男たちの思惑
その頃、ブラッドリーは教会の裏で猟犬に餌をやっていた。その様子を、街の子供たちが興味深そうに取り囲み見ていた。青銅製の彫像のような、大きく静かな猟犬がブラッドリーの命令でお手をしお預けをくらい、そして「よし」という声とともに、野生向きだしで餌にがっつくと、子供たちは感心して笑い声をあげた。
「賢い犬だね」と子供の一人が言う。
「すごい大きいよね。オオカミとどっちが大きいのかな?」
「そりゃあオオカミだよ。前に猟師のおうちで
「確かに犬と狼、どちらが強いかと問われれば、それは狼の方でしょう」ブラッドリーは言った。「しかし、あなた方に極めて真実に言いますが、生き物として優れているのは犬なのですよ」
「え、どうして?」と子供が訊ねる。
「強いほうがいいんじゃないの?」
「一匹で考えるならばそうです」ブラッドリーは言う。「しかし、それを“種”という全体で考えるならばどうでしょうか?」
子供たちは意味が分からず、長身のブラッドリーを見上げた。
「犬は人間に取り入ることで、生き残る道を見出しました。人に気に入られる、それは牙を失うということです。またそれは鎖に繋がれた人生とも言えます。しかし牙をむき出しにし、鎖を拒否する生き方がそんなにも賢いことなのでしょうか? いいえ、違います。なぜならば犬は狼よりも広く世界中に
ブラッドリーは子供たちに微笑んでから猟犬を見た。
「私たちは彼らから学ぶことが多くあります。彼らは多くを望みません。人間とは違い、名誉を求めません、正義などは口にもしません。彼らにあるのは安寧と繁栄だけです。しかし、それこそが人が目指すべき道ではありませんか? そのために人間は社会を発展させてきたのですから。ゆえにあなた達も犬を見習いなさい。彼らのように、足ることを知る、主に従順な、人あたりの良い大人になるのです」
ブラッドリーが話していると、後ろから街の住人の男がブラッドリーに声をかけてきた。
「……おや、キムさん」ブラッドリーが言う。
それは、40代前半の男だった。七三分けにしている黒髪には白髪が混じっていたが、八の字の眉毛は真っ黒だった。鼻は虫に刺されたように厚ぼったく大きかった。
男、キムは後頭部を撫でながら恐縮して頭を下げた。ただでさえ八の字の眉毛がより一層垂れ下がっていた。
「実はご相談したいことがございまして……。」
「よいでしょう……。」ブラッドリーは子供たちを見た。「これからキムさんとお話があります。今日はもうお帰りなさい」
子供たちは「は~い」と帰っていった。
子供たちを見送るとブラッドリーは振り向いて言った。「それで……どうなさいましたか、キムさん」
しかし、それでもキムは打ち明けにくいようだった。
「……教会に入りましょうか」
「実は……。」教会の隅に座らされたキムは恐る恐る語り始めた。「子供が出来たようでして……。」
「素晴らしい、念願の第二子ですね」と、机を挟んで向かいに座るブラッドリーが言った。
「いえ、それが……。」
「どうしました?」
「身ごもったのは妻ではなく、娘なのです……。」
「ほう、しかし娘さんは確か……。」
「はい……結婚はいたしておりません」
「では、父親はいったい?」
「それが……おそらく、いやおそらくと言いますか……。」
キムの声はかすれ、時に甲高くなり、言葉を幾度も喉につかえさせた。やがて、教会にさめざめとした男のすすり泣きが響くようになった。
「……もしかして」ブラッドリーが察すると、キムは小さくため息をついて両手で顔を覆い隠した。
ブラッドリーは痛ましく首を振ると、キムの隣に座った。そして、やさしくキムの肩に手を置いた。「良いのです、キムさん」
「……え?」キムは顔を上げた。
「きっと神が結び付けてくださったのです。奥様、エイミーさんは男子をもうけることができませんでした。男を産むのは女の役割だというのにです」
「女の……。」
「そうです。たったひとり女児を生んだだけでは、子供を生んだうちには入りません。やがてよそへ行く、嫁入りまでの家畜のようなものなのですから。彼女にもまた、責任があります」
キムは自分の罪悪感を妻に転嫁することにより、少し表情が晴れた。
「神は本来奥様が果たすべきだった役割を、娘さんにお任せになったのです。すべては神の意図するところ。それに娘さんだって、抵抗はしなかったのでしょう?」
「ええ、はぁ……。」
「嫌だと言っていましたか?」
「いえ、それは……。」
「なれば問題ありません。御安心なさい。神はすべてを許されます」
「神父様……。」
キムはすすり泣き、ブラッドリーの手を取った。そんなキムの肩を抱き、自分の胸元に引き寄せるブラッドリーの顔は、狼のように無表情だった。
「しかし……妻は私をこのことでなじるようになりまして、とても家にいるのはいたたまれないのです……。」
ブラッドリーは無言で立ち上がると、教会の奥へと消えていった。
「……神父様?」
ブラッドリーが戻ってくると、手には馬具の
「神父様、それは……?」
ブラッドリーは両手でくつわを持ち上げキムに説明する。「これは、一昔前まで使われていたものです。口うるさい女にこれをつけ、反省するまで黙らせる器具ですよ」
キムは呆気に取られてブラッドリーを見る。
「奥様には、これをしばらくつけてもらいましょう」
「し、しかし……妻につけるにしても、いったいどうやって……。」
「一家の主に口答えする女には仕置きが当然です。私からそう言われたとおっしゃってください。そうすれば、奥様も従わざるを得ないでしょう」
ブラッドリーは微笑み、キムは涙を流しながらブラッドリーの前に跪いた。
──フロリアンズ
帰ったキャサリンが執務室に入ると、そこでは執務机のティムがメイドを膝の上に乗せていた。ティムの手はメイドのスカートに入っていた。
「……あ」
キャサリンの入室に気づいたティムが慌てて言う。「な、なんじゃい。ノックぐらいせんか」
ティムの膝から降りたメイドは「失礼します」と言って、そそくさと部屋を出ていった。そんなメイドをキャサリンは冷ややかに見ていた。
「で、何の用や?」
「あんなブスのどこがいいのかしら?」と、キャサリンは大人びた口調で、見下すようにティムをなじった。
「何の用や言うとるやろうが! お前、調子乗んなよ! おお!?」ティムは机の上の万年筆をキャサリンに投げつけた。ティムに怒鳴られ、キャサリンの肩がびくりと動く。
「……用って、あなたがわたしにドウターズの事を聞いて来いって」
「おお、そうか。で、どうやった……。」
キャサリンはティムにそばに行き、すがるように肩に手を置いた。
「やっぱり、彼女たち新しいお役人に訴えを起こすつもりみたい」
「何やと……。ま、まぁワシが睨んだ通りやったな……。」ティムはサハウェイの杞憂だと思っていたので、内心驚きが大きかった。ティムはキャサリンに言う。「そいじゃあ、さっそくホートンズさんに連絡や。あん人も、これで重い腰を上げるじゃろう」
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