夜に見る光景

 クロウ達が戻ると、店は通常通りの営業で賑わっていた。

 フロアの真ん中では、薄いローブに身を包んだリタが軽やかに踊りを踊っていた。まるで、重力を感じさせない動きだった。関節も強張りなど一切見せず、液体のように流れていた。フロアに入ったばかりのクロウも仕事を終えた報告を忘れ、ひと目でリタの動きに心を奪われていた。

「……マリンっ」

 フロアにいたミラが、マリンの帰還に気づき駆けるように近寄って少女を抱きしめた。

「ミラ姉……。」

「良かった、無事だったんだね」

「ミラ姉、あのね、わたし……。」

「良いんだよ。さ、おいで。お腹すいたろ?」

「……うん」

「まぁ……今日の当番はミッキーなんだけどね」

「うん、大丈夫。久しぶりならミッキーの料理も食べたくなるよ。今日は何を作ったの?」

「いま料理の名前を考えてるところ」

「……うわぁ」


 ミラとマリンは炊事場へ行ったが、クロウはしばらくリタの踊りに見入っていた。

 パフォーマンスを終えると、リタはフロアの奥にあるバーカウンターに行った。すれ違うたびに、客が彼女に賛辞を送っていた。

「たいしたもんだろ?」と、クロウの背後からクレアが声をかけてきた。

「ああ、旅先でいろんな踊り子を見てきたが、それでも抜きん出て良い踊りをする娘だね」

「そうさ、あの子は元々王都からお呼びがかかるくらい、このあたりでも有名な踊り子だったからね」

 クロウとクレアはカウンターで談笑するリタを見る。ふと、クロウは男たちが声をかける以上のことを彼女にしないことに気づいた。

「あの娘も、その……娼婦なのかい?」と、クロウが訊ねる。

「ああ、そうだね……。」

 クロウはクレアの声の調子に引っかかりを感じた。そして、王都からお呼びがかかるくらいの踊り子が、こんな辺境で働いていることにも。


「ちょっと! リタ! トリッシュ!」

 そう叫びながらミッキーが二階から駆け下りてきた。呼びつけられたリタとトリッシュが同時にミッキーを見た。

「アンタたち、ウチのケツに落書きしただろ!」 

 リタとトリッシュは顔を見合わせると大笑いをした。

「やっぱり!」

 ミッキーはフロアの中、トリッシュとリタを追い回し、ふたりは笑いながらミッキーから逃げ回った。

「昨日から、客がやたらケツ叩いてくるから怒ったら、“そういうのが好きなんだろ”って言われたぞ!」

「き、今日まで気づかなかったんだ!」とトリッシュが吹き出して笑った。

「馬鹿だっ馬鹿がいる~!」と、リタもミッキーを指さし大笑いをする。

 フロア内を駆け回る三人、するとアリシアが「アンタたちなにやってんだい! 客の前だよ!」と三人に鬼のような剣幕で迫り、お盆で三人の頭を順番に叩いた。

「……騒がしい店だな」とクロウが言う。

「まぁ……それが売りだからね……。」とクレアは言った。


 

 ──その頃、サハウェイの店


 サハウェイは執務机の前で頭を抱えていた。目の前の机には役人のホートンズからの手紙があった。内容は、人身売買を見逃すために、見返りとして上納金の値上げをするとのことだった。今回子供を取り引きしたことで、より一層ホートンズからサハウェイは足元を見られるようになっていた。

「無理してあの娘を売らんでも良かっとやなかですかね」と正面に立つティムが言った。

「過ぎたことを言ってもしょうがないわよ」

「はぁ……。」

「……店を拡大しないとね」

「しかし……。」

「人身売買は後ろ盾があるとしても、そこまでおおっぴらにできない。だったら、ほかの店から……。」

「よその店からの引き抜きは、リスクがあるんやないですか。例えここを牛耳ってるサハウェイさんでも、快く思わん奴はおるでしょう」

「絶対に逆らえない奴らだとしたら?」

「と、いいますと?」

「不法営業してる店なら潰したところで影響ないわ」

「モグリの売春宿ですか? しかしそげな店の女、ウチじゃあ使えんような奴ばかりじゃあ……。」

「あの小娘の店……モグリのくせにいい女がそろってるそうね」

「……なるほど」

「ホートンズさんに伝えてちょうだい。違法営業の店があるって」

「はい」

違法この言葉は力のある者のためにあるってことを、あの小娘に教えてやらなくっちゃあね。あんなのは刃を文章に変えただけ。弱い者が振るっても、たいして傷をつけられないのと同じだわ」


 サハウェイはティムを払うと、軽装に着替えて自分の店の酒場へと足を運んだ。

 店を見渡すサハウェイ。ヒョードルが経営していた頃に比べ、この店ははるかに大きく、そして繁盛するようになっていた。サハウェイは、心に迷いが生じたとき、その様子を見ながら、自分の歩んできた道の足取りを確認するのだった。今さら失うわけにはいかない。失いたくない。涼しげに口を歪めながらも、サハウェイの口内の奥歯は強く噛みしめられていた。

 サハウェイはカウンターに行き席につくと、バーテンに「おねがい」とだけ伝えた。経営者の嗜好をよく知るバーテンは、それにうなずくとすぐに酒を給仕した。出されたのは甘口のシェリー酒だった。溶けたレーズンのように甘いその酒を、サハウェイは一口含むと、こくりと喉をならして飲み込んだ。

 いつでも気を張っているサハウェイだった。ほんの少しの酔いで体を温めてほぐし、慰めのひとつでもくれてやらなければ、心休めて就寝することができなかった。

「……あら?」

 サハウェイは、カウンターのすみに元女衒のガロが座っているのに気づいた。サハウェイは立ち上がると、ガロの隣に座った。

「久しぶりじゃない」とサハウェイは言った。

「……そうだな」

 そう言うガロは、安物の蒸留酒を飲んでいた。

「最近はどうしてるの?」

「……荷馬車を運転して、ものを運んでる。行って帰ってくる毎日だ」

「味気ないわね……。」

「以前と変わらんさ」抑揚のない声でガロは言った。

 サハウェイはグラスのシェリー酒を一口飲んだ。

「今日はどうした?」とガロが訊ねる。

「“どうした”って別に何もないわよ。私、たまにここで飲んでるのよ」

「……自分の部屋では飲まないのか」

「部屋でも飲むけど……。」

「そうか……。」

 ふたりはしばらく無言で飲み続けた。サハウェイのグラスから酒はなくなったが、それでも彼女はカウンターに座っていた。

「……ねぇ」

「……何だ?」

「前の仕事を辞めて、何か得るものがあったのかしら?」

「……ないな」

「そう……。」

「もともと……。前の仕事でも何かを得ていたわけじゃあない」

「あら? 女衒のガロといえば、ここらじゃあちょっとは名が通ってたじゃない? それでも得るものがなかったと?」

「昔は人に一目置かれることに満足することもあった。だが、やめて数年経ってあの頃を振り返ると、そう思えるんだよ。得ていたものなどなかったと。それなのに、あの頃はあそこしか生きる場所がないと思い込んでいた」

「……。」

「結局、虚しさを抱えているという意味では今も昔も変わりはない。くだらん人生だよ」

「そこまで卑下する事はないんじゃない?」

「……お前は、俺がいなくなって仕事に支障が出たか?」

「それは……。」

「俺は、パーティーにとりあえずの招待状をもらった数いる来客のひとりだ。いたら挨拶をされるが、いなくても誰も気にとめない。途中で抜けたとしても、誰も探さないようなな」

「そうかしら? 少なくとも私は……。」

「俺のために、何かを犠牲にできるか?」

 サハウェイは答えなかった。

「沈黙が答えだな……。」

「……だとしたら、私も同じようなものだわ」

「だったら」ガロは体をサハウェイに向けた。「なぜ降りようとしない? この乱痴気騒ぎから」

「なぜって……。」

 サハウェイは店の賑わいを見た。人々の声が、雑音として彼女の耳を通りすぎるだけだった。

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