失墜

 ──フロリアンズ


「誰が殺せとまで言ったの!?」

 サハウェイはティムの報告を聞いて激怒していた。特に、クレアに関してはホールデンの店を乗っ取ろうとした時から目をつけており、今回ドウターズを潰しにかかったのも、彼女をはじめとした女たちの移籍を狙ったものだった。そのクレアを殺したとあっては、本来の目的が果たせなくなってしまう。

「貴方は加減ってものを知らないわっ」

 他の部下たちの前で叱責されているというにも関わらず、ティムは不敵な笑みを浮かべていた。

「当面、貴方に仕事を任せることはないわ。しばらくはホールでの給仕をやっててちょうだいっ」

「ホールでの給仕ですかぁ? なんや、男の仕事やなかですねぇ」

「自業自得でしょ。そんなに嫌なら好都合ね、しっかり反省してもらうわ。私の気がおさまるまで、私の前に姿を見せないで」

 ティムはソファに深く座り、ふんぞり返って首を傾けた。

 反省の色が見えないティムに、サハウェイの怒りは一向に収まらなかった。「くっ、まぁ良いわ。この話はこれで終わりよ。出て行ってちょうだい」

 だがティムは部屋を出て行こうとしない。サハウェイはこびりついた便器の汚れを見るな目でティムを睨んだ。サハウェイが再び出て行くよう命じようとしたとき、「……サハウェイさぁん」とティムが声をあげた。

「……なに?」

「今日は報告したいことがあるんですわ」

「報告? なんのかしら?」

「この店の、フロリアンズの違法行為に関する証拠があちこちであがっとりましてねぇ」

「……何言ってるの?」

「サハウェイさん」ティムの口調が変わった。冷たく舐めまわすようないやらしさがあった。「あんたぁ、責任取ってこの店の経営から降りてもらいますわぁ」

 しばらくサハウェイは無言でティムを見た後、口を当ててほほ笑んだ。

「あらあら、それはたいしたものね。で、それをどうするの? 役所にでも持って行って訴えでも起こすのかしら?」

「もう、やっとります」

「……なんですって?」

「ホートンズさぁんっ」

 ティムがそう声を上げると、部屋の扉を開けてホートンズが入ってきた。

 サハウェイが言う。「ホートンズ……さん?」

「サハウェイさん、ティム君からの報告に目を通しました。どうやら、私も捨ておくことができないようだ」しらじらしいほどに毅然とした様子でホートンズは言った。

「……ちょっと、待って。ホートンズさん、いったいどうして急に?」

「サハウェイさん、あなたのやり方はまどろっこしいんだ。しかも、最近は私の幾度も手を煩わせている」

 今日だってそうだ、とホートンズは言った。

「そ、それは……。ホートンズさんへの上納金を作るために……。」

「私に非があると?」

「そういうわけでは……。それに、違法行為を言うなら、ティムは今日、ドウターズの女たちを手にかけています。立派な殺人ですわ」

。そして中央にも通達済みですよ」ホートンズは言った。「サハウェイさん、貴女がこの店の経営者から降りないというなら、この店の営業を停止させてもらいます。停止どころか、貴女への容疑を追求する必要も出てくる」

「どうして……です?」

「貴女は慎重が過ぎるんですよ。やはり女性に大きな決断は下せるものではない。だからこれからは、ティム君に任せてみようとね」

「今日からこの店、ワシが牛耳らせてもらいます」とティムは言った。

「何言ってるの? ふざけないでっ」

「ふざけとりませんって。もう決まったことですきに」

「……ブラッドリーっ」

 サハウェイは同室していたブラッドリーに声をかけた。

「……おめでとうございます」

 ブラッドリーは笑顔で言った。

「……え?」

「ながいこと、女ひとりでよくがんばりましたね。しかしもう、無理をする必要はないのです。この街は貴女のおかげで随分と発展しました。後は男たちの仕事です」

「ブラッドリー……。」

「このブラッドリー、いつも心配しておりましたよ。仕事に没頭する貴女が婚期を逃すのではないかと。あくまで女の幸せと使命は、良き妻になり良き母になることですからね」

 ブラッドリーはサハウェイに近づき、彼女の手を取った。

「こんな小さな手では多くをつかむことはできません。これを機に、貴女は解放されるべきだ。貴女は素晴らしい女性なのですから。男の真似事など、不相応だったのです」

 驚いていたサハウェイだったが、すぐに理解した。ブラッドリーとはそもそもこういう男だったのだと。

「サハウェイさん、あんたからなんもかんも奪うっちゅうのはワシも気が引けますけぇ、ワシの秘書として雇っちゃりますよ」

 サハウェイは他の部下たちを見る。硬い笑顔で部下たちはサハウェイを見て、そして目をそらすばかりだった。

 望むように生きれば不相応なのか。

 手にしてないものを求めれば背伸びなのか。

 王の手も、農夫の手も、大きさは変わらないというのに。

 なぜ自分は力づくで奪え返せないのか。

 サハウェイのこぶしの中で、爪が突き刺さっていた。

「ほじゃあ、あんたの荷物を執務室から片づけてもらわないけんね」

 サハウェイはティムを見た。

「仕事に支障がありますけぇ、今日中に頼んますわ」

 何も言い返せないサハウェイが部屋を去ろうとすると、調子に乗ったティムが大声で言う。

「ほんなら、これまでフロリアンズのために献身していただいたサハウェイさんを、拍手で送りだそうやないですかぁ!」

 おおきく拍手をするティムに促され、従業員たちはひとり、またひとりと遠慮がちに拍手をし始めた。新しい主人に逆らうわけにはいかなかった。

 サハウェイはうつむいてその拍手を背に部屋を出ていった。


 サハウェイが去った後、ティムは胸を張り肩で風を切りながら、従業員たちに聞こえるようにホートンズにすり寄った。自分の今の立場を従業員たちに見せつけるためだった。

「ホートンズさぁん、助かりましたわぁ。えろぉすんませぇん、ご足労かけてぇっ」

「なに、もうここで出来ることも僅かなんでな」

「……どういうことですか?」

「……移動だ」

「……移動? なんでですの? ホートンズさん以外にこの地区のことを熟知してる方なんて……。」

「この期に及んでおべっかはよせ。中央にダニエルズの奴が出向してきな、そいつがここら辺の私たちの仕事に監視の目を光らせ始めたんだ」

「そんなこつ言うても、今までかて……。」

「そいつはダニエルズの王族の息がかかってる。女だてら出世欲の強いやつでな、袖の下も通用しそうにない」

「そじゃあ……。」

「最後に稼がしてもらうぞ。私が移動するまで、お前の傘下の売り上げの三分の二はこちらによこせ」

「さ、三分の二ですかっ?」

「そんな顔をするな。念願のこの娼館の主になれたんだ。たかがのお前がな。それならば十分すぎる献金だとは思わないか?」

「あ、う……。」

「私も、男ならば店を任せるに安心だ。弱気にならず、しっかり稼げよ」

 ホートンズはそう言って、ティムの肩を叩いて去っていった。


 サハウェイは自室に戻ると、机に座り放心して天井を見上げた。そして窓を見上げ手を伸ばした。

──遠い

 部屋の扉をノックする音がした。

「……誰?」

「お茶だよ」

「……入って」

 天使の格好をしたマテルが入ってきた。マテルはサハウェイの机にお茶の準備をする。

「……貴方だけになったわね」

 サハウェイはそう言うと、椅子から立ち上がってベッドに腰かけた。

「貴方は私を見限らないの? 貴方の首輪を外して自由にしてもいいのよ?」

「ぼくは綺麗な女の人が好きさ」

 サハウェイはしばらくマテルを見てから苦笑した。

「いいわね、貴方は自由で」少し考えてサハウェイは言う。「……そういえば、貴方もお金で買われたんだったわね。ごめんなさいね、適当なことを言って」

「おねえさんは自由にならないのかい?」

「……そうね。だって、ひとは生まれながらに枷をされているようなものなのよ。誰ひとり自由な者なんていないわ」

「そうなのかい?」

「え?」

「枷があっても、何かひとつは自由にできることがあるんじゃないかって思うよ」

「そうかしらね……。」

「ぼくは亜人だからね、綺麗なおねえさんがどんなに好きでもケッコンはできないさ。でも、おねえさんたちは人間の男よりもぼくを可愛がってくれるよ」

「自分で言うのね……。」

「ひとつ自由なことがあるなら、それを大事にすればいいのさ」

「……そうね」

「ところで、お茶は飲まないのかい?」

「……こっちに来てちょうだい」そう言ってサハウェイはベッドに寝そべった。サハウェイの動きに合わせて、白い綿のシーツがしゅうと音を立てる。

 マテルはベッドに乗ってサハウェイの横に寝そべった。そしてサハウェイが抱きしめやすいように腕の下に潜り込んだ。

「私が自由にできること……何かしら……。」

「女の人であることは変わらないね」

「それでこうなったのよ」

「女の人であることは不自由かい?」

「そりゃあそうよ」

「でも、ぼくは女の人以外の懐には自分から入らないんだよ?」

「自分で言うのね……。」そう言って、サハウェイはマテルの頭を撫でた。「そうね、それは不自由じゃないわ」



──二時間前


「あれ? ねえ父さん、あれって……。」

 水を汲みに谷にやって来ていた開拓民の息子が、遠くを指さした。

「うん? おや、あれは……。」

 開拓民の男がその方向を見ると、川下の岩と岩の間に人が引っかかっているのが見えた。

 ふたりは顔を見合わせると、その人間らしき陰のもとへ行った。

 途中で父親は息子をその場でとどまらせた。もしかしたら、ひどい損傷のある死体かもしれなかったからだ。

 父親が近づくと、引っかかっているのは間違いなく人間で、しかも女だということが分かった。生半可ではない打ち身や出血が見て取れた。

 父親は崖の上を見た。見上げるだけで、絶望感の漂う断崖だった。あそこから落ちたのならば助からないな、そう思って父親は息子の方を見て首を振った。

「……かわいそうに、あんた旅の人かね」

 父親が女に声をかけ膝をついて祈ろうとしたとき、女が突然動き、彼の足首をものすごい力で握りしめた。

「ぎゃあああああ!」

 父は絶叫し、息子は腰を抜かした。

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