暴竜と狂犬

「ざっけんなこらぁ!」

 男の一人がお竜に切りかかった。お竜は男の斬撃に被せるように上段を放つ。

 男の剣よりも速く、重いお竜の斬撃は、男を剣ごと押し込んだ。

「う、うぉっ」

 強引なつばぜり合い。さらにお竜は剛力で刀を押し込む。

「や、やめ……。」

 押し込まれたお竜の刀は、剣ごと男の肩に斬り込んだ。

「ふんっ」

 そして鍛え上げた体幹たいかんの力で、密接した状態からお竜は男の体を袈裟に切り伏せた。

「ぐぇ!」

 さらに後ろから男が切りかかる。お竜は振り向きざま切り上げた。男の斬撃ごと弾き飛ばし、刀はわき腹から胸元までを切り裂いた。男はのけぞりながら吹き飛んだ。

 お竜は短く強い呼吸を繰り返しながら、男たちに迫り刀を振り続ける。死の旋風は鮮やかに、まるで男たちの体を柔らかいバターであるかのように切り落とした。

 お竜の言うように、それは戦いではなく、さながら処刑の執行のようだった。


 陽明流には秘剣・必殺剣のたぐいは存在しない。幾星霜も鍛え上げ練り上げられた剣ならば、面打ちひとつが必殺になると信じられているからだ。

 相手が間合いに入ったならば、ただ剣をふるえばよい。より速く、より重い剣ならば、例え遅れて放たれようとも相手を絶命せしめる。実に単純な理屈である。


 男たちを圧倒していたはずのお竜だったが、急に悪寒を感じ身を翻し、用心深く防御の体制をとった。

 男たちの陰から、獣臭とともに二頭の黒い猟犬が姿を現した。

 味方のはずのブラッドリーの猟犬だったが、男たちは身をすくめ犬から距離を取った。

 唸り声をあげ、涎を垂らしながらお竜の周りを回り始める猟犬。油断なく構え、二頭の猟犬から意識を逸らさないようにするお竜。にらみ合う一人の亜竜人と二頭の犬の様子は、さきほどまで一方的だったお竜と男たちと違い、武芸者同士の立ち合いのごとき均衡と緊張があった。

 畜生とはいえ、気を抜いて良い相手ではなかった。それどころか、訓練されている犬は、主人の為とあれば死を恐れないため、戦いに臨む覚悟は一流の武芸者のそれと同等だと考えて良かった。加えて、彼らは所作の起こりが人間と違うため、攻撃を読むことが非常に困難だった。

 猟犬たちも用心を怠らなかった。お竜の立ち回りもさることながら、その気迫において、動物の本能がお竜の存在を危険なものだと彼らに教えていたからだ。


 一頭が、お竜に飛び掛かった。

 狙いは右腕だった。

 お竜は着物の袖を噛ませた。

 猟犬は袖に噛みついたまま首を振り回しお竜の動きを封じる。

 そのすきをついて、もう一頭がお竜に飛び掛かった。

 お竜は素早く右腕を引き袖の中をくぐらせ、右腕を襟から出して右半身をはだけさせた。

 そして改めて両手で刀を握り、飛び掛かってきた猟犬を迎え撃った。

 飛び掛かって来た猟犬が、空中で甲高い悲鳴をあげた。

 猟犬はお竜の後方で着地をしようとしたものの、失敗して勢いよく地面に転がった。猟犬の転がった場所には血の跡が続いた。斬られた猟犬は立つことも出来なかった。息を荒くして腹を細かく上下させていた。

「う、うせやろ……オッサンの猟犬が……。」

 ティムは驚いてその光景を見ていた。幾度もブラッドリーの猟犬が敵を仕留めているのを見ている彼からすると、猟犬があんなにも呆気なく倒された事が信じられなかった。

「……気に入らん。何も知らぬ犬に命令して人を殺させるとは」お竜は倒れている猟犬を見ながら言った。「姑息こそくにも自らの手を汚さぬ為に……。」

「価値観の相違だな」とブラッドーが言った。「そもそも、男の闘いに武器など持ち込まれるべきではないのだ。あんなものは女子供の護身用でのみ認められるべきもの。先の大戦を顧みるがいい。あれのどこに男の闘いがあったというのだ。それもこれも、戦いで鍛え上げた五体以外を頼りにするからだ。いったん武器が認められてしまえば、とめどなく男の闘いは汚され続ける。結果として、あのような白々しい戦争が起きた。ただ血だけが際限なく流れる転生者の戦争が。だが私は違う。闘いに頼むのは鍛え上げた五体のみ。その猟犬たちも、手を汚さない為の武器ではない。血のぬくもりを奪うのは、血が通うものにのみ許されるべきだと信じているからだ。冷たい鉄などではなくな」

「ぬかせ。そこで転がっているお主の犬畜生に、さような講釈を一度でも垂れたか。餌でしつけただけであろう。祭服さいふくまといながら独善どくぜんを口にしおって」

 ブラッドリーの表情が闇を帯びた。

 男たちはブラッドリーの猟犬を倒したお竜に挑むことができなかった。だが、ブラッドリーのその表情を見るなり、男たちは厳格な父親の顔色をうかがう少年のような顔つきでお竜の周りを囲んだ。 

「生気がないな。それで我の剣を受けるにあたうと思うてか」

 お竜の剣幕に男たちはひるんだ。しかし、唸り声を上げる猟犬にけしかけられると、意を決してお竜に襲い掛かった。

 お竜は男たちを迎え撃つ。矢継ぎ早に左右から迫りくる刃を、休みなくお竜は受け、弾き、叩き落した。

 数人を切り倒し、数人の攻撃をかわした後、お竜は鋭い殺気を感じ取った。猟犬がとびかかってきていた。

 身をひるがえし猟犬の攻撃をかわすお竜。

 しかし、猟犬の攻撃をかわしたお竜の横を、衝撃とともに黒く巨大な影が駆け抜けていった。


「……なに?」


 お竜は衝撃のあった左半身を見た。


 左腕が失くなっていた。


 お竜は後ろを振り向いた。


 そこには、自分の左腕を口にくわえるブラッドリーの姿があった。


 振り向くブラッドリー。その顔には口ひげが全体に広がり、お竜の左腕をくわえる口には牙が生えていた。


「貴様……人間なのか?」


 お竜の傷口から、噴水のように血が噴き出した。


 ブラッドリーの口から、お竜の腕がぼとりと落ちた。


「祈リガァ……必要デスかぁ?」


 わさわさと稲穂が風に揺れるような音がした。ぱきりぱきりと枯れ木の枝が折れるような音も。しかし冬の荒野である。そんなものはどこにもない。音は、ブラッドリーの体から聞こえてきていた。

「神父……様?」

 男たちは、そのブラッドリーの変異に恐怖した。

 お竜に至ってはなおさらのはずだった。腕がもげ、その腕を奪った相手が変態しながら迫ってくる。しかし、お竜は動じることなく帯の紐を外し、左腕の傷口の上をその紐で縛って止血をした。

 そのお竜のさまを見て、男たちは挑みかかることができなかった。

 片腕を失くしているにもかかわらず体には気力が充実し、剣気に乱れは一切みえなかったからだ。


     ※


 陽明流水月ノ心得


若き武士において心得たきことあり


剣を覚え心身を鍛えるは業前を高めるのみに非ず


真意は剣の術理を心身に馴染ませるものなり


いかに激高したとて何者も箸の使い方を忘れ得ず


怒りに我を忘れ両手で箸をもつこと 古今を通し聞かざるや


幾星霜の鍛錬はまさに剣を箸のごとく心身に馴染ませるものなり


武芸百般とは殺生の道に非ず 生存の道を見出すものなり


なれば心身が術理をまことに覚えたとき起こることは自明


如何なる場合においても その者は生存の道を見出すに能う


その者の胸中じつに水に映る月の如き


波たち流れる水の上でも不動なるもの


武士の心身水月の境地に至れば その者即ち不動とならん


なればその者不屈なり


なればその者不倒なり


何人もその者を討ち果たすこと能わず


以てこれを流派心得といたす


     ※


──もし、来世であの娘たちと出会えるならば、次は人間の男として……。


 お竜はブラッドリーを前にして微笑した。


──否、このままでよい。このままでこそ意味がある。


 お竜は刀を片手で構えた。

 理性を失ったかのような咆哮をあげ、ブラッドリーが襲い掛かった。


 暴竜と狂犬の影が、交差した。

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