目撃

 ──翌日の夜


「ちょっと、大変っ。リタがっ」

 ミッキーが2階の接客室から飛ぶように降りてきて、慌てて炊事場へ駆け込んできた。

「どうしたんだい騒がしいね」と、その日給仕を仕切っていたアリシアが言う。

「その……リタの発作が……。」

「……あちゃあ」と顔をしかめてアリシアが言う。「……ミラは?」

「ミラ姉は今日もどっか行ってる。クレア姉は今、ホールの接客で忙しくて……。」

「仕方ないわね……。」

 アリシアは鼻を親指で拭った。意味のない行為だったが、そうせざるを得ない緊張があった。


 ふたりが向かった客室は、以前のここの主人が使用人に用意した就寝用の部屋だった。ベッドと洋服タンスがあるだけで、あとは3歩分の足の踏み場しかないくらいに小さかった。生活のためにはあまりにも小さかったが、男女が少しの間ことを済ますには十分だった。

 そして今、その部屋の隅には全裸の男が体を隠すことも忘れてつっ立っていた。

 部屋に入るなり、ミッキーが言う。

「リタっ」

 リタはベッドの上で痙攣していた。白目を向いて口を開け、何かうめき声のように上ずった声を上げていた。

 切れ長の端正な顔は硬直し、体は筋肉がひきつりあらゆる方向から引っ張られ、子供が操るマリオネットのように奇妙なポーズをとっていた。

 ベッドの上に倒れているリタは、何も知らない者から見ると不吉さそのものだった。見ているだけで、男は自分も気が触れてしまうのではないかと体を硬直させ恐怖していた。


 「魔女の愛撫」と呼ばれるやまいである。女性に多いこの病気は、今では神経性のものであることが判明しており、症状の緩和かんわ法も知られ始めてはいたが、一昔前までは、これは魔女の呪いにより起こる現象だと信じられていた。この病気を抱える者は魔女に魅入られ、呪いの作用でこうした状態になるだけでなく、女性に多いこともあって、やがて患者は魔女になるけがれた存在だとさえ信じられていた。もっとも、それは患者の多くが本人を世話する身寄りがいなくなり、周囲との関係も疎遠になることで、山や村はずれで人知れず生活するために生まれた迷信なのだが。


「お……俺は何も……。」全裸の男が戸惑いながら女たちに言う。

「分かってるわよ……。」

 ミッキーは部屋に入るとベッドの脇に寄り、リタのドレスの胸元を緩めて横に寝かせた。

「……どう?」と、アリシアが訊ねる。

「戻しちゃあいないみたいだよ」

「そう……。」アリシアは一緒に上がってきたマリンを見る。「マリン、発作が収まらなかったらまずいから、念の為に街にお医者さんを呼びに行って」

「う……うん、分かったっ」

 マリンは階段を駆け下りていった。

 マリンを見送ると、アリシアは真剣な表情を、仮面をかぶり直したかのように豹変させ、男に甘い声を上げた。

「嫌な思いさせてごめんなさいねぇ。このコ、普段はこんなことないんだけど、ホントにたまにこういうことに……。」

「ふ、ふざけんなよ」ようやく気を取り戻した男が不機嫌に言う。「こんな女を客に当てるなんてよぉっ」

「でも、お客さんも悪いんだよ?」と、アリシアが男に擦り寄る。

「ああん? どうして俺が……。」

「だってぇ、お客さんのテクニックでこうなっちゃったのよ? こんな男を覚えたばかりの娘に、すっごいことやってあげたんでしょ? 彼女、アナタの技に耐えられなかったんだわ」

 アリシアはもう、と垂れ始めた中年男の胸を指でなぞった。

「ま、まぁ女を満足させんのは得意だが……。」男はまんざらでもなさそうな声をあげる。

「でもお客さんはまだ満足してないでしょ?」アリシアは男の局部を指先で撫でた。男の体が硬直する。「仕切り直ししましょう?」

「けどよぉ、もうこちとら冷めちまって……。」

「あら? じゃあ、二人一緒にってのはどうかしら?」

 アリシアはミッキーに目配せをした。アリシアほど手馴れてないミッキーだったので、硬い笑顔を浮かべてドレスの裾をめくり、ぎこちなく足を露わにする。長身のミッキーの長い脚に、男の目は釘付けになった。

「さぁ、部屋を変えましょう」

 そうして男の手を引いてアリシアは部屋を出ていった。すれ違いざまにアリシアがトリッシュに目配せをすると、トリッシュはリタの様子を見るために部屋に入れ替わりで入っていった。

 トリッシュは小刻みに痙攣を続けているリタに寄り添うと呟いた。

「こんな日に限ってミラ姉ってばいないんだから……。」



 その頃、マリンはお竜をつれて暗い夜道の中、馬を走らせていた。小雨が降り始めていたが、二人の乗る馬は雨を切り裂くようにイリアの中心へと走っていった。 

 そして馬が街に到着すると、マリンは急いで町医者の家のドアを叩いたが、彼の妻によると、医者は今サハウェイの店の酒場で飲んでいて留守だということだった。

 マリンはサハウェイの店「フロリアンズ」まで馬を走らせると、到着するなり店に駆け込んだ。

 サハウェイの店の酒場は、ミラの店より遥かに大きく、2階のバルコニー席もあるなど、ダニエルズの田舎出身のマリンは建物に入っただけでめまいを起こしかけたが、目頭を抑えて首を振ると、即座に医者を探し始めた。メガネと毛量の少ない総白髪は以前に見たことがあったので、マリンは客たちの頭部を見ながら客を探すものの、その男が一向に見当たらない。


「マリン? どうしたの?」

 医者を探していたマリンに声をかけたのは、サハウェイの店に買われたキャサリンだった。

「あ、キャサリン。あのね、今お医者さん探してるんだけど……。」

「あ~、お医者なら確か女買ってどっかいっちゃったよ」

「うそ? そんな、どうしよう……。」

が終わるまで、しばらく待つしかないよ」

「でも……。」

 マリンは急いた気持ちで体をソワソワと動かす。

「……そういえば」キャサリンが言う。「ミラさんも来てるみたいだね?」

「え? ミラ姉が?」

「うん、何かサハウェイさんの所に行ったみたいだけど」

「でも、どうして……。」何かを思いついたようにマリンの目が急に明るくなった。「あ、そうか、キャサリンをウチの店に移籍させてくれってお願いしに行ったんだっ」

「え、そう? 私をみるなり気まずい顔してたけど? それに、何かよく来てるみたいな様子だったよ。そんな感じでサハウェイさんの部下に連れられてってたし……。」

「そうなんだ……。じゃあ何なんだろ」

 すると、酔客がキャサリンを呼んだ。

「おお~い、嬢ちゃんっ。酒おかわり~」

「は~いっ」

 キャサリンはじゃあねと、その客の方へと駆けていった。


 それからしばらく待っていても医者は戻ってこなかった。マリンは首を伸ばしては客室のある方の廊下を覗いて、遠間から様子を伺っていた。

 そうしていると、奥から動く人影が見えた。マリンは医者かと思い目を細めて凝視したが、そこから現れたのは医者ではなくミラだった。

「ミラ姉……。」

 どうしてミラ姉が? そうマリンが思っていると。そのミラの後ろにはサハウェイが続き、二人は酒場の入口で何かを会話すると、サハウェイが笑顔で手を差し出し、ミラはそれを真顔で握るとサハウェイは店の奥へ、ミラは店の出口へと向かっていった。


 店の一階に降りてフロアの半ばまで歩いてきたところでミラがマリンに気づいた。

「……おや、マリンじゃないのさ。……どうしてこんなところに?」

 先ほどのサハウェイとのやり取りを見られたかもしれないと思ったミラは困惑しているようだった。

「リタさんが発作を起こしたの。それで、お医者がここに来てるって聞いて……。」

「そう……。」

「その……どうしてさっきミラ姉は──」

「マリンっ」そこへ仕事の合間をぬってキャサリンが声をかけてきた。「お医者さん、出てきたみたいだよ」

「ありがとう、キャサリン。ほらマリン、だったら急がないと」

「……うん」


 帰りの道中、マリンはどうしてサハウェイとミラが一緒にいたのかを聞きたかったが、察したミラはそれを言わせまいとしているのか、ひたすらにリタの話をするばかりだった。馬車に同乗している医者も、見てみないことにはと言っているにもかかわらず、それでもミラはリタの過去の発作のことを何度も繰り返し説明していた。

 

 ミラたちが戻った頃には、既にリタの症状は落ち着いていた。医者にリタの容態を見てもらい、大事ないと告げ医者が帰った後も、ミラは彼女に付き添っていた。リタはもう大丈夫だと言ったが、ミラは経営者なのに従業員の一大事に付き添えなかったことを詫び続けていた。

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