るところじゃないよね? でも、まぁいいか……。

 気を失いそうになったその時、マリンは体が軽くなるのを感じた。

「……こんな所で寝てちゃあダメだろ」

「……あれ?」

 気づくと、マリンはクレアに肩車をされていた。股下では、笑顔でクレアがマリンを見上げている。

「え? クレア姉っ? 大丈夫だったのっ?」

「大丈夫って何がだい?」

「えっと、それは……。」

「アンタが背負って休ませてくれたおかげでね、ごらんのとおり元気になったよ」

「なぁんだクレア姉、寝てただけなんだねっ」

「そりゃあそうさ。なにさ、アタイが死んじまったとでも思ったかい?」

「だってクレア姉、死んじゃったみたいにぐっすりだったんだよっ?」

「そうかい、そりゃあ心配かけちまったね。でももう平気だよ。アンタが背負ってくれた分、アタイがアンタを背負ってイリアまで運んであげるからさっ」

 そう言ってクレアは駆け出した。

「ちょっとクレア姉、速すぎるよっ」

「しっかりつかまってなよ。みんなのところに早く帰らなきゃあいけないからねっ」

「そっか、そうだよねっ」

「そうらっ、ひとっ飛びでいくよっ」

 夜の闇を風のようにクレアは駆け抜けていった。


──すごいねクレア姉、ほんとに飛んでるみたいだよっ


 少女は夢を見ていた。

 草を探すのもひと苦労なほどに乾いた荒野の真ん中で、マリンは力尽き倒れていた。

 空からは、その年初めての雪が降り始めていた。

 雪の欠片が、ひとつ、またひとつとふたりの体に降り注いでいた。


──よかった、クレア姉


 すべての苦痛を淡く溶かすような、やさしい夢の中にマリンは落ちていった。

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