朝日が射すまでに

 一方、地下室の真上の酒場では、客や娼婦、従業員たちがカウンターの前に集まって盛り上がりを見せていた。カウンターの上では、道化の格好をしたラガモルフの子供が踊りを踊っていた。

 ラガモルフはステップをふんでその場で回ると、足をVの字に開き股間に手を添え、カウンターの上で縦横に回転した。さらに逆さになると頭を軸にしてコマのように回転し、最後には体を丸め、背中を軸にしてくるくると回り続けた。

「おもしれぇっ。何だこのダンスっ? 見たことねぇぞっ」

 ギャラリーの男のひとりが手を叩いてはやし立てると、他の男たちも同意して拍手を送った。

 ラガモルフは立ち上がると、観客たちに礼儀正しくぺこりとおじぎをした。

「や~ん、かわいい~」と、娼婦のひとりが子供を抱き寄せて頬ずりをする。そんな女の耳元の匂いを嗅ぐように、子供は鼻を近づけてひくりとならした。

「やだぁ、この子ったらチューしてきたぁ。おませさ~んっ」

 娼婦たちは、「私も!」と言い合ってラガモルフの子供を取り合った。

「ねぇ、みてみて。毛がふかふかよ~」

 また次の娼婦に抱きかかえられ、子供はくすぐったがりながら笑顔を見せた。

 男も女も老いも若きも、そんな子供の笑顔に心を和ませた。まるで子供の朗らかさが伝染しているようだった。和やかな笑い声がホールを包んでいた。


 その頃、クロウは地下室に戻され、抵抗できないように男たちに数発の殴打を喰らっていた。

 先ほどよりも厳重に縛られた上ぐったりとうなだれ、もう動くことはできないようだった。

「おいおい、もうへばっちまったのかよ?」そう言って、男のひとりが右手に持ったブラックジャックを、ぱしぱしと左の手のひらに打ちつける。

「もしかして、死んでんじゃねぇだろな」と、もう一人の男が訊ねる。

「お前ら何ばしよっとか」とティムが言う。「殺してしもうたらハウンドのおっさんの犬の餌やぞ」

 男ふたりはそのティムの言葉に顔を見合わせ、慌ててクロウの呼吸の確認をした。

「……生きてはいるみたいです。辛うじて」

「なら良かたい」ティムはクロウに近づいて言った。「お前もやぞ。ここが娼館で運が良かったのう。ほじゃなけりゃあ、今頃コイツらの慰みもんやったんやぞ。けんど、ここにゃあ女はいくらでもおるきに、お前んごたぁ小汚い女に手ぇ出す必要はなかけんな」

「そりゃあ……。お互い様だよ」とクロウが口を開いた。薬はもう抜けているようだった。

「どういう意味や?」

「もし私を犯そうとしたなら、お前らのナニを食いちぎってた」

「ありがちなハッタリじゃのう。はねっかえりの女が強がる時ゃいっつも同じセリフば吐きよる。やれ金玉けり上げるだの、やれチンポコ食いちぎるだの、やったことあるんかいっちゅう話しじゃ。のう?」

「生焼けのチキンの軟骨みたいな味がする」と、一週間前に食べた軽食の味を思い出す程度の口調でクロウは言った。

 男のひとりが軽くえずいた。彼の夕食はコールドミートのチキンだった。

「なに世間話してるの?」

 そう言ってサハウェイが室内に入ってきた。その後ろにはブラッドリーがいた。

「あ、サハウェイさん」

「あら、ずいぶんと可愛がってもらってるみたいね」と、サハウェイはクロウの様を見て言った。

「困ったものだよ。いい女を前にすると、男ってのはまともじゃあいられなくなるのさ」とクロウが答える。

「……ねぇ、その軽口がどうやったら貴女からなくなるのかしら?」

「酒をたらふく飲ませてくれたら、泥酔して寝言も言わずに眠りにつくさ」

「寝言を言わない眠らせ方なら他にも知ってるわ」

「脅しなんてやめてくれ女将マダム。軽口は友好的に行きたい表れなんだ」

「ブラッドリーを始末しに来といて?」

「始末だなんて言ってない。私はただ、彼に会いに来たといっただけのはずだ」

「私に何のようだ、雑種の娘?」とブラッドリーが訊ねる。

「乙女の秘めたる想いを大勢の前で打ち明けろと?」

「とぼけても無駄よ。貴女は何か企みを持ってこの街に来た、それは否定しようがないんだから。貴女はこのままウチの床下に眠ってもらうわ」

「……サハウェイ殿」とブラッドリーが言った。

「なにかしら、ブラッドリー?」

「私にたかる害虫を駆除していただこうというお心遣い、痛み入ります。しかしこのブラッドリー、このような小汚い小娘が何をしてこようが歯牙にもかけません。しかも、この女の企みは未遂に終わりました。故に、我々は彼女に慈悲を示さなければなりません」

「あら、じゃあ貴方の裁定を聞かせてもらおうかしら?」

「この女の身ぐるみを剥いで、街中でさらし者にしましょう」ブラッドリーは微笑んだ。密度のある灰色の髭がもさりとゆがむ。「愚かなには、相応しい処罰です。何より、そうすれば誰も傷つく者はいません」

「……慈悲深さに涙が出るね」とクロウが言う。

「まぁそれは素敵ね。決まりね、明朝にこの女を街の広場でさらし者にしましょう」サハウェイがクロウに言う。「何か言っておきたいことはある?」

「朝は早すぎる。もう少し後にしてくれないかね?」

「それに何の意味があるのかしら?」と、サハウェイは余裕の笑みを作る。

「ムダ毛の処理を済ませたいんだ」とクロウは苦笑いをした。

「……その余裕が、明日まで続くかしらね」サハウェイは周りの男たちに言う。「今度はこの女に逃げられないようにね。言葉にも一切耳を貸さないように」

「ごむたいな、せめて脇だけでも」

 サハウェイはそれを無視して去っていった。

「……良かったのぅ。明日の朝にはお前はこの街のさらしもんじゃ」

 ティムと男たちも地下室から出ていった。男のひとりが去り際に、クロウの前に唾を吐き捨てていった。


 夜がさらにふけ、閉店した店内。音は消え、しかし酔っぱらった男と娼婦の残り香がただよう暗闇の中、うごめく小さい影があった。影は少し動いては周囲を見渡し、物音をたてぬよう、人に見つからぬよう慎重に動いていた。まるで、影だけが意識をもって動いているかのように静かだった。

 影はさらに店の奥へと進む。そして、泥酔して寝入っている男のひとりひとりに近寄っては鼻を近づけ、わずかなにおいを探っていた。

 影はひとりの男のにおいに目的のものを探り当てると、ポケットに小さな手を潜り込ませた。

「う、う~ん」

 眠っていた男の体が動いた。影は闇の一部に溶け込むように呼吸を止めて、しばらく男の様子をうががう。そして男の呼吸の安定を耳で確認すると、再びポケットに手を突っ込んで、中から鍵の束を取り出した。

 影は鍵を手に取ると、次に息を潜めながら地下室の方へと向かった。

 そして影が台所を横切ろうとしたその時──

「誰?」と、影に声をかける者がいた。数時間前の出来事が不安の種となり、眠れなくなっていたマリンだった。

 影は動きを止めた。

「誰なの? 子供? そんなところで何してるの?」

 マリンがランプの灯りを影に向ける。光に照らされて現れたのは、ラガモルフの少年だった。 

「……あなたは?」

 ラガモルフの少年は、まるで捕食者に見つかった小動物のように体を硬直させ、真っ黒い瞳でマリンを見すえていた。

 何も答えないラガモルフにマリンが不審な目を向ける。すると、その表情を察したラガモルフは、自分の頭を撫でながら恥ずかしそうに言った。

「う~ん、おトイレを探してたら迷っちゃったんだよぉ」

「トイレ?」マリンは首をかしげてラガモルフを見る。「だったら、外でやればいいんじゃないの?」

「ぼく、ウンチなんだ」と、体をもじもじさせてラガモルフは言った。

「そう、だったらこっちよ」と、マリンはランプの向きを変えて外を指差した。

「うん、わかったよ。後で行くよ」

「……漏れそうじゃないの?」

「だって、女の人と一緒におトイレに行くのはハシタナイって、父さんが言ってたよ」

「……そう」

 マリンとラガモルフは顔を見合わせ続けた。

「……ところで」とマリンは言った。

「なんだい?」

「それは地下室の鍵じゃないよ」

「……え?」ラガモルフがぴくりと動いた。「鍵? なんのことさ?」

 マリンはラガモルフに近づいて後ろに回ろうとした。しかし、ラガモルフはマリンに背後を見せまいとマリンの動きに合わせて正面を見せ続けた。

「あ、ティムさん」と、マリンがラガモルフの後ろに声をかけると、ラガモルフがぴくりと動き、その反動で彼の後ろに隠してあった鍵が音を立てて床に落ちた。

 ふたりは鍵を見て、そして顔を見合わせた。

「あ、もしかして、鍵ってこれのことなのかい? ぼく、てっきり音の鳴るおもちゃだと思ってたよ」

 ラガモルフは肩をすくめ、手を後ろに回して、ふふふと彼の毛のような柔らかな笑顔を向けた。

「……こっちよ」

 そう言うと、マリンはきびすを返して反対方向に歩き始めた。

「……あれれ?」


 マリンとラガモルフは地下室に降りて行った。牢屋ではないのでクロウが閉じ込められている部屋には錠前と、念のために椅子がノブの前に引っかけてあるだけだった。見張りはいなかった。

「……ここにいるよ」

 そう言ってマリンはラガモルフを見た。ラガモルフもマリンを見上げる。

 そしてラガモルフは扉を見ると、ノブから椅子を外し、マリンから渡された鍵で扉を解錠した。

 扉が開くと、室内にいたクロウは体を動かした。

「……マテル?」と、クロウは瞳を細め、マリンの持つランプのわずかな光で浮かび上がった姿を見て言った 

 ラガモルフは小さく跳ねながらクロウに近づき「……クロウ」と声をかけた。

「……遅かったな」とクロウが言う。

「うん、

「そうか……。」

「やっぱり、あなたたち……。」とマリンが言った。

 クロウとマテルはマリンを見た。

「何者なの? いったい何をしにこの街へ?」

「見てのとおりさ」クロウは肩をすくめて言った。「陽気な流しの漫才コンビだよ。ジョークが行き過ぎて興行主の不興を買ったんだ」

「……別にいいけど」と、マリンは怪訝な顔で言う。「これからあなたたちどうするの?」

「さぁてね。体勢を立て直したいが、こんなにも早く素性がばれてしまうとは思わなかったものでね」

「……この街からは出ないの?」

「この街に目的があるんだ」

「そうなんだ……。ねぇ、お願いがあるの」

「なんだねお嬢さんフロイライン?」

「この街の外れに山があるんだけど、そのふもとにある旅籠屋にわたしのことを伝えてほしいの」

「分かった、伝えておこう。お前さんには今回の借りがあるからね」

「……あなたが先に助けてくれたのに?」

「遠い昔の話だ、覚えてないね。そして身に覚えのない貸し借りはチャラにされるべきだというのが私の常日頃からの主張なんだ。特に借金に関してだが」クロウはマテルを見て言う。「マテルはもう少しここに残ってくれないか?」

「うん、わかったよ」と、マテルは即答した。

「大丈夫か?」

「平気さ、ここにはおねえさんがいっぱいいるからね」

「……そうか」


 ──翌朝


 部下がサハウェイの寝室をノックした。

「大変です、サハウェイさん」

「なぁに朝っぱらから?」

「女が──」


 サハウェイが部下と共に地下室に行くと、そこにいるはずの女がいなかった。部屋の真ん中には一枚の紙が残されていた。紙にはこう書かれていた。

“ファントムは捕えられない”

 サハウェイは、部下に手渡されたその紙を無言で見つめた後、くしゃりとそれを握りつぶした。

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