クレア

 クロウたちの陽動ようどうでクレアとマリンは馬を取り戻した。クレアは馬をイリアへと全力で走らせる。汚れた雪のように濁った曇り空の下、二人を乗せた馬が走り続けていた。

 クレアは一度も振り向かなかった。彼女の意識にあるのは目的地であるドウターズだけだったからだ。なんとしても生きて帰って状況を伝えなければならなかった。何よりも、自分の後ろにいるマリンを無事にかえしたかった。

 マリンは何度も後ろを振り返った。少女の意識にあるのは、残していったお竜とクロウだった。自分もクロウたちと一緒に戦いたかった。自分のために命を懸けている大人たちを、見捨てて逃げることはしたくなかった。


「うん?」

 クレアの視線の先には役人の一団が現れた。

「クレア姉、お役人さんだよっ」クレアの背中に抱き着いているマリンが言った。

 ちょうどよかった、これで助けを呼べる。そうクレアが安堵したのも束の間、すぐにクレアは手綱を引いて馬を止めた。

「……どうしたの、クレア姉?」

「……まずい」

 見覚えのある旗印、そしてこの状況で見たくはなかった旗印だった。

 その旗印は他でもない、サハウェイの後ろ盾のホートンズのものだった。

「くそったれっ」

 クレアは馬の行く先を変えて、遠回りをしてイリアを目指さなくてはならくなった。


 方向を変えたクレアの馬を見て、ホートンズの部下が言った。

「どうしますか、ホートンズ殿?」

 ホートンズは去っていくクレアを見ながら言う。

「ほおっておけばいい。好都合だ。こちらの仕事が省けた」

 

 クレアが遠回りをしたために馬が疲れ始め、ティムの部下たちに追いつかれつつあった。

「お願いだよ、もうちょっと気合い入れとくれ……。」

 クレアが悲痛な願いを込めて馬を撫でさして励ましていると、後方からクロスボウの矢が飛んできた。

「うわっ?」

 マリンが後ろを向くと、追手の男たちがクロスボウを構え自分たちを狙っているのが見えた。

「止まれっ、止まらないと撃つぞっ」

 後方から男の声がした。

「そう言われて止まるやつが、どこにいるってんだいっ」

 クレアはさらに手綱を振るうが、スピードは落ちていくばかりだった。

 男のひとりが放った矢が、クレアたちの馬の脚を射抜いた。

 馬の脚が砕けるように曲がり、馬は横滑りするように倒れた。

「きゃぁあ!」

 マリンは馬から投げ出されると、地面を転がってしたたかに体を打ち付けた。

「あ、あ、あ……。」

 あまりの衝撃で、痛みよりも混乱をきたしているマリンだったが、何とか起き上がった。

「ク、クレア姉……。」

 クレアを見ると、クレアの左足が馬の下敷きになっていた。

「クレア姉!」

 クレアはマリンに声を掛けられるものの、痛みのあまり返事ができなかった。ただ痛々しいうめき声をあげるばかりだった。

「クレア姉っ、待っててっ」

 マリンは馬を持ち上げてクレアの足を解放しようとするが、少女の力では馬はびくともしない。

「マ、マリン……。」

「お願い、動いてよ……。」泣きそうな声でマリンが言う。

「あ……あんたは逃げなさい……。」とクレアが言う。

「そんな、できるわけないよっ。クレア姉を置いて逃げるなんてっ」

「いいから早くっ、言うこと聞きな!」

「でも……。」

「その必要はないぜぇ」

 見上げるマリンとクレア、すでにふたりは男たちに囲まれていた。

 男たちは馬から降り、ひとり、またひとりとクレアたちに迫ってきた。

 クレアはマリンを男たちから守るように抱きしめた。

 ふたりを囲む男のひとりが言った。「ほぉ、こいつがサハウェイさんが欲しがってたあの店の女か。確かにいい女だ」

「もったいねぇな……。」

「そうだな。どうせやることは決まってんだ、だったらその前に……。」

 男たちの手がクレアとマリンに伸びる。ふたりは寄り添ってお互いの体を抱きしめあっていた。

「ミラ……。」

 クレアはつぶやいた。

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