家族

 クロウがドウターズに戻ると、店にはハスキー以外誰もいなかった。

 クロウはハスキーに教えられ、街の墓地へと向かった。

 埋葬を待つ遺体の保安所にミラはいた。クレアの遺体を前にして沈黙しているミラは、自身もまた遺体のようだった。

「……ここにいたのか」とクロウは言った。

「……アンタ、生きてたのかい」

「……ああ」

 クロウはクレアの前に行くと黙祷をささげた。

 死んで良い人間とそうでない人間など容易に分けられるものではない。それでも、クロウには目の前のクレアの死が何かの手違いのように思えた。死神がリストに記された名前を読み間違えたという、そんなおとぎ話めいた理由を聞かされても信じられそうだった。死と生前の彼女のイメージが、それほどまでにかけ離れていた。

「……綺麗だろ」とミラは言った。

「……ああ」

「前の店じゃあ、これから彼女が店を引っ張るんだって誰もが思っててね。……器量が良いし気立てが良いだもん」

「……そうか」

「アタシ、ずっと妬いてたんだ。同い年なのになんて不平等なんだろうって。きっと、すぐに良い客見つけて見受けしてもらって、娼婦だったことなんて嘘みたいな過去に変えて幸せになっちゃうんだろうなって。……将来が約束されてるんだって、そう思ってた」

 しめやかで、冷たく、暗い、クレアの後を追うような、死の気配のする口調だった。

「……そうか」

「それが……こんなことに……。」

「……そうだな」

「アタシのせいだ。アタシが彼女を巻き込んじまったんだ。とっつぁんの店をサハウェイが乗っ取るって時に、とっとと差し出してりゃ良かったんだ。変な意地はっちまって……。とっとと相応に生きてりゃあ……。これまでもそのチャンスはあったのに……。アリシアに言われてたことがようやく分かったよ。アタシら娼婦は世間様のお情けがないと生きていけない。どんなに蔑まれて酷い扱い受けたって、感情押し殺して、平身低頭してでも、それでも生きていけるならそれでよかったのに」

「……。」

「アタシが殺したんだ。彼女を、それにお竜さんを……。」

「……優しいんだな」

「慰めかい、よしとくれよ」

「もちろん違う。呆れているんだ」

「……何だって?」

「それは、この娘を殺した奴らに捧げてる言葉だ。きっと奴ら、見せしめの甲斐があったと喜ぶだろうな。そういう意味での優しいってことだよ。少なくとも、この娘に捧げられるべき言葉じゃあない」

「そんなの……そんなこと分かってるよ!」石造りの室内にミラの声が響いた。「でも……でも、こうでも言ってなきゃあ……。」

「自分の無力さに打ちひしがれそうか?」

「うるさいよ! アンタが来なけりゃあこんなことにならなかったんだ! アタシらにまだ余計なこと吹き込もうってのかい!?」

「よく見ろ!」クロウはクレアの遺体を指した。「お前さんの言うとおりだ。美しい娘だった。若かった。いろんなことがやれたはずだ。きっといつか良縁に恵まれて、幸せな家庭でも作ったろう。老後は孫にでも囲まれてな。そうでなくても、友人と茶を囲んで他愛のない世間話をする人生だってあったはずだ。それを……根こそぎ奪った奴らがいるんだぞ!」

 ミラは腕を組んで顔をそらした。

「この娘の人生を、魂を侮辱した奴らがいるんだ! それは私でも、ましてやお前さんでもない! これは不幸な事故でも地獄の悪魔の仕業でもない! 私たちの目の、手の届く場所にいる奴らのやったことだ! 認められるか、奴らがこの娘を辱めた手で子供を抱擁するのを!? 我慢できるか、奴らがこの娘を罵った口で妻に愛を囁くのを!? 私には無理だ! 私には奴らがしかるべき報いを受けるまで、奴らしか見えない!!」

「分かってるよ! アタシだって悔しいよ、はらわたが煮えくり返りそうさ! でも……じゃあ、どうしろっていうのさ……。」

「刃を向ける先を間違えるな、曲がった刃じゃあ鶏だってさばけやしないんだ」

「その結果がこれだろ?」

「一回負けたからといって、次にまた負けるとは限らない」

「はんっ、たいした自信だねっ。たったふたりで何しようってのさ?」

「ふたり?」

「そうさ、みんな出てっちまったよ。当然だろ? こんな目にあって、まだウチに残ろうなんて女がいるもんか」

「自分で自分を見限るのは一番つまらないな」

「……どういう意味さ?」


 クロウとミラはドウターズに戻った。そこには女たちがいた。女たちは買い出しのために遠出し、店の修復のための資材を集めていたのだった。

「……アンタたち」

「あ、ミラ姉」と、ミラの帰りに気づいたトリッシュが言った。

 トリッシュの言葉に、金づちで雨戸を整えているミッキーとリタが振り返った。

「「ミラ姉っ」」

「ハモンなよ、恥ずいな」と、リタがミッキーに言った。

 マリンが建物から出てきて、ミラのもとへ走ってきた。

「ミラ姉っ」

「……マリン」

「あのね、この間行った廃村に、まだ使えそうな木材とかがいっぱいあったから、そこからいっぱい運んできたんだよ。これだけあれば、みんなで頑張ったらすぐにお店元に戻るよっ」

「あの村に行ったのか?」とクロウが訊ねる。

「うん、お竜さんのお墓……きちんと作りたかったから……。」

「えらいな」そう言って、クロウはマリンの頭を撫でた。

 ミラのもとへ、女たちが集まってきた。

「あんたたち……どうして?」ミラは言った。

「どうしてって……。」

 女たちは各々顔を見合わせた。

「そりゃあ、ここがアタイらの居場所だからね」

 そう言ったのはアリシアだった。

「アリシア……。」

「居場所っつぅか、家みたいなもんだよね」とミッキーが言った。

「もしかして……。」ミラが言う。「アンタたち、アタシのせいでサハウェイの店にいけなくなったのかい?」

「違うよミラ姉、わたしたちは自分たちの意志で残ったんだよ」とトリッシュが言った。

「どうしてさ?」

「これがアタシらの選択だからさ」とリタが言った。

 ミッキーが言う。「人生で選べるものなんかなかったけど、そんなウチらが最初に選べたのがミラ姉なんだよ」

「行くとこなんかなかったアタシらだったのにね」とリタ。

「きっと、クレア姉もそうだったはずだよ」トリッシュが言う。「だから、ミラ姉と最後まで一緒にいようって思ってたんじゃないかな?」

「アンタはこの子たちに家族を作ってくれたんじゃないか」アリシアが言う。「アタイだってそうさ。独り身の飯炊きババアで終わるはずの人生だったのに、娘たちを連れてきてくれたんだ。……まぁ手のかかる娘だけどね」

「ミラ姉」マリンは言った。「みんな一緒にいたいんだよ。わたしもミラ姉と最後までいたいよ」

「……みんな」

 ミラはしばらくうつむいた。そしてクロウを見ると、意を決して話し始めた。

「みんなに訊きたいことがあるんだ。もし家族なら、これから話すことはみんなで決めないといけないからね」

「なんだいミラ、改まって?」とアリシアが言う。

「……クレアとお竜さんが殺された」

 女たちは各々目をそらした。

「アタシらはどちらかを決めないといけない。……逃げるのか、それとも留まるのか」

 ある者は驚いてミラを見た。ある者は覚悟していたかのようにミラを見た。

「逃げるのなら、どこか別の場所にみんなで移り住んで、また新しく商売を始めればいい。ひっそりと、サハウェイの目につかないようにね。ふたりの死に背を向けて新しい生活をしてれば、そのうち今回のことも過去にできるかもしれない」

「留まるってのは?」とトリッシュが訊ねる。

「留まるってのは、もういっかいあいつらに戦いを挑むんだ。役人に奴らの殺人を訴えて、しかるべき報いを受けさせる。そして奴らを追い払ったら、アタシらはこのイリアで、このドウターズをまた盛り立てるのさ」

 ミラは女たちの顔色を見渡す。反応は様々だった。

「まぁ、どっちも生きていくための選択だよ」

「……ミラはどうしたいんだい?」とアリシアが訊ねる。

「アタシは……戦いたい」

 アリシアが言う。「ちょっと、それは……。」

「アタシはクレアが大好きだった。お竜さんはこの店の女たちのためにいつも戦ってくれてたんだ。……確かにそんなふたりを忘れて生きることもできるのかもしれない。でも、アタシはいやだ。そんな自分を想像したくない。ふたりの死から目を背けて、過去から逃げながら生きてく自分なんて。アタシは立ち向かう。立ち向かって初めてアタシは自分の人生を歩めるんだ。……アリシア、理不尽に背を向けるのはもうやめにしたいんだよ。あんなことがあっていいわけがないんだ。あんなのが許されるんだったら、それは世界がおかしいってことさ。だったら、例え身が砕けてもアタシは世界にぶつかってやるよ」

「魚は川の流れを恨まないんじゃないのかい?」

「魚になったことは?」

「え?」

「案外、恨んでるかもよ」ミラは女たちを見渡して言う。「あくまで、これはアタシの選択だよ。みんなにも決めてほしい。今回はみんなで決めたことに従うつもりだから」

「わたしは……戦うよ」マリンが言った。「お竜さんは命の恩人だったから」

 リタが言う。「アタシもやるよ。奴らのことは呪い殺しても足りないくらいなんだ」

 リタは、発作の時にクレアが介抱してくれていたことを知っていた。

「家族殺されて許せるなんて、そんなにわたしは聖人じゃないよ。やってやろうよ。仕掛けてきたのはあいつらなんだから」そう言って、トリッシュはクロウを見た。「大義のために戦うのかってあんた聞いたよね? 今がその時さ」

「役人に訴えるって話でしょ? 訴えて無視されるとか、別にそこまで世の中腐ってないっしょ?」ミッキーが言う。「それに勝つか負けるかなんて、確率で言うと五分五分だよ? だって……勝つか負けるかしかないんだもん」

 ミッキーの気の抜けた様子に、他の従業員たちも考えてみりゃそうだよね、と同調し始めた。

「あんたたちねぇ」

 アリシアは頭を抱えた。

「アリシアはどうするの?」ミラが訊ねる。

「……少し考えさせてくれないかね」

「……分かったよ」

「いじわるじゃなくて、老婆心だからね」念を押すようにアリシアは言った。「この中から、またクレアと同じ運命をたどる女がいるかもしれないってこと、忘れるんじゃないよ」

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