凍える寒さ

 男たちが去ったあと、ドウターズの女たちは黙々とフロアを片付けていた。破壊された店は、どこから手をつけていい分からないほどに散らかっていた。数時間で、店は購入した時のような廃墟に戻っていた。

「……私たち、どうすりゃいいんだろ」と、ポツリと従業員のひとりがつぶやいた。

 酒瓶の破片をほうきで掃いているミラだったが、ふと顔を上げると、女たちが自分を見ているのに気づいた。全員が待っていた。これまで自分たちを導いてきたミラの言葉を。

 しかし、次から次へと起こるぎょがたいトラブルを前に、ミラも疲弊ひへいしていた。女たちのその目が、ミラにはうとましい重荷に感じられた。

 ミラは目を落として言う。「……もう、終わりかもね」

「え? 終わりってミラ姉……。」

「そんなこと言わないでよ。私たち、店がなくなったら行く場所なんて……。」

「周りを見てみなよ」ミラは深くため息をついて言った。「もう散々にやられちまって、どこから直していいか分からない。それに片付けたって、あいつらはまた来るに決まってるんだ」

「そんな……。でも、何か考えはあるんだよね? 次に何するかくらいは……。」

 ミラは歯を食いしばり従業員たちを睨んだ。

「そんなことくらい──」

「とりあえず、自分たちの店は綺麗にしておこうじゃないか」と、クレアが力なく笑って割って入った。「精一杯やった今日の明日なら、きっと何かしらひとつはいいことがあるもんさ」

 何かある度に、明確な道しるべを見せていたミラが、ただ不機嫌さをあらわにしている。隣にいるクレアも曖昧な言葉しか口にできない。女たちは理解し始めていた。もう、すべてが終わろうとしているのだと。

 クロウはそんな女たちの様子を遠くから見ていた。


 片付けがある程度終わった後、ミラは屋上に上がり、ひとりで酒を飲んでいた。冬の夜風が冷たかった。小さく凍えながら、ミラはぐいと酒瓶を持ち上げラッパ飲みをする。

「……ここにいたんだ」

 ミラが振り向くと、そこにはクレアがいた。

「……クレア」

 クレアはミラに並んで屋上の端に立ち、夜の街をながめた。暗い街の中、サハウェイの店だけが光を放っていた。闇夜の海で光る灯台のようだった。

 クレアが訊ねる。「さっきはなんて言おうとしたのさ?」

「自分の先行きくらい、自分で決めろって言おうと思った……。」

「そんな、あの子たちはアンタみたいに強くないし、器用に立ち回れるわけじゃないんだ。ちょいと無責任じゃないかい?」

「無責任? アタシに何の責任があるってのさ? アタシはさ、女たちを導くなんて大それたこと、ハナっから考えちゃいなかったよ。ただ、適切なところに適切なものと適切な人間、それが寄りそってりゃあ上手く物事が回ると思ってただけなんだ。物事がスムーズに回る様を見て、それを楽しんでたんだよ。お山の大将になる気なんてなかった」

「ミラ……。」

「でも、もう終わりなんだよ。気力も余裕もなくなっちまったからね。結局のところ、アタシはサハウェイほどの女じゃあなかったってことさ。あの女ほどの執念なんて持ち合わせちゃいない。人を蹴落としてまで成り上がろうとする執念なんてね。アタシだって、言ってみりゃあ弱い女のひとりなんだ」

 もうアタシのことは見限っておくれよ、と言ってミラは背中を丸めた。寒さのためではなかった。クレアはミラの肩に手を回して、さすりながらその体を引き寄せた。

「……アンタらしくないよ、きっと疲れてんのさ。少し休もう。そうすりゃいい考えも思いつくって。アタイも頑張るからさ」

 ミラはクレアの手をほどいて背を向けた。

「……アンタ、サハウェイの店に行きなよ」

「……え?」

「知ってるんだよ。ホールデンのとっつぁんが死んだあと、サハウェイの店から誘われてたんだろ? 大丈夫、アンタなら向こうでもうまくやれるさ」そう言って、ミラは酒を飲んだ。

「どうして、そんなこと……。」

「あいつに言われたんだ。今ならここの女たちを高値で引き取ってくれるって。まだあいつらがその条件を出してるうちに店を移動したほうがいい」

「……アンタはどうすんのさ?」

「アタシは無理だよ。サハウェイとは険悪だからね。アタシが行ったら、こっぴどくに決まってる」

「……じゃあ、アタイもいかない」

「え?」

「アンタが行かないんだったらアタイも行かないよ」

「何言ってんだい? 素寒貧すかんぴんのアタシについてきてどうしようってのさ。何か変な気ぃ持ってんじゃないだろうね」

「違うよ、ただ……アタイだって、ほかの子たちと同じで、ひとりで生きてくのが無理なんだ。怖いんだよ」

「アンタは前の店じゃあ若手のトップだったじゃないのさ。もっと自信持ちなって」

「自信? 何の? 親に借金のカタで売られて、それからは右も左も分かんなくて、言われるままに男たちに抱かれて、ひどい目に合わないように毎日祈るしかなくて、日が昇るのを待つのだって怖くなって……だんだん自分が惨めになって……。そんな、そんな流されるみたいに毎日生きて、自分で選んだものなんて何ひとつ無いってのに、自信なんて持てるわけないだろっ」

「娼婦なんて皆そんなもんだろ? いい歳した女が何言ってんだい」

「そうだけど……でもアンタは違った。とっつぁんに店を手伝わされて、その後は自分で店を立ち上げて、それもすぐに上手くいって……。まるで預言者みたいだった。マリンだけじゃない、アンタはアタイにとっても特別だったんだっ」

「買いかぶりすぎだよ」

「そんなことないよっ。アンタがいてくれたから、アタイの前を自信持って生きてくアンタがいてくれたからっ」クレアは息を震わせて吸い込んだ。「アタイも……それに、皆も自分に誇りを持てたんだ」

「……。」

「アンタが、いてくれたから……。」

 クレアの鼻は赤くなっていた。

 ふたりは別々の方向を見ながらしばらく沈黙していた。ミラは夜空を見上げ、クレアは森の闇を見ていた。

「……夜風がしみるね。戻ろうか」そう言って、ミラは目尻をふいた。

 ふたりが振り向くと、そこにはクロウが立っていた。

「……アンタ」


「もし、お前さんたちが終わりを待つしかないというのなら、私に考えがあるんだが」

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