猟犬と狩人

 ハスキーを前にして、とまどうサハウェイの部下たち。スヴェンは形勢が逆転するきざしを見てほくそ笑んだ。

紳士淑女諸君レディースエンジェントルメン、いささか不躾な出迎えすぎないかね?」と、両手を広げてハスキーは言った。

「やはり……ハート・ショットか」とブラッドリーが言う。

「“影を撃つ白銀の閃光”と呼んでいただこうか、猟犬ハウンド殿」とハスキーが胸に手を当ててお辞儀をする。

「いいや、貴様は心臓撃ちハート・ショットだよ」とブラッドリーが鼻で笑う。

 ハスキーはブラッドリーを睨むと弓矢をかまえた。手には3本の弓が同時ににぎられていた。

 ハスキーが言う。「その余裕が……いつまで持つか見ものだね?」

 弦を最大限に引いてから矢を放つハスキー。3本の矢は、先と同じように大きくブラッドリーを外れた。

 しかし、矢は意志を持っているかのように周囲を旋回すると、さっきと同じく不自然に軌道を変えた。矢の向かう先にはブラッドリーがいた。

 ブラッドリーは頭部を狙った一本を首をかたむけて避け、体をねらったもう一本は彼の猟犬が空中でキャッチした。

 しかし、残りの一本はブラッドリーの左腕に刺さっていた。

「よっしゃあ!」とスヴェンが歓喜の声を上げた。

 しかし、攻撃が当たったというのにハスキーはあまり嬉しそうではなかった。

「……もう少しで、ここにいるサハウェイ女史に当たるところだったぞ」とハウンドは言った。

 最後の一本はもとからブラッドリーを外れ、そばにいたサハウェイに当たりそうになっていた。それをブラッドリーが寸前で左腕を使って防いだため、彼は負傷したのだった。

 女には手をかけない、そう宣言していたハスキーがサハウェイを狙ったことをスヴェンは奇妙に思った。

「どうやら、狙いを外したらしいな」とブラッドリーが言う。

「……ぐ」ハスキーはブラッドリーを睨みながら、新たな矢の準備をする。

「……また?」とサハウェイが訊ねる。

「奴の通り名、“ハート・ショット”というのは、気取った意味ではありません」とブラッドリーは言った。「元々コイツはケチな曲芸師でしてね。ある時、カーニバルの見世物で少女の頭上にのせたリンゴを射抜こうとして、誤って少女の胸を射ってしまったのです。心臓討ちハート・ショットのハスキーというのは、その時についた蔑称べっしょうですよ。そしてその事件をきっかけに請け負い稼業に身を落としたというのですから、まぁくだらぬ下賤げせんやからですな」

 スヴェンは呆気にとられてハスキーを見た。

 ブラッドリーはスヴェンに言う。「辺境で、しかも安値で仕事を請け負うのはそれなりの理由があるのですよ。ポンコツかいわくつき、あるいはその両方か」

「黙れ!」

 ハスキーは弦を引き狙いを定めた。先ほどまで艶やかだった顔には皺が寄っていた。

「風であやつった矢など私には通じない」両手を大きく広げてブラッドリーが言う。「ハート・ショットなら名前のとおり心臓を狙うがいい。だが私には神の加護がある、貴様の矢が私の心臓を貫くことはないだろう」

「……馬鹿め!」

 ハスキーは最大限の力をふりしぼって弦を引いた。きりりと弦が鳴る。狙いは心臓、的をさらけ出すブラッドリーに小細工はいらなかった。

 かたや、ブラッドリーは手を広げたまま、まっすぐにハスキーの方へと進んでいった。余裕に満ちた顔だった。まるで、不良の若者を更生させんとする父親のような、そんな慈愛すらもある眼差まなざしだった。

 ハスキーが矢を放った。弓が壊れるほどの限界の力を込めてからの発射だった。矢はまっすぐに、ブラッドリーの心臓を目がけて闇夜を穿うがった。

 矢は、ブラッドリーの胸のど真ん中に突き刺さった。

「ッ!」その光景にサハウェイが小さな悲鳴を上げた。

 一方のスヴェンは、「やったぞ!」と拳を固めた手をふり下ろし歓喜した。

「ふ、ふふふ……神の加護とやらがなかったようですね、神父様」

 意外にあっけない結末に、ハスキーは口角をふるわせながら笑った。当のブラッドリーは不思議そうに胸に刺さった矢を見ている。

 心臓を討たれたブラッドリーはまもなく倒れる、そこにいた誰もがそう思っていた。

 だが、ブラッドリーは胸の矢をつかむと、何食わぬ顔でそれを引き抜き、そして片手の力だけでめしりと矢をへし折った。

「何だと!?」

 ブラッドリーは折れた矢を放り投げた。地面に落ちた矢の先には血糊ちのりがついていた。矢は間違いなくブラッドリーに刺さっていた。

「くそっ、くそっ」

 ハスキーは慌てながらもふたたび矢を装填した。そして急いでブラッドリーを狙うが、彼はブラッドリーに気を取られるあまり注意を怠っていた。構えた弓矢は、飛びかかってきた猟犬に奪われた。

「あ!?」

 うろたえるハスキー、眼前には刻一刻とブラッドリーがせまっていた。

「う、うおおおおおおお!」

 ハスキーは腰から狩猟用のナイフを取り出すと、右の逆手に構えてブラッドリーにおどりかかった。

 ハスキーの右の切り上げ。スウェーバックでかわすブラッドリー。攻撃をかわされたハスキーは、左のひじ打ちをブラッドリーに見舞う。しかし、そのひじ打ちはブラッドリーの右腕で受け止められた。

 左ひじを受け止められた状態のハスキーは、手のひらの中でナイフを回して順手に持ち替えブラッドリーの腹に突き立てる。しかし、その攻撃も、寸前で右手首をブラッドリーにつかまれ止められた。

「う……ぐ……。」

 ハスキーは相手の股間を蹴り上げようと後ろに右足を下げた。

 悪手あくしゅだった。

 ブラッドリーは、ハスキーの体勢が不安定になったのを見逃さなかった。つかんでいたハスキーの右手首をひねり上げる。

「ゔ!?」

 ねじられたハスキーの手首、刃はハスキーを向いていた。

 そしてブラッドリーはハスキーにナイフを握らせたまま、刃をハスキーの腹部に突き刺した。

「ぎゃぁああああ!」

 ハスキーを解放するブラッドリー。ハスキーは崩れるように地面にひざまずいた。

「あ、ああ……。」

 ハスキーは額から脂汗を流し腹部をおさえる。腹からは、手のひらでは抑えきれないおびただしい量の血が流れていた。苦痛にゆがんだ顔は、少し前までの美麗の持ち主とは思えなかった。

 ハスキーを見下し灰色の瞳を輝かせてブラッドリーが言う。「祈りが……必要ですか?」

「お……お願いです、見逃ください」とハスキーがブラッドリーを見上げて言った。

 ブラッドリーは不思議そうに首を傾ける。

「か、金ならあります……。そこにいる奴らから受け取った……。」とハスキーは命乞いを続ける。「金輪際こんりんざい……この街には近づきません……だから……。」

 ブラッドリーは目を細めた。微笑んでいるかのようだった。

「神のしもべを前にして、金銭で命を買うおつもりですか?」そう言うブラッドリーの口調は、優しくもたかぶっていた。「祈りなさい。貴方に必要なのは神の慈悲です」

 ハスキーは言われるままに両手を組んで祈りをささげた。手を離したせいで、腹部からの出血がひどくなった。

「貴方は自分が何をしているのか理解していません」ブラッドリーは苦々しく首をふった。

「は、はい……。」

「あなた方はサハウェイ女史だけを街から追い出せば、自分たちの都合の良いように物事が収まるとお思ったのでしょう。しかし良いですか? 川の流れの一部を乱すという事は、川の流れ全体を乱すという事です。一度乱れた川はやがて氾濫はんらんし……。」

 ブラッドリーがそうこう話している間にもハスキーの出血は続いていた。ハスキーは早く手当てしなければと気持ちが急いていた。

「あの……神父様、お話は後にして先ず──」


「人の話をさえぎるなぁ!」


 ブラッドリーはハスキーの顔を裏拳で殴りつけた。ハスキーの口から血にまみれた歯が飛び出て地面に散った。

「がぶぉ!」

「神の公僕こうぼくに弓を引き! さらには金銭で取引を持ちかけ! 挙句あげくの果てに説教まで遮りよるかぁ!」

 ブラッドリーは光沢をおびるほどに固めた拳でハスキーの顔面を滅多打ちにする。

「少女を殺し街の治安を乱す! 演芸場の道化風情がしゃしゃり出たらどうなるか、身をもって思い知れ!」

 はげしい殴打の末、ハスキーの白磁のように白かった肌は赤黒く染まり、澄んだ青色の瞳は片方がつぶれ眼窩がんかからは硝子体がらすたい※が流れ出ていた。

(硝子体:眼球の中のゲル状の液体)

 ブラッドリーはハスキーのえり首をつかみ、顔の前に引き寄せた。「きさま何とか言ってみろぉ!」

 しかし、ハスキーはもう言葉を発する力も失っていた。口だけがはくはくと動くだけだった。それでもブラッドリーは血まみれの口に耳を当てる。

「……聞こえんぞ!」

 ブラッドリーはハスキーの顔に頭突きをかました。いよいよハスキーの意識は飛びかけていた。

「そうか、とことん沈黙する気だな? 地獄まで告白を持っていこうというのだな? ならば意地でも口を割らせてやる!」 

 ブラッドリーは襟をつかんでハスキーを持ち上げた。そして、ハスキーの体をボロ切れのように振り回すと、咆哮ほうこうしながら燃え上がる建物の2階にハスキーを放り投げた。ありえない力だった。先ほどの矢が貫通しなかったことも含め、そこにいた誰もが彼を人外なのではと疑っていた。

 炎の中に消えたハスキーは断末魔の悲鳴を上げた。そしてその悲鳴とともに、建物は音を立てて崩壊した。

「地獄で神に申し開きをしろ! 救いようのないクズめ!」

 燃え上がる炎を前にブラッドリーは叫んだ。

 その場にいた全員が絶句していた。サハウェイでさえも。

 スヴェンに至っては腰をぬかし、涙を流し下着をぬらしていた。厳格な父親のゲンコツをまつ少年のようになっていた。

 そんな彼らを尻目に、叫ぶだけ叫んだブラッドリーの瞳はふたたび穏やかになっていた。そして、その穏やかな瞳でブラッドリーはスヴェンを見る。

「あ……あ……。」

 涙を流すスヴェンを見て、ブラッドリーは微笑んで歩み寄った。

「恐れを知る。それは男の成長において必要なことです」ブラッドリーは片膝をついて、スヴェンの頬をつたう涙を血まみれの指でぬぐった。「何より、涙を流せない男はいけません。涙を流せる男こそが信頼に値するのです」

 ブラッドリーはスヴェンの頭をなでるとサハウェイに言った。

「サハウェイさん、どうでしょうか? 彼のことは許してあげてはいかがでしょうか? 彼も今回の件は痛く反省しております。どうかご慈悲を。私からのお願いです」

「……ブラッドリー」とサハウェイは言った。「確かに貴方にはいつもお世話になってるし、今回もあなたのおかげでそいつらを片付けることができたわ。でも、その要望は受けいられないわね。だってここで逃がしたら、彼らはきっとまた私に反旗をひるがえすわよ?」

「そ、そんなことはない! もう俺たちはこの街を出ていく! 二度とアンタには関わらねぇ! だから、頼む!」

 スヴェンは両手を合わせてサハウェイに哀願あいがんした。そのさまに、ブラッドリーは目を細め、感心したかのようにうなづいて言った。「サハウェイさん、彼らはもうこの街を出ていくと言っています」

「信じるとでも?」とサハウェイが言う。

「……では、采配さいはいを神にゆだねてはいかがでしょうか?」

「……神に?」

 ブラッドリーの奇妙な提案に、サハウェイとスヴェン、ふたりともが怪訝けげんな顔をする。

「そうです、彼らの身ぐるみを剥いで街から追い出しましょう。彼らが無事に隣の街までたどり着けば、その時は神の加護があったとうことです」

「……なるほどね」と、嬉しそうにサハウェイが微笑んでスヴェンたちを見た。

「む、無茶だ! こんな真冬に!」とスヴェンが言った。

「黙りなさい。貴方がたの反省が本物ならば、きっと神は貴方たちを守ってくださるはずです」

「無理です神父様、そんなこと出来ませんっ。死んでしまいます」と雑貨屋の店主が言った。彼に関しては、足をくじいて,,,,いたので、より荒野を抜けるのは難しかった。

 ブラッドリーは雑貨屋の店主に無言で歩み寄った。

「神父様……?」

 そしてブラッドリーは店主の脳天に鉄拳をふり下ろした。頭蓋が砕け、店主の目から血が吹き出した。

「何でもかんでもやってみる前からやれんだの出来んだの言うのが一番くだらん人種だぁ!」

 しかし、そのブラッドリーの声は店主には聞こえていなかった。店主は体を痙攣させて死んでいた。


 その後、スヴェンを含めた男たちは裸で荒野に放り出された。靴まで奪われた男たちは、足をすりむかせながら隣の街を目指した。しかし、寒さと疲れによって街までたどり着くことなく、彼らは荒野の真ん中で行き倒れた。夜のうちに狼によって食い荒らされ、日が昇るとハゲタカについばまれ、その死体は一日で人相確認ができないほどに損傷した。


 一方、ハスキーの攻撃によって負傷したサハウェイの部下たちだったが、死者はいなかった。風によって矢の軌道を操作するハスキーの術は、不自然な力の変化が加わるため、威力にとぼしかった。頭に矢を受けた者でさえ、傷は頭蓋骨を浅く削るにとどまっていた。ブラッドリーの言うように、曲芸師でしかない男だった。

 サハウェイは太ももに矢を受けたティムに訊ねる。「大丈夫? 立てるかしら?」

「え、えろぉすんません」と言って、ディムはサハウェイに手をさし伸ばした。

 サハウェイはその手を見ると、頭に傷を負った部下に目配せをした。

「立たせてやりなさい」

「……え?」と、部下は頭を布切れでおさえながら言った。

「頭は大げさに血が出るのよ。それとも、私に男を背負えって言うの?」

「は、はい……。」

 部下はティムの手を引っ張って立たせ、肩を貸した。

「じゃあ、帰りましょうか」とサハウェイが言った。

「……サハウェイさん」と、ティムは前を行くサハウェイに話しかける。

「なぁに?」

「ホートンズさんが、来週お越しになるち言うとります」

「……この間来たばっかりじゃない?」と、サハウェイが片眉をつり上げて言う。

「多分……今回の情報の見返りば要求するつもりやなかですかね」

 サハウェイの白い顔に深い影が落ちた。

「サハウェイさん、あん男にあんまし関わりすぎると……。」

「結構じゃない。それならもっと私の店が大きくなればいいだけの話。金を飼料に金を育てるのよ」

「はぁ……。」

 せわしない一日だった。朝は老女に感謝され、昼は老人を糾弾し、夜は男たちに命を狙われる。そして、また新たな重荷が彼女にのしかかろうとしていた。それでも、サハウェイには振り返ることもとどまることも許されなかった。


 そうしてサハウェイとその部下たちは彼らの娼館に帰っていった。その夜の出来事は、街の住人たちにサハウェイに逆らうのは不可能だという事を、改めて印象づけた

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