孤高

 教会を出たその足で、サハウェイは街の商人たちとの午後の会合に出席した。そこでは、サハウェイが買収した雑貨店の店主の処遇を決めることになっていた。その店の売り上げが、去年から低迷しているというのが理由だった。

 長テーブルの奥に座るサハウェイが言う。「サンジさん、貴方には十分に機会を与えてきましたし、これからもそうしたいとは思っています。けれど、もうこれ以上の損失を見過ごすわけにもいかないんです」

 サハウェイの向かいには、雑貨店の店主・サンジが、そして長テーブルの側面には、裁判の傍聴人ぼうちょうにんのように気難しい顔をして、イリアであきないをする男たちが座っていた。マリンはというと、室内を回りながら、そんな男たちの目の前にあるグラスに葡萄酒を注いでいた。

「事情があるんです、サハウェイさん。今年は不作がつづいて品ぞろえが悪くて、しかも他のカッシーマの卸問屋おろしどんやの奴らも、売りしぶりをして値上がりが続く一方でして……。」

「知ってますわ。そのおかげで馬車を走らせて遠出をして仕入れをしてる店もあるというのも」

「ですから、皆様がワシの店をひいき,,,にしてくれれば……。」

「貴方のために、私たちが損失をこうむれと仰るの?」

「う……。」

 サハウェイの隣に座る運送業者の男が言う。「身近な店が傾いていると、こっちの商いにまで影響が出るんだよ。しかも、アンタの店が自分の物なら文句はないが、アンタの店はサハウェイさんのもんで、アンタは雇われ店主だ。サハウェイさんが不満を持っている以上は、こちらとしてもかばえんよ」

「あの店は……。」とサンジが言う。「元々ワシのもんだったじゃないか。なのに……。」

「妙な言い方はやめてくださる?」サハウェイの声の調子が冷たくとがり、正面に座るサンジの胸に突き刺さった。「貴方は契約に納得して私にお店を売りわたしたのでしょう? そのおかげで貴方の家族も随分と助かったはずよ? 感謝されこそ恨まれる覚えはありません」

「しかし……あれはワシが親父から受け継いだ……。」

「その受け継いだお店を売却する決断をなさったのは貴方です」

 そう言われてサンジは口ごもるばかりだった。

「で、明後日までに、こちらで選んだ新しい店主をあの店に送ります。貴方は引きつぎの準備をお願い」

「そんな、急じゃないか!」

 そう言って店主は立ち上がった。

「以前から話はしていたはずですよ?」

「だが、家族に説明をしないと……。」

「言い訳はたくさんです。それを聞き入れたら、次は何を言い出すのかしら? 先立つものがないから? 移転先が見つからないから? 春が遠いから? 私は十分に猶予ゆうよを与えました。これ以上はありません」

「サハウェイさん、彼の肩を持つわけではありませんが、確かに急ではありませんかね?」と別の店の経営者が意見する。「まるで、裸一貫はだかいっかんで彼を路頭ろとうに迷わすみたいになっているが……。」

「待てば待つほど、私の、私たちの手元からお金が流れて行くんですよ? 一日、また一日とね。だとしたら、その損失そんしつを貴方が何とかしていただけるのかしら?」

「いや、そういうわけでは……。」

「決まりね。期限は明後日、それ以上あの店に居座るならば、無理にでも立ち退いてもらいます。……何かご意見のある方は?」

 そのサハウェイの決定に、雑貨店の店主は歯がみをし、他の男たちは暗い表情でお互いを見合わせ、さらに一部は冷徹をよそおい口をまっすぐにむすんでいた。


 会合が終った後、サハウェイの仕事ぶりをそばで見ていたマリンは、しばらく声をかけるどころか、目を合わせることができなかった。そして、その様子に気づいていたサハウェイも、馬車の中で口を開くことはなかった。

 店に戻るまで二人は無言だった。執務室に戻り、真っ白いコートをマリンに預けると、サハウェイは執務机に深く座り、深く息をはいた。

「……私を冷酷な女だと思う?」と、サハウェイはマリンに訊ねる。

「え?」と、部屋の隅のコートハンガーにコートをかけていたマリンが振り向く。

「確かに、もうちょっと穏やかなやり方もあったかも知れないわ」とサハウェイが言う。「でもね、そう簡単でもないのよ。女が寛容さを見せれば弱さと思われるし、強気に出れば感情的だと言われるわ。何かと軽んじられる理由になるの。……それこそ、ここの店を手に入れたばかりの頃は、女というだけで低く見られたわ。だから……彼らに何も言わせないためには、感情を見せずに毅然きぜんとしていなきゃあいけないの」

 マリンはコートをハンガーにかける手を止めてサハウェイを見ていた。

「弱味は見せられない。だって、斜陽しゃようになればすぐに手のひらを返されるし、そうでなくても、人はスキあらばいつしか人を裏切るものだから。男の中で女が孤立無援こりつむえんでやっていくには、身も心も鉄にしなきゃあね」サハウェイはマリンを見て笑った。しかし、視線の先にはマリンがいるものの、視界には入っていないようだった。「彼らのさげすむ視線すらも及ばないくらいの力をつければ良い。でもその高みに居つづけるためには、なれ合いなんかにかまけてる暇はないの。あの旅籠屋はたごやの小娘みたいにはね……。」

 しばらくマリンとサハウェイは見つめあった。見つめあっているものの、サハウェイはマリンを見ながら、さらに遠くを見ているようだった。そして、急にマリンの存在に気付いたかのようにサハウェイの瞳が光を得ると、サハウェイは改めてマリンに言った。

「……貴女は、私を裏切るかしら?」

 相変わらずの冷えた声色こわいろだった。しかし、そこには氷のようなきびしい冷たさではなく、透明で、乾燥した、物悲しい北風のような寒さがあった。

 マリンは声に出せず、ただ首を振るだけだった。

「……そう」

 マリンは失礼します、と言って部屋を出ていった。

 

──あの人は強いのではない。強くあらなければならなかったんだ。時には強いふりまでして。

 一瞬垣間かいま見たサハウェイの表情を見たマリンは、室内にいるというのに、肌に爪を立てたくなるほどの寒さを感じていた。昼間はまぶしかったサハウェイの高み、しかしサハウェイの孤高ゆえの孤独を知ったとき、少女の胸の内を、体にさわるほどの悪寒が侵蝕しんしょくしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る