すべての娘たちの名誉のために

──数日後、ベクテル王都


 ダニエルズから派遣されていたケリーは、過去十年の王都の裁判記録に目を通していた。

「精が出ますね、デイム・ケリー※」

(デイム:女性に与えられる騎士の称号。男性のサーにあたる)

 ケリーは資料から目を上げ入室してきた部下を見た。浅いブラウンの瞳は、褐色の肌のために赤色に輝いているようだった。

「出向検事とは聞こえがいいけれど、やることと言ったらこれくらいしかないもの」

 退屈ね、と言ってケリーは右肩を左手で押さえ首を傾けた。香油で浸したようにボリュームのある、ウェーブのかかった黒髪が首の動きに合わせてはらりと流れる。

「ご辛抱を。ホートンズ殿から仕事を引き継げば、むしろ王都が恋しくなります」

「それくらいにならないと、せっかく王都まで来た甲斐がないわ。……どうしたの?」

「いえ、貴女さえ望めば、王都での仕事だけでここでの任務を終えることだってできたはずです。何故わざわざ視察の仕事まで?」

「私は自分の仕事に負い目を感じたくないの。自分の仕事にいっさいの後ろめたさはない、そういう自負心が私をここまで押し上げたんだから」

 部下は苦笑いをしながら首を振った。「うちの新入りたちにも、貴女の爪の垢を煎じて飲ませたいものですな」

「それで、何の用かしら?」

「はい、実はホートンズ殿がお話があると」

「ホートンズ巡察官が?」

「ええ、どうやら任務の引継ぎの件でと……。」

「あら、私に仕事を任せるのを渋ってたようだけど、職務に関しては熱心なのね」

「自治区の巡察官を長年務めていた彼です、仕事に愛着があったのは分かりますが……。」

「愛着……ね」

「いかがなさいましたか?」

「いいえ。いいわ、ホートンズ巡察官を呼んでください」

「かしこまりました」

 部下は一礼すると、部屋から出ていった。部下が出ていった後、ケリーは再び資料に目を落とした。それはカッシーマの、とりわけイリアに関する事件の資料だった。他の事件や事故に比べて、ホートンズが絡むことが多い上、ホートンズが捜査したものはほとんどが事故で片付けられていた。例え人死にが出ている件であっても、である。ケリーの太い眉毛の間に厳しくしわが入った。そして、ケリーは待ち合わせ場所に現れなかったクロウの事を思った。


 ──イリア


 酒屋の店主とその仲間たちは、教会に小麦粉の袋を運んでいた。

 事情が分からない近隣に住む男が訊ねる。

「どうしたんだい、アンタら。そんなもの教会に運んで?」

 酒屋の店主が答える。「ああ、出ていっちまった店舗から、まだ使えるものを教会に運んでるんだ」

「教会に? またどうして?」

「そりゃあもったいないからさ。空き家に置いちゃあネズミに喰われちまう。それに、空き家を清掃して、すぐに新しい住人が使えるようにしようと思ってさ」

 店主は、ティムさんと神父には許可を取ってるぜ? と言った。

「そ、そうか……。」

 男が去った後、酒屋の店主は仲間を見た。仲間はうなずくと空き家を見た。

 空き家では、男たちが木箱を室内へと運び入れていた。 



──その晩


 フロリアンズのホールには街の住人達には見慣れない男たちが集まっていた。一部は逃げていった店や乗っ取った店をかつての主の代わりに経営するやくざ者、そしてもう一部はとある目的のために集められたゴロツキ、大金をつかむビジネスがあるとティムに呼び寄せられた男たちだった。

 常連たちは、溢れかえる見慣れないその男たちに、肩身の狭い思いで酒を飲んでいた。さらに、目当ての女がいても次々と彼らに順番を割り込まれていた。フロリアンズは彼らの見知った店ではなくなりつつあった。

 しかし、ティムはそんな常連の様子など気にする様子もなく、自分に首をたれる男たちを前に上機嫌にふるまっていた。

 ティムは集まった男たちの前で祝杯をあげる。彼らは自分たちの繁栄を信じて疑わなかった。机の隅に残ったわずかな汚れ、それをふき取ってしまえば、自分のテーブルの上には思うままに絢爛豪華けんらんごうかな財宝も、酒池肉林しゅちにくりんの宴も、極彩色ごくさいしきに着飾った女たちも、そのテーブルの上にのせ、思いのままにできると。わずかな汚れをぬぐい取れさえすれば。



 一方その頃、ドウターズでは女たちが静かに夕食を取っていた。咀嚼そしゃく嚥下えんげの音が際立つほどに静かな食事風景だった。まるで、最後の晩餐ばんさんかのような沈痛さもあった

 食事が終わると、ミラは立ち上がってテーブルを囲んでいる女たちに問いかけた。

「もし、どうしても明日、街へ行くのが嫌だって女がいたら、今すぐにここを出てってもいいんだよ。無理いはしたくないからね」

 ミラは女たちを見渡すが、誰も立ち上がろうとはしなかった。

「……みんな」それでもミラは念を押そうとする。「街にはアタシらと一緒に立ち上がってくれる住民がいる。でも、それでも頼り切ることはできないんだ。白馬の王子様なんてやってこない。最後はアタシらがけじめをつけなきゃいけないんだよ」

「……必要ないさ」とトリッシュが言った。

「待つのも耐えるのも、もううんざりだもん」マリンも言った。

「白馬の王子様がこない? 上等じゃん」とリタ。

「そんなのいらないね。ウチらはそんなのが追っつかないくらいの速さで、この嵐を駆け抜けるんだからさ」

 全員がミッキーを見た。

「何さ?」

「いや、アンタが気の利いたことを言うと不吉なことが起こりそうな気がする」とリタが言った。

 クロウが立ち上がった。

「……どうしたんだい?」ミラが訊ねる。

「総意を得たなら乾杯といこう」クロウは自分の杯に葡萄酒を入れてそれを掲げた。「明日の決意を示すんだ。戦いに臨む戦士はそうする」

「……そうだね」ミラも立ち上がって杯を満たした。

 女たちは次々に自分の杯を葡萄酒で満たした。

 ミラは隣のマリンの杯にも葡萄酒を注ぎ、今のうちに慣れとかないとね、と言った。

 すべての女が杯を満たすと、「で、何に乾杯するの?」とミッキーが訊ねた。

「……明日の勝利を願って、とか?」とトリッシュが言う。

「それじゃあ普通すぎ」とリタが言う。

 女たちは誰ともなくミラを見た。

 視線に気づいたミラはしばらく考えて沈黙した。

 そしてミラは言った。「……すべての」

「え?」

「“すべての娘たちの名誉のために”……てのはどう?」

「すべての娘たちの名誉のため……。」トリッシュがつぶやいた。

「いいね」とアリシアが言う。

「悪くない」とクロウ。

 ミラはマリンの頭を撫でて杯を掲げた。

「今を生きている娘たちの名誉のため」

 アリシアは遠くを見て杯を掲げた。

「産まれなかったアタイの娘と、大人になれなかったダチの娘の名誉のため」

 クロウが杯を掲げた。

「かつて娘たちだった私たちの名誉のため」


 “すべての娘たちの名誉のために”


 女たち全員が杯を掲げ、そして葡萄酒を飲み干した。

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