駆け抜ける女

 翌朝、井戸に水を汲みに行ったリタは、井戸の周りの広場で奇妙な光景を目にした。クロウとお竜が、木刀を持って向き合っていた。

 井戸の前で無表情で見学しているミッキーにリタが訊ねる。

「あのふたり、何してんの?」

「剣のお稽古」

「剣の?」

 これまで剣の稽古など、やったことはもちろん、見ることも稀だったリタだったが、ふたりの様子が奇妙なことは分かった。静か過ぎた。

 ふたりはすり足で円を描くように動いては剣の構えを変え続けた。普通の剣術の稽古のイメージなら、そこから打ち込んでも良さそうなものの、ふたりはにらみ合うばかりだった。

「あれが稽古……。」とリタは言った。

「多分」とミッキー。

「多分? あのふたり、ずっとにらめっこしてんの?」

「……そうでもない」


 クロウが、滑るように前に出た。

 横面を打ち込むクロウ。お竜は滑るように後ろに下がり、その攻撃に自分の上段打ちをかぶせた。クロウの腕に木刀の一撃が振り下ろされたが、クロウは木刀から片手を離してそれを空振りさせた。クロウはお竜に木刀の先端を向けてけん制する。その切っ先を叩くお竜。クロウはすぐに木刀を上段に構え、面打ちを放つ。お竜は木刀を真横にしてそれを防いだ。クロウは上段を受け止められると、受けられた状態から片膝をついて姿勢を低くし、突きを狙った。しかし、お竜はそれよりも早く上段打ちを放つ。クロウは突きを止めて、木刀を横にして攻撃を受け止めた。クロウは横に受けた状態から、左手で木刀の先端をつかみつばぜり合いに持ち込んだ。さらに、つばぜり合いから左手で木刀の先端を押さえ込んでお竜の首を狙う。お竜はそのクロウの力の流れをそらすように体を一回転させ、横薙ぎで胴を狙った。クロウは背を向けたお竜に体当たりをして距離をとった。離されたお竜はすぐに面打ちで再びクロウに迫る。クロウはわずかに後ろに下がりその面打ちを空振りさせ、上段打ちでお竜の手首を狙った。お竜はクロウがやったように左手を木刀から離してその上段打ちを空振りさせた。クロウは素早く木刀を振り上げ上段に戻り、再び木刀を振り下ろした。右手一本ではクロウの上段打ちを防ぐことができず、お竜は肩口にクロウの一撃を許した。寸止めだった。


「……ね、何やってるか分かんないでしょ?」と、両手を広げ肩をすくめてミッキーが言った。打ち込む力よりも、攻撃の手順を重視するふたりの稽古の方法は、まるでチェスのやりとりのようにも見えた。

 木刀をおさめてお竜が言う。「驚いたわ……剣から離れてたけど、アチシから一本取るなんて」

「三本やったら必ず勝ち越せるというほどじゃない」

「誇っていいわよん。アンタ、陽明流の中目録に勝ったんだから」

「恥じることはない。お前さん、陰陽流の皆伝に負けたんだから」

 クロウの言葉を聞いて、お竜は目を丸くした。

「非公式だがね」

 遠くで、木を打つ音がしていた。ハスキーがトリッシュに支えられながら、弓の練習をしている音だった。


 稽古が終わり、クロウが汗をふいている横で、お竜がお茶をすすりながら懐かしそうにヒヅガの時代を思い出していた。

「……陰陽流。古派の流れをくんでるけど、あくまで新興の流派ね。だからアチシがいた頃は、開祖の伊雅源馬いがげんまの技量には疑問を持つ者も多かったけど」

「先生は本物だ」と、クロウはまっすぐにそう答えた。まるで、“この世で一番高いのは空だ”と言うくらいに、その言葉には迷いもなかった。

「あら、そんなにリザードマン亜竜人を知ってるのん?」

「いや。けれど、先生のような奴がゴロゴロいるんだったら、とうにリザードマンは大陸を征服してるよ」

「……なるほどね」お竜は目を細めた。「何より、アンタの剣を見たらそれも納得だわさ」

 そこへミラがやってきた。

「……クロウ。あんた宛に手紙が来てるよ?」

「ああ、ありがとう」

 クロウはミラから手紙を受け取ると、すぐにそれを開封して内容を確認した。

「あんた、もうこの街に知り合いができたの?」とミラが訊ねる。

「いや、既知の相手からさ」



 ──正午過ぎ、サハウェイの店

 店の前では、一見すると貴族が乗るような、三頭立てで客室つきの馬車が停まっていた。しかし、客室の扉には外側から錠前がかけられるようになっていた。

 その馬車の前にはティムとマリンが立っていた。

 ティムが契約書をマリンを買いに来た男に手渡すと、男は書類の内容を確認して頷いた。

「ほれ」そう言って、ティムはマリンの背中を押した。

 マリンは、まさに運命に翻弄される哀れな少女といった様子で馬車に乗り込んでいった。いくらかの演技も入っていたが、マリンが恐怖している事には間違いなかった。そのおかげで、男たちは少女の心の内を知る事は無かった。

 馬車に乗り込む直前、マリンはサハウェイの店を見上げた。二階の窓からは、心配そうにマテルがマリンを見ていた。マテルは少女を勇気づけるように、小さくうなづいてみせた。


 マリンを乗せた馬車はカッシーマを離れ王都へと向かった。マリンを買ったのは王都で成金になった豪商の男だった。

 日も落ちる頃、マリンを買ったその男の使用人は、王都に近づくと客室の錠前を外してマリンの隣に座り、あたかも親子のように装った。王都は自治区と違い、人身売買の取締が強いためだった。

 馬車が森に入ると、周囲は闇に覆われた。三人の護衛の男たちは用心しながら周囲を見渡す。怪しい灯りはなかった。

「ん?」

 異変に気づいた御者が馬車を止めた。

「何だ、どうした? なぜ止める?」と、使用人が馬車の窓から顔を出して訊ねた。

「それが、前方に木が倒れてるんですよ旦那ぁ」

「木? 朝来た時はなかったが……。おいお前らっ」

 使用人に命令され、護衛の男たちは馬車から降りて木をどかす準備を始めた。

 男たちが木の状態を見ていると、森の中を風が走った。不自然な風で、まるで四方から木々を通り抜けて吹いているかのようだった。

 護衛の男の一人が言う。「何か……。」

 次の瞬間、風を切る音と共に複数の矢が一行のランタンを貫いた。ばりりと音を立ててランタンのガラスが割れる。急な暗闇は、男たちの視界を黒い布で覆ったように塞いだ。

「待ち伏せされてる!」と、瞬時に護衛の男が状況を把握して叫んだ。

 しかし、男たちが体勢を整える間もなく木の間から影が降り立ち、男たちに次々と襲い掛かった。暗闇に放り出された男たちと違い、その影は正確に男たちを木刀で打ちすえ急所をついた。

「ぐぁ!」

「ぎゃぁ!」

「ごふぅ!」

 男たちは剣を合わせるどころか、抜く暇すら与えられず倒された。許されたのはうめき声を上げることだけだった。

「え? な?」

 使用人が状況を理解する間もなく、男たちを倒すと影は馬車に乗り込んだ。

「だ、誰だお前は!?」

「……その娘を渡せ」そう言って、影はマリンの手首を掴んで自分に抱き寄せた。暗闇の中で、影の瞳だけが光を集め黄金に光っていた。

「強盗か? 王都の目の前だぞ? 目の前には関所もある。こんなことをして──」

 影は男の胸元に手を突っ込んで内ポケットから証書を奪った。

「何と言うつもりだ? 役人に、人身売買で買った娘を奪われたとでも?」

「う……ぐ……。」

「ちなみに、お前さんがここを通る少し前に、連れが関所の外壁に向けて火矢を放った。お前さんが呼ばなくとも、役人がこちらに偵察のために間もなく向かってくるだろうな。だが下手に逃げないほうがいい。かえって不審がって、奴らはお前さんたちを追いかけるぞ」

 影は馬車から降りると指笛を吹いた。森の中に隠していた馬が影の隣についた。

「上手く嘘をついておけよ。他でもない、お前さんたちのためだ」

 そうして、影を乗せた馬は颯爽と走り去っていった。去り際に、護衛たちの馬の尻を叩いて四方に散らせてから。


 得意気に去ったクロウだったが、追っ手がないとも限らない。無言で馬を限界ぎりぎりの速度でクロウは走らせ続けた。

 そんな馬上のクロウにマリンは強く抱きついていた。寒さと恐怖で少女の体は細かく震え硬くこわばっていた。

「計画通りに行きましたね」そう言って、ハスキーの馬がクロウに並んだ。月明かりで照らされたハスキーを見て、マリンがきゃあと子供らしい悲鳴を上げる。

「大丈夫、味方だよ」とクロウはマリンに言った。「ハスキー、夜道でお前さんの顔は心臓に悪い。みろ、ちょっぴり漏らしちゃっただろ」

「も、漏らしてなんかないよっ」とマリンが言う。

「じゃあこれは? ……ああ、私か」

 マリンがえ? と体をクロウから離した。

「冗談だ。ようやく体を放してくれたな」そう言って、クロウはマリンの頭をぽんぽんと叩いた。

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