オッズを顧みない女

 決闘騒ぎの後、女はティムにフロリアンズの応接間へと案内されていた。天井にはシャンデリアが吊り下げられ、メッキではあるが黄金に輝く燭台が室内を照らし、壁はモルタルで白く塗り固められた応接間だった。“中央”とはいえ辺境の土地らしからぬ豪勢な内装だった。女はそんな室内の装いに落ち着かない心持ちだった。圧倒されていたのではない。その室内は、贅を尽くした品々で洗練されているようにも見えるが、どこか背伸びや無理が見えた。女は旅先で聞いたおとぎ話を思い出していた。土台が崩壊しそうなのに、それでもまだ建築を続け天を目指す塔の話だ。最後はついに塔は崩壊し、塔を作っていた支配者も、支配者にすがっていた人々も、みな瓦礫の下に埋れてしまったという。取り繕いの上に取り繕いされた、不安定さがそこにはあった。

 応接間中央の、大理石の長テーブルの前に座らされている女がティムに訊ねる。「……正当な決闘だったと思うんだが? 保安官だって見てたろう?」

「黙って待っとけ」そう言って、ティムは女の刀を見た。「その剣、こっちで預からせてもらうぜ」

 女は刀を手で押さえて言う。「こんな孤立無援の状態で、武器すら没収するのか?」

「もし、武器を預けんのやったら、サハウェイさんはここには来んぞ。聞いとるぞ、お前がサハウェイさんに会いに来たっちゅうんはな」

 女はしぶしぶティムに刀を預けた。

 そんな大人たちのやり取りを、マリンは部屋の隅で眺めていた。


 女がしばらく待っていると、奥から使用人とともにサハウェイがあらわれた。サハウェイは兎獣人ラガモルフの子供をぬいぐるみのように抱いていた。ラガモルフの子供はピエロの衣装を着せられ、首輪をはめられていた。

「またせたわね」

 サハウェイは応接間の人間たちにそう言うと、そばにいた使用人にラガモルフを渡した。ラガモルフを抱いて現れたのは、たんに女に自分の財力を見せつける演出だった。

 人間のみならず、亜人を売買することは戦後になると禁じられるようになっていた。しかし、自分のステータスを誇示するために亜人を闇市ブラックマーケットで購入し、ペットにする悪趣味な金持ちも少なからず存在していた。

 使用人に抱きかかえられ部屋を出ていく瞬間、女とラガモルフの目があった。しかし、その意味を理解する者は、当人たち以外にはいなかった。 

「ここの経営者のサハウェイよ」とサハウェイは女を見て言った。

「キャットイヤー・ライリーだ、お会い出来て光栄だよ」と女は言った。

 長テーブルをはさみ、女の正面に座ってサハウェイは言った。「聞いたわよ、剣の腕を買ってもらいたいそうね?」

「話がはやい」と女が言う。「そうだ、ここではお前さんが一番の有力者だと聞いたからね」

「まぁありがとう。でも、一番の有力者に率先して腕を売ろうなんて、自己評価が高すぎやしないかしら?」

「そうかね? しかし、腕に関しては十分に見てもらったはずだ」そう言って、女はティムを見た。サハウェイもティムを見る。

 ふたりの女の視線を集めたティムが口を開いた。「ええ、確かに正当な決闘でした。一対一、不意打ちなどもなしです」

 サハウェイが言う。「でも、貴女が斬ったのはうちの大切なお客様よ? ちょっとした営業妨害と言っていいわ」

「私だってあの娘を買おうとしたんだ」そう言って女はマリンを見た。「それも高値で。おたくに損をさせようとしたのは、むしろあの男の方さ」

「話しによれば、貴女が先に彼を侮辱して名誉を傷つけたと聞くけれど?」

「あの娘の名誉が傷つけられそうになった事には不問かね?」

 サハウェイもマリンを見た。そして、首を傾けて白々しい笑顔を浮かべた。

「ごめんなさいね、何かの手違いだわ。きっと誰かが私の許可を得たと勘違いをしたのね。大切な貴女に客を取らせるなんて、私が許すわけないでしょう?」

 しかしマリンは気づいていた。あの時、ティムや他の従業員たちが、自分が男に絡まれているにもかかわらず、見て見ぬふりをしていたことを。

「もし貴女をうちで雇うというのなら、いろいろと聞いておかなきゃあね」とサハウェイは言った。「私の所が一番稼げるから、という理由は分かるわ。でも、どうして貴女はこの国の辺境のカッシーマの、しかもこの街に来たのかしら? 中央は広いのよ?」

「無頼者だからね。流れ流れてここまでたどり着いたんだよ。深い理由はない」

「“流れ流れて”? 嘘おっしゃい」サハウェイは鼻で笑った。「ファントムは風じゃあないわ」

 女の目つきが変わった。

「“ファントム”クロウ」女・クロウの背後にはブラッドリー・ジョーンズが立っていた。「女のレンジャーと問われれば、彼女を名指す者も少なくありません」

 いったいいつの間に背後を取られたのか、クロウは総毛だたせて振り向いた。先ほどまで余裕を見せていたクロウの体に、一瞬で緊張が走った。

「……驚いたね。だが、あいにく人違いだ。私はファントムじゃあないよ。奴がこんな辺境の地にいるわけないだろう」とクロウは言った。

「とぼけるのはよせ。女で剣の腕が立つ、しかも──」ブラッドリーはクロウの横髪を指でかき上げ猫耳を露わにした。「雑種というのが世の中にどれほどいると?」

「その界隈ではそこそこ有名人みたいね?」とサハウェイが訊ねる。

 だがクロウは何も答えない。

「信じられんな、女ごときが“アンチェイン”を倒したなど。おおかた、寝首でも掻いたのだろう」

「またの話か、勘弁してくれ」とクロウは言った。「噂に尾びれがつき過ぎだ。戦時中の英雄か何か知らないが、この国の奴らは大げさなんだよ。私はアイツに勝てる男を、少なくともふたりは知ってるぞ」

「あの化物にか?」とブラッドリーが訊ねる。

「……見たことがあるのか?」とクロウも訊き返す。

「かつて……奴に挑んだ。そして敗れた。今一度奴と合間見あいまみえようとしていたところ、奴が討たれたことを風の噂で聞いた。しかも女ごときに不覚を取ったとな」

「お前さんのセリフ、さっきからやたら“女”が出てくるな。なにか女にコンプレックスでもあるのかね? きちんと母乳で育ったか?」

「一言多いぞ、この汚らわしい雑種め」そう言って、ブラッドリーは灰色の瞳を細めた。

「その雑種をこしらえたのは転生者だぜ?」と、クロウは探りを入れるような口調で言った。

「教皇庁の欲まみれの俗物どもは、あの男を救世主のように思っているが、奴は単なる戦争屋だ。この世界を自分が住みやすいように変え、快楽を貪っていただけ。お前のような雑種を世界に産み落としたのが何よりの証拠だ」ブラッドリーの声は昂ぶっていた。まるで、クロウではなく、その親に自分の声を届けているような興奮さえあった。「生殖行為とは子を為すためのもの。異種姦などは快楽のみを求める、神の摂理に背くもっとも忌むべき行いだ。そしてその結果お前のような不具が生まれた。生まれながらに子を成せぬと分かっている女に、いったい何の存在価値がある?」

「そうは言うがね、神父様。聖典の訓戒では、明確に異種姦を禁じてはいないはずだぞ?」

「浅学の極みだな。同性愛や異種姦にふけった古の都市が、その堕落ゆえに神の怒りに触れ、そして遂には滅びたという説話を知らんのか?」

「確かその都市の記述では、酒と博打にも言及されていたはずだ。それならどうしてお前さんたち坊さんは、酒を飲んで賭博を容認するんだ?」

「宗教談義はまた次の機会にしてくださらない?」とサハウェイが割って入った。「私が言いたいのは、何のために貴女がここに来たかよ。何の目的もなく、レンジャーがここに来るわけがないでしょう? 誰に依頼されたのかしら?」

「勘ぐりすぎだし、過大評価しすぎだよ女将マダム。よその土地でやらかしてね、仕事を失ってしまったんだ。さっき言ったように、流れてきたというのは嘘じゃない」

「最初に嘘の自己紹介を始めたのは貴女からよ? その話を信じろと?」

「まぁ……いま言ったように、よそでやらかしたんだ。そのせいで、私を追う者もいてね」

 そう言うクロウを、サハウェイは涼しげに見るばかりだった。

「ショックだわぁ、いきなり握手を求めてきた人間に嘘をつかれるなんて」サハウェイは天井を見上げて胸に手を当てた。「この痛みをどうしようかしら。ちょっとやそっとの償いじゃあ癒されないかもね」

「泣けばいいだろう。どうせ女の悲しい気持ちなんぞ、カレーより日持ちしないんだ」

 女ふたりは、お互い冷ややかに笑いあった。


「ぶち殺すわよ」

 

 豹変したサハウェイに呼応するかのように、室内の男たちはいっせいに武器を出した。クロウは鋼の音色を聞きながらも無表情だった。

「……あら、見上げたものね。この状況で表情一つ変えないなんて」

「切っ先とにらめっこするのは慣れっこだからね」とクロウは言った。「それに、街一番の有力者といえ、大義名分もなく人を始末できるのかね」

「そうね、疑惑だけで貴女を始末するわけにはいかないわ」そう言うと、サハウェイはティムに目配せをした。ティムは頷くと、「入ってこいっ」と奥の部屋に声をかけた。入ってきたのは、真っ黒な頭巾で顔を隠した怪しげな薬師だった。

手筈てはずは整ってるかしら?」サハウェイが訊ねると薬師は小さく頷いた。「きっとレンジャーとして名高い貴女だもの。ちょっとやそっとの拷問なんて意味がないでしょうし、何より本当の事を言うとも限らない。貴女と腹の探り合いをしてる暇なんてないから、本心を告白してもらうのが手っ取り早いわ」

 そう言って、サハウェイはクロウに微笑んだ。

 クロウは薬師の体から漂う薬品の臭いをかぎ取った。臭いは衣服からではなく、肉体そのものから発せられているようだった。

「彼が何者なのか分かるかしら? たとえ諸国を回っている貴女であっても、今からやることには想像つかないかもね」そう言って、サハウェイは口に手を当てて笑った。

「……多分」クロウは言った。「あの男の顔の頭巾を取ると、頭髪が蛇になってるんじゃないだろうか。そしてその蛇を使って私の体を舐めまわすんだ。蛇の唾液は毒になっていて、私の体がしびれて動けなくなった所を口にを突っ込んで、そこから溶けた鉛を流し込んで、さらに股間にも焼きごてを挿入して体の中からウェルダンに焼き上げようって魂胆かい?」

 クロウは身をすくめて「恐ろしい……。」と言った。

「……そこまでしないわ。それに彼はただの薬師よ」

「自白剤ば用意しとる」とティムが言った。「それを射ってお前に洗いざらい吐いてもらうけぇの」

「北風と太陽の逸話を知ってるかい?」とクロウが言う。「この店にある上等の酒を全部用意してくれたなら、上機嫌になって或いはってこともあるかもしれないんだが?」

「お前に選択肢があるわけながやろがい」ティムはせせら笑って言った。「酒よりも頭が曖昧になる薬や。体中が緩んで、洗いざらいどころか別のもんまで漏らしてまうかもしれんがのう」

「だとしたら」とサハウェイが言った。「ここで薬を使うのはやめてもらえるかしら、客間よ?」

「も、もちろんです。おい、お前らっ」

 ティムは男たちに命令をしてクロウを囲んで立ち上がらせた。

「なぁ女将マダム」とクロウは言った。「出会ってすぐにこんな仕打ちはあんまりじゃないか。客人にあれこれ垂れ流しさせるのがここの作法なのかい」

「泣けばいいじゃない。女の悲しい気持ちはカレーより長持ちしないんでしょう?」

「その前に恨みは晴らすことにしてるがね」そう言って、クロウは口角を吊り上げて牙を見せた。

 サハウェイはクロウの脇を抱えている男に目配せをした。男がクロウの腹を殴りつけ、クロウの口から唾の飛沫ひまつが飛び散った。

「じゃあこの恨みも晴らせるかしら?」

 しかし、クロウは悶絶したまま何も答えられず、男たちに引っ張られていった。

「楽しみにしてるわ」と、連れられていくクロウにサハウェイは告げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る