狩人

 ──同刻、イリアの外れの山奥


 その森では、猟師の男が一人娘を連れて猪狩りをしている最中だった。すでに季節は冬だった。だが、冬ごもりに失敗した猪がふもと,,,の村に現れ村人の収穫物を荒らすという被害が出ていたので、彼らは駆除をするために森へと入っていたのだった。

 しかし、狩りに来ているのは彼ら親子だけではなかった。人間の親子の後ろには、エルフの男がいた。薄緑のズボンに緑色の上着、その上に深緑のケープを羽織っていた。頭には羽つき帽まで装備され、あまりにも典型的な狩人の格好だった。まるで、演劇の舞台からそのまま降りてきたかのようだった。

 心臓の鼓動さえも抑えるように用心深く息をひそめ歩いていた猟師が、木の幹の切り傷を見て立ち止まった。

「……近いみたいだな」と猟師は言った。

 それは猪の牙で付けられた縄張りのしるしだった。猟師は鼻をすすると地面を見た。地面には猪のフンが落ちていた。猟師がそれをつま先でつつくと、それがまだ落とされたばかりの物だということが分かった。

 男は娘とエルフに目配せをして頷き、思ったよりも猪が近くにいることを暗に伝えた。

 さらにしばらく歩くと、猟師は再び立ち止まって右手を上げて二人を静止した。

 猟師が目を細める。その先、5メートルほど離れたところで茂みが動いていた。猪と見て間違いなかった。冬ごもりに失敗したせいで、普通の猪よりもやや大きく、茂みで体が隠れきれていなかった。暴食で肥えた体が普段の習性で身を隠しているのは滑稽こっけいにも見えたが、木の幹の傷から推定する牙のサイズからして、油断のならない大きさだった。

 猟師はクロスボウを構えたかったが、絶妙に木々が邪魔をして猪を狙うのは難しかった。移動しようにも、猪の周りの茂みのせいで、それ以上近づくと音を立てることは不可避だった。

「……ご主人」

 後方のエルフが小さく猟師に話しかけた。

 猟師が振り向くと、エルフは弓を3本とり出して静かに構えた。何をやっているのか、木が邪魔をしてここからでは猪を射ることはできない、猟師は表情だけでエルフの行動に疑問をていした。それに対し、エルフは口の動きだけで「大丈夫」と猟師に伝え、首を振って猟師と娘に退くように指示をした。

 仕方なく二人が道を空けると、エルフは目を閉じて、小さく唇をうごかし始めた。父と娘は困惑してお互いの顔を見合わせる。

 エルフが唇を動かし始めてまもなく、森の木々がざわめき始めた。風にしては妙だった。風は一定の方向ではなく四方から吹いていた。まるで、風が意志を持って木々の間を走り抜けているような、そんな雰囲気すらあった。

 風は次第にエルフに集まり、その体にじゃれつく,,,,,ように彼の体にまとわりついた。帽子が少し浮き、エルフのプラチナブロンドの長髪が逆巻いた。その神々しい雰囲気に、猟師の娘は凶暴な猪がすぐそこにいることを忘れため息を洩らしそうになった。

 エルフが目を見開いた。蒼い、南国の海洋のような瞳だった。エルフは3本の矢を同時に引くと、足を大きく開いて体を弓なりに反らした。おおよそ弓術とは思えぬような奇妙な構えだった。風がより強く、奇妙な姿勢のエルフを取り巻く。

「YEHAAAAAAAAAAAAA!」

 エルフが叫び矢を放った。叫び声に反応し、茂みの中の猪の体が毛を逆立たせて動いた。

 エルフが放った3本の矢は、それぞれ明後日の方向に飛んでいた。

 しかし、矢は木々の間をくぐり抜けると、猪に吸い込まれるように急なカーブを描いて獣の体を射抜いた。

「まさか!?」

 思わず猟師が声を上げた。

 鈍い悲鳴を上げて飛び跳ねる猪。エルフたちの存在に気づくと、猪は唸り声を上げて彼らに突進してきた。突進する猪の牙が触れた木の幹が、斧で叩いたようにはじけ飛んだ。

 猪の攻撃を横っ飛びでかわすと同時に小型のナイフを投げるエルフ。鳴き声が怒りから悲鳴に変わり、猪は突進の勢いのまま木にぶつかって倒れた。ナイフは猪の目を潰していた。

「お、おお……。」

 猟師は信じられない光景に言葉を失っていた。猟師の娘は両手を組んで、祈るようにエルフを見ていた。

「……存外ぞんがい、あっけないものですね」

 エルフは羽付き帽を取ってプラチナブロンドの髪をなでた。

「すごい……。」

 ため息まじりにうっとりと猟師の娘が言う。そんな娘にエルフは涼しげに微笑んで見せた。娘がほうっと再びため息を洩らした。

 猟師が大股開きで近づくが、猪はまだ生きていた。用心しながら猪と距離をとりながら猟師が言う。「いやぁ、助かったよ。こんな大物、下手したらこっちがやられてたかもしれないしな。ありがとう、何と礼を言っていいいか」

「ご主人、礼など結構です。貴方には一宿一飯の借りがあるのですから」

「いやはや、それでコイツを仕留められたんだから、十分お釣りが来るってもんだぜ」

「お役に立てたならば光栄です。それならばご主人、イリアの街までの道案内をお願いできないでしょうか?」

「お、おお、構わんさ。というより……。」猟師は前を行くと、茂みの向こうに立ち、峠から下を指差した。「あそこがアンタの言ってたイリアの街だよ」

「あそこが……。」とエルフは猟師と並んで立ち、目を細めて言った。「あまり、いい噂を聞かないようですね」

「まぁな。あの街は、サハウェイってぇ女が牛耳ってやがんのさ。雪女みたいな見た目どおり、とんでもねぇ冷酷な奴らしいぜ」

「……妙な用心棒を雇ってるとか」

「ああ、神父のくせに始末屋やってるって野郎だろ。わけ分かんねぇよな。だが、恐ろしく強ぇえって話だぜ。猟犬を手足みてぇに動かすんだとか」

 エルフは鼻で笑って言った。「こんな辺境で請負うけおい稼業をやっているのは、いわくつきか、そうでないならポンコツと相場が決まってます」

「ふはっ、言うねぇ。奴のことを知ってるのかい?」

「意外と狭い界隈なのでね。聖典の勝手な解釈を広め教皇庁から破門され、行くところのなくなった神父崩れです。神の公僕を気取ってますが、とどのつまりのゴロツキですよ」

「へぇ……。ところで、アンタはあそこに何の用事があるっていうんだい? アンタみたいなエルフが行くとこでもない気がするがねぇ……。」

 エルフは風を感じながら目をつむって言った。「風が……。」

「うん?」

「風が泣いています」

「風が?」

「多くの人々の苦しみが、風となってあの街に吹き荒れているのです」エルフは目を開けて言った。「私はその風から、泣き声を消し去るためにここに来ました」

「アンタ、もしかして……。」

「悲しい風は、もう十分です」


 そうしてエルフは山を降りていった。別れ際に、猟師の娘が「ご武運を」と自分の結った髪の一束を切り落としてエルフに渡した。エルフは、必ず戻ってきてこの髪を娘に返すと約束をした。

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