囁き

 ──その頃、フロリアンズ


 応接間では、ホートンズをもてなすための、ささやかな宴が催されていた。

「中央でのお食事に慣れてらっしゃるホートンズさんのお口に合うかどうか分かりませんが……。」

 秘書になったサハウェイだったが、ホートンズの嗜好しこうは彼女の方がより理解していた。彼の接客は未だにサハウェイの役目だった。

「そんなことはないさ、サハウェイさん。このイリアの洗練せんれん具合は他の自治区とは比べ物にならない。私も毎回ここに来るのが楽しみなんだ」

「まぁ、お世辞だったとしても嬉しいですわ」

 ホートンズは上機嫌だった。ティムの強引な手法により収益は増大し、さらに上納金の比率が上げられていたため、彼の手元には役人の給料の三年分の金が短期間で集まっていた。

 さらにサハウェイは、贅を尽くした料理の乗るテーブルに宝石や貴金属を並べた。宝石の輝きを瞳に反射させるホートンズの横には、きらびやかなドレスで着飾った女たちが寄り添っている。ホートンズは洗練といったが、そこに品性を感じられるものはなかった。可視化された欲望が、やかましく輝きを放っていた。

「やはり、君はサポート役に回るのが正解だったな。私がにらんだとおりだったろう?」とホートンズが言う。

「そうですわねぇ。ホートンズさんのおかげで、私も肩の荷が下りました。存分にティムさんのサポートに回れております」

「その通り、男の真似事なんてする必要はないんだ。物事には相応というものがある。……女は女の仕事を、高貴なものは高貴な仕事を……。」そう言って、ホートンズはテーブルの上にあったサクランボほどの大きさの紅玉のついた指輪を自分の指にはめた。指輪はホートンズの指には大きく、関節をするりとすり抜けていた。

「なるほど、相応ね。仰る通りですわ、ホートンズさん」と、サハウェイはその指輪を見ながら言った。

「お待たせしましたぁっ」

 ティムがだみ声をあげて入室してきた。仕立てたばかりのスーツは滑らかに光沢を放っていたが、その上から伸びているティムのひげ面のギャップが激しく、かえって薄汚れて見えていた。

「おやおやティム君、遅かったじゃないか」

「えろぉすんません。ここん社長になってから、ずいぶん仕事が増えてしもうて」

「なるほど、それならば仕方ない。男の本懐は仕事だからな。何より、これだけ収益を上げたんだ、忙しくもなるだろう。さすが私が見込んだだけある」

「へへぇ、サハウェイさんのそばで経営の勉強をさせてもらってましたけぇ。仕事に関しちゃあ、ワシはサハウェイさんの息子みたいなもんですわ」

「まぁ、随分と大きい息子ができたものだわ」

「ま、その息子はあっちゅうまに成長して、親を越えましたがねぇ」

 サハウェイは上機嫌に口を当ててほほ笑んだ。

「で、おんしは何しとるんじゃ?」とティムがサハウェイに訊ねる。

「ティムさんがお見えになるまで、ホートンズさんのお相手を……。」

「わぁっとるわっ。なぁんで主の席におんしが座っちょうか聞いとんのじゃっ」

「……失礼しました」

 サハウェイは席から立ち上がった。そこに入れ替わりにティムが座る。

「申し訳ありませんなぁ、どうも社長だったころのクセが抜けんみたいで」

「かまわんさ」とホートンズは言った。

 ティムを迎えて三人は酒池肉林の宴を始めた。男二人が酒の匂いに欲情し、女の香りに酩酊し始めたころ、サハウェイは沈痛ちんつうな面持ちで、意味深な顔をし始めた。

「どうしたんだぁ、サハウェイさぁん」とホートンズは言った。「私がぁ、若い女ばっかり相手にするんで妬いてるのかなぁ?」ホートンズはサハウェイの腰を抱き、体を自分に引き寄せた。「いいんだぞぉ、ティム君が首を縦に振れば、今日は君を相手にしても」

「へへぇ、そぉんな年増でよけりゃあどうぞどうぞ、持ってってくださいな」と、へべれけになったティムが言う。

「もう、およしになって」そう言って、サハウェイはホートンズの腰をほどいた。「嬉しいですけど、そんな気分じゃあないんです」

「ほう、じゃあどういう気分だっていうんだい?」

「……もう、こんな素敵な夜が今夜限りというのが、あまりにも虚しくて……。」

 悲しく遠くを見つめるサハウェイの眼差しの先を、男たちは無意識に追った。

「……せっかくこれほどの富を生み出すことができたというのに、もうお終いなんですよ」

「……仕方あるまい。私だって一介の役人だ、上の命令には逆らえん」

「そうですわね、命令に逆らうことはできません。けれど、命令を変えることはできるんじゃありませんこと?」

「……どういうことだ?」

「代わりたくないのならば、代えられないようにすればよいのです。つまり……。」

 サハウェイはホートンズの耳元でささやいた。

 ホートンズの赤ら顔が真っ白になった。「……ば、ばかなっ。何を言ってるんだっ?」

「ん~? どないしたんですかぁ?」と眠そうな瞳でティムが二人を見る。

「こ、この女っ」

「何を驚いてらっしゃるの? 女を手にかけるなど、すでに経験済みじゃあありませんこと?」

「わ、私は何も……。」

「今回も、ホートンズさんはタクトを振っていただくだけで良いのです。実行は私たちに任せていただければ……。」

「いや、しかし……。」

「よろしいのですか? 仕事は男の本懐なのでしょう? それを女に奪われるとあって、指をくわえて見てるだけのおつもりですか?」

「ぬ……。」

「お約束したでしょう? カッシーマだけではなく、やがてはヘルメス、そしてダニエルズまで、手広く事業を広げると。そしてその利益は、ホートンズさんのものにもなるんですよ」サハウェイはテーブルの上を指さす。「見てください。イリアだけですら、これほどの利益を生み出すのです。あれが、三倍、十倍と増えていくのですよ? たとえ嫌疑をかけられようと、そこまで強大になったホートンズさんに、いったい誰が逆らえるというのです?」サハウェイはホートンズの手を取った。「ホートンズさん、もっとご自分を信じてください。あなた様は地方役人で終わる男性ではないはずです。ただの地方役人がこれほどの富を集めることができるとお思いですか?」

 ホートンズとサハウェイは、テーブルの上の貴金属と宝石を見た。そして、部屋に子供が遊び疲れて放置した人形のように転がる女たちも。

「これがあなた様の証明です。けれど……きっとまだ昇れるはずですわ」

「しかし……さすがに……。」

「何も、利益のためだけではありません」そう言って、サハウェイはティムを見た。「女たちを今後とも逆らえないようにするためです」

 ティムはソファからずり落ちた。「な、なんやと?」

「きっと、あの女たちは時期を待っているはずです。新しい担当の役人が来たならば、今度こそはと……。」

「な、何を言うちょるがか。あんだけしっかり見せしばしとるんやぞ?」

「女の勘ですわ」サハウェイはホートンズを見る。「そうなってしまったら、ここのお役目を外れたホートンズさんにもおおがめが……。」

 男たちはサハウェイを見てしばらく沈黙した。

「しかし……いったいどうすれば?」とホートンズが訊ねる。

「簡単ですよ。引継ぎの準備と称して、彼女をイリアまで誘いこめばよいのです。その道中で……。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る