厭な男

 翌日、キャサリンはフロリアンズの開店前に、客室の掃除をして回っていた。一方のマリンは、今日もサハウェイに連れられて外出していた。同じく新人のはずなのに、仕事の内容の差にキャサリンは不満をため始めていた。

 重いバケツを運びながらキャサリンが呟く。「掃除婦じゃないっつーの」

 そこへ、ティムが廊下の向こうからやってきた。キャサリンは冷ややかな表情を作ると、露骨にティムを避けるように、廊下の端に体を寄せて通り過ぎようとする。しかし、それをティムが正面に立ちとうせんぼ,,,,,した。

 キャサリンは軽くティムを睨むと、廊下の真ん中に移動した。しかし、それにもティムがとうせんぼをする。

「……ちょっと、どいてください」とキャサリンが言う。

 それにティムはうすら笑いで答えるだけだった。

 さらに端に移動するキャサリンだが、それでもティムはキャサリンの前に立ち、壁に手を当て道を塞いだ。

「……何なんです?」と、すわった目でキャサリンが言う。

「バケツ、重かろう? 俺が運んじゃる」

「え? いいですよ、わたしの仕事なんですし」

「見ちょられん」

「はい?」

「お前の綺麗か指が荒れるのがな。お前はこげんことの為に生まれた女やなかろうが」

「こんなことのためって……。」

「おかしかち思わんか? お前の後輩がサハウェイさんに可愛がられて掃除もせんと、お前ばっかりがコキ使われるんは?」

「それは、だって……。」

「ここの優劣はええ女かどうかじゃ。あのションベン臭いガキより、お前の方が女としては上なのに、お前はこんな所で掃除女の真似事やぞ」

「あら、もしかして口説いてるんですか?」

「お~お~、もう自分が口説かれるんに値する女と思うちょるがか?」

 キャサリンの顔が赤くなった。

「ええよ、そう思うても。ええ女にゃあ男はなに言うても、気づかんうちに口説き文句になるもんや」

 キャサリンは小さくため息をついて言った。「どいてくださらないなら、昨日みたいに足の怪我を叩いちゃいますよ?」

「面白いのう、やってみぃ」

 キャサリンはティムを見上げて悪戯めいた笑いを浮かべた。その笑顔には、少女ながら蠱惑的な影が生まれていた。そして、キャサリンはえいっとティムの足を軽く叩いた。

「おいおいくすぐったかぜ? 本気でやっちょるか?」と、少し顔を引きつらせてティムが言う。

 キャサリンは挑発的に微笑み、再びティムの足を叩いた。今度はさっきよりも少し強めだった。しかし、それでもティムは強く息を吸い込み平静を装った。

「効かんな~」

 そしてティムは両手を壁に付き、キャサリンを壁際に押しやった。

「ちょ、ちょっと……。」

「ほぅら、捕まえたぁ。逃げたいんやったら、本気でやらんと逃げられんぜ?」

 左右はティムの腕で塞がれていたが、身をかがめてくぐれば逃げられる状態だった。だが、キャサリンはそうしなかった。

「やめて……ください」

「やったら抵抗せんか」

 キャサリンは、再度ティムの足を叩いた。ティムは歯を食いしばって息を吐く。

「お~ほほぉ、何や、俺を興奮させようち、息子の周りを撫でてくれよおとか?」

「ち、違……。」

 ティムは腕を曲げ、キャサリンに迫った。キャサリンは壁に張り付くようにしてティムを拒む。

「……冗談やって」とティムが拘束を解いた。「怖がる顔も良かね、いちいちそそりよる」

 そう言って、笑い声を上げながらティムは去っていった。

 キャサリンは息を荒くしながら顔に手を当てた。頬はほんのり熱を帯びていた。

 

 その後、マリンが帰ってくると、二人は炊事場で賄いの食事をとり始めた。その炊事場もやはり、ドウターズの倍以上はある大きさだった。

 キャサリンはハムをフライパンにかけ、焦げ目をつけてからパンに乗せ、ハムの脂の張ったフライパンに卵を落とし、目玉焼きを作ってそれをハムの上に乗せ、エッグサンドを作った。

「はい、出来たわよ」と、そのハムエッグサンドをキャサリンはマリンに渡した。

「ありがとう」とマリンが言う。「キャサリンって、こういうの上手いよね」

「まるで、みたいな?」と、皮肉めいた笑顔でキャサリンが言う。

「そんなこと……。」

「掃除、料理、子守……。お母さんと同じ人生しか歩めないなんてまっぴら」

「お母さんのこと……嫌いなの?」

「そうじゃないけど……ただなの、お父さんの顔色ばっかり伺って、お父さんが動けなくなったら別の顔色伺って、死んだら次は娘を売るんだもん。家庭と夫に縛られててさ。嫌いじゃあないけど、同じ人生はいや

「ふぅん……。」

 しかし、娼婦としての人生もそこまで先が明るくないのでは、とはマリンも言えなかった。

「ねぇ、わたしって娼婦としてイケそうかな?」

「えっ?」

 心の中を読まれたかと思って、素っ頓狂な声を上げてマリンは返事をした。

「正直わたし、結構イケてると思うんだよね。ナンバーワンとまではいかないけど、この店でそこそこ上にいけるんじゃないかなって」

「う、うん、そうだね……。」

 ふと、マリンはキャサリンの表情が大人びていることに気づいた。いったい、いつから彼女はこのような物言いをするようになったのだろうか。その変化はあまりにも急だった。しかし、友人をよく見ると、変化は物腰だけではなかった。口は薄らと紅がさしてあるように赤く熟れ、頬も熱があるようにほんのりと桃色に染まっていた。服も胸元がはだけ、スカートが短くなっている。これまでは着やせで気づかなかった胸も、今は十分に膨らみが確認できた。

「でも、それだったら、良い人を早く見つけたいかなぁ」とキャサリンは言った。

「見つかるといいね……。」

「……うん」

 それからしばらく、ふたりはハムエッグサンドを無言で食べ続けた。

「ところでさ」とキャサリンが口を開いた。「ティムさんのことどう思う?」

「え? ティムさん? どうって……どうしたの? 何かあった?」

「う……ん、何かっていうか……。」キャサリンはマリンに体を近づけて言う。「あの人、最近わたしにちょっかい出してくるんだよね」

「……マジで? ヤバイよっ」と、マリンはハムエッグサンドの入った口を押さえて言った。

「ねぇ……。」

「サハウェイさんに言ったほうが良いってっ」

「そこまで酷いわけじゃないから……。」

「でも嫌なんでしょ?」

「ちょっと、迷惑かな……。」

「う~ん」

 いまいちマリンには理解できなかった。迷惑ならやめてもらえばいいし、そうでないのならば放っておけばいい。何より、そんなことを自分に言ってどうしたいのだろうかと。

「私はあの人ちょっと苦手だな。何か怖いし」とマリンが言う。

「だよね、完全にヤクザ者だよね」とキャサリンが相づちを打つ。

「それに、男としてもヤだ」

「そう?」

「あのヒゲは剃らないと。お洒落でやってないもん、伸びっぱなしでボーボーだし白髪混じってるし。すっごい不潔な感じする」

「え~? もしかして、マリンってエルフの王子様みたいなのが好みなわけ?」と嘲ったような声でキャサリンが言う。

「え?」

「エルフと一緒になりたいなんてのは、おとぎ話の読みすぎだよ~。子供~」

「別に、エルフとか言ってないよ」

「大人の男だったらヒゲは生えるんだよ?」

「分かってるよ。ただ、ティムさんは限度を超えてるよ。そのせいで、余計に怖い顔になってるし」

「そうかもしれないけど……。」

「しかも、何か変な喋り方するし。どこの方言が混じったらああなるの?」

「多分、色んなところを放浪したんだと思う。経験が豊富なんじゃないかな?」とキャサリンは嬉しそうに語る。「サハウェイさんもそんなところを見込んで自分の部下にしてるんだよ」

「え? サハウェイさんがそう言ったの?」

「違うけど、そうじゃないかなぁって」

「う~ん……じゃあ、キャサリンはティムさんの事が嫌いじゃないんだね?」

「違うよ、そうじゃなくて、見た目ほど悪い人じゃないんじゃないかなって思ってるだけ」

「ふ~ん……。」

 やはり、マリンにはキャサリンの言いたいことが分からなかった。自分から話を振っておいて、彼女は既に自己完結していた。

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