勝利への備え

 ダニエルズの役人と連絡を取り終わった後、国境くにざかいへの旅の支度のため、クレアとマリンは買い出しに出かけた。

 クレアは馬車に積む食料や水を商店で購入し、さらに護身用の武器を求めて金物屋へ足を運んだ。

 マリンはランプ油などの雑貨を買うため雑貨屋に行き、メモ書きにある品を選んでいた。

 マリンは買い物を終えると、麻袋を抱えて店を出た。計画を悟られてはならないため、なるべく人目を避けるように歩いてクレアと合流しようとしたマリンだったが、往来でフードで顔を隠した女とすれ違った瞬間、足を止めて振り返った。

「……キャサリン?」

 女も足を止めて振り返った。

「……マリン」

 振り返った弾みで、キャサリンのフードがはだけた。顔は青あざで腫れていた。

「どうしたの、その顔っ?」

 マリンはキャサリンに歩み寄った。マリンから顔を背けフードを顔に巻きなおすキャサリン、その様子には羞恥があった。 

「誰にやられたのっ?」

「ち、違うよ。階段で転んじゃたんだよ……。」

「階段で? そんな、顔から落ちるような落ち方するわけ?」

 キャサリンはマリンの顔をしばらく見た。そして顔をくしゃくしゃに歪ませると、目から涙を溢れさせてマリンに泣きついた。

「キャサリン……?」


「ひどい……。」そう言って、マリンはスカートの裾を握りしめた。

 キャサリンはここ数日、自分をにするティムをしつこくなじったところ、突然殴られたことをマリンに話した。酒に酔ってのこととはいえ、とうてい許されることではないとマリンは思った。

「もう嫌だよ……。」とキャサリンは言った。「結局、あいつ私のことなんて好きでもなんでもなかったんだ。こましたかっただけなんだよ……。」

 はた目から見て明らかにそうなのに、どうしてそんなことに早く気づかなかったのかと不思議に思ったが、それが恋に落ちた人間の哀しさなのだという事を、マリンは友人を通して学びつつあった。

「どうしたらいいんだろう……。」

 雑貨屋の裏の陰で座り込み、キャサリンは頭を抱えてすすり泣いた。

「……ねぇ、キャサリン」

「なに?」

「キャサリンも、ミラ姉の店に来なよ。わたしがあなたのこと紹介するから」

「……何言ってるの? 私はあなたと違って借金のカタに売られてるのよ? サハウェイさんが許すわけないわ。それに、あなたのとこの店って、もう潰れるって話じゃない」

「そうかもしれないけど……でも、あなたのとこも大丈夫ってわけじゃないんだよ?」

「……どういう意味?」


「おや、遅かったね?」と、合流のための馬車で待っていたクレアは言った。

「ああ、うん。メモにある物がどこにあるのか分かんなくって」

「あらそう」

 帰りの馬車の上で、マリンはキャサリンとのことを思い出していた。キャサリンは自分ほどミラを信頼してないせいか、誘いに対して戸惑いがあった。もう少し考えさせてほしいと。しかし、それも時間の問題だと思っていた。信じていた男に裏切られたのだから、冷静になればすぐにでも自分のところに口利きを頼んでくるはずだと。人は嫌なものからはすぐに逃げたくなる。少女にとって人の心の機微にはそれくらいの理解しかなかった。



──サハウェイの店


 執務室でサハウェイは買収した店の権利書を確認していた。

「場所は確保してあるわ。後は女だけど、そっちの首尾はどうなのかしら?」と、サハウェイはティムに冷たい視線を遣って言った。

 サハウェイの正面に立つティムが自信をもって言う。「もう、あの女の店はおしまいですわ。それに、移籍に際してはきちんと金を用意をしてあることを伝えてありますけぇ、心配せんでも女たちが自分こっちに来よります」

「……そう」

「何か、心配事でも?」

「私はあくまで女たちの移籍の誘いだけをするように貴方に頼んだはずよ。なのにあんな無茶をするなんて」

「そうかもしれんですが、ホートンズさんは最近やたらワシらを焚き付けよりますけぇ、あんまりのんびりもしてられんとやなかですかね? それとも、もしかして女たちに情でも持っちゅうんですか? えろぉお優しかですねぇ」

「勘違いしないで。急にことを勧めてるから、あの娘が妙な気を起こすんじゃないか心配してるのよ」

「妙な気ですか? 考えとったとしても、たかが知れとります。娼婦風情が寄りそったところで何ば出来るいうんですか」

「あら、私はその娼婦から成り上がったのよ? 涙を飲み込むばかりが女じゃないのだから。小さな蜂だって、巣をつつかれれば身を捨てて抵抗するわ」

「そりゃあそうかもしれませんが……。いや、サハウェイさんほどの女なんぞ、中央どころか五王国探しても見つかりゃしやせんよ」と、ティムは慌てて取りつくろうように言った。

 そうふたりが話していると、部屋のドアがノックされた。

「……誰や?」

「……キャサリンです」

 ティムはサハウェイを見て伺いを立てた。サハウェイがうなずくと、ティムはドアに向かって入れと告げた。

「……何の用や? 見ての通り仕事中やぞ。サハウェイさんは忙しいんじゃけぇ、すぐに済ませぇよ」

 商品であるキャサリンを殴ったことを告げ口に来たのではないかと内心きもを冷やしていたティムは、とっとと追っ払いたかったのでな態度をとった。しかし、それに気づかないサハウェイでもなかった。

 キャサリンが言う。「……実は」


 昼間、キャサリンはマリンに「どうしたらいいんだろう」と言った。マリンは、その言葉は“自分が生きていくにはどうしたらいいんだろう”という意味だととらえていた。

 しかし、マリンは致命的に言葉の真意を読み違えていた。キャサリンはこう言いたかったのだった。

“彼の気持ちを戻すにはどうしたらいいんだろう”

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