荒野の道標
ミラとクレアが話を終えて2階から戻ると、マリンが街での出来事をアリシア、トリッシュ、リタ、ミッキーと他の同僚たちに話していたようだった。
ふたりが降りてくるなり、マリンがミラに駆け寄る。
「ミラ姉っ」
「おーおーマリン、お使いご苦労だったねぇ」と、ミラがマリンの頭を撫でる。
「ねぇ、クレア姉から話聞いた?」
「ん? 話って……うん、まぁ……。」
「でねっ、私、みんなに話したんだけど、あの人のことウチで面倒見てあげられないかなってっ」
「え? あの人って?」
「あれ? クレア姉から聞いてないの?」
「え?」ミラはクレアを振り返った。「え……とねぇ、聞いてるんだけど……。」
マリンはミラのスカートの裾を掴んで言う。「ダメなの? あの人、顔を焼かれて、もうお仕事できないんだよ?」
「そうだけど……。」
言葉に
「マリン、ミラは店全体のことを考えないといけないんだ。つまり、それは私たち全員ってことさ。確かに彼女は気の毒だけど、だからってこっちで雇うって訳にもいかないんだ。彼女を受け入れたら、常連客も嫌な顔するかもしれないだろ?」
「役に立たないから、助けてあげないってこと?」
「そりゃあ……だってウチはこれまで逃げてきたような女を誰彼構わず受け入れちゃってたから、いい加減店で受け入れるのも選ばないと……。」
そう言うクレアに、アリシアもそうよねぇと相づちを打つ。
「ねぇミラ姉」
「うん?」
「ミラ姉もそうなの? 役に立たないから見捨てるの?」
「それは……。」
「じゃあ、私が役に立たなかったら、ミラ姉は助けてくれなかったの?」
「そんなわけないだろ? ただ、ウチはあくまで客商売なんだから、そこは考えないと。可哀想ってだけで受け入れてくわけにもいかないんだ」
マリンは他の同僚たちを見る。同僚たちは顔を背けた。
「ねぇ、こんなの絶対おかしいよっ。あの人は悪いことなんてしない。ひどいことをされたからやり返しただけなのにっ」
「やり返しちゃあいけないだろ」とクレアが言う。
「どうしてっ?」
「そりゃ……ちょっとやそっとの事は我慢しないと。互いにやられたらやり返すじゃ、世の中はめちゃくちゃになっちゃうよ」
「男の人がやり返すのは良いのに?」
「それは……。」
「対等じゃないからさ」
そう言ったのはアリシアだった。その場にいた女たち全員がアリシアを見る。ミラがアリシア、と呟いた。
「その嬢ちゃんに教えてやんなよ。娼婦は人間と同じじゃあないんだってね」
「ちょっとそこまで……。」とクレアが言う。
「パルマのこと、忘れたわけじゃないだろ?」
ミラとクレアはアリシアから顔を背けた。他の女たちは、訳が分からずふたりを見る。
「マリン、ここに広がってるのは荒野なんだよ」アリシアが言う。「この荒野じゃあ、法なんてものは突き立てた木製の道標みたいなもんさ。その気になれば簡単に引き抜ける。アタイらはそんな荒野で男たちの不興を買わないよう、お情けもらって平身低頭して生きていくしかないんだよ。もうそろそろアンタも学ぶ年頃さね。人生は、人間は平等じゃないってことをね」
「そうかもしれないけど……。」悲しみなのか、怒りなのか、それとも別の何かを振り絞ろうとしているのか、マリンの声は震えていた。「そうであっていい理由にはならないと思う」
アリシアは長い
「誰でも最初はそう思うさ」
そうしてアリシアはその場から離れていった。他の女たちも、無言で続いていった。
残されたマリンはミラを見る。
「……ミラ姉」
「……もし、彼女がここで働きたいってウチの門を叩くようなことがあったら、そん時は迎えるよ」ミラが言う。「ただ、こっちからってのはね……。ウチは慈善事業で経営してるわけじゃあないからね」
「……うん」
「もし、彼女がウチに来るようなことがあったら……。」ミラはマリンの肩に手を置いた。「そん時ゃマリンがしっかり世話してやんな。先輩なんだからね」
「分かった……。」
しかし、ドウターズの女たちの心配は杞憂に終わった。女は、火傷を負った顔を苦にして自ら命を絶ったからだ。
中央広場での騒ぎから一ヶ月後、ミラは再びマリンを連れて山の下の町へと仕入れへ出かけた。仕入れの最中、ふたりは言葉少なだった。あの一件以来、マリンが大人たちに対し心を閉ざしているのをミラは感じていた。
仕入れを終えたミラは、いつものように大人たちと話があるからと、マリンに買い物をするようにと小銭を渡した。マリンはありがとうとは言ったが、それもどこかよそよそしいものだった。
ケリガンの家へ行くと、マリンは様子がおかしいことに気づいた。ケリガンの家は、貧農の家の例に漏れず、石を泥で固めた外壁で、基礎工事はなおざりで家全体が傾き、扉は木戸を立てかけただけのものだった。外から中の様子が伺えたが、空家のように人の気配がしなかった。
「……ケリガンさんっ」
マリンは入口の前で声を上げた。しかし、中で人が動く様子がない。
「……ああ、あんたかい」
マリンが後ろを振り向くと、そこにはケリガンが立っていた。陽の光を背にしたせいもあるが、ケリガンは影のかかった暗い表情をしていた。
「あ、ケリガンさん。キャサリンは?」
「……奉公人に出したよ」
「え? そうなんですか?」
「ああ……。」
ケリガンは、さぁ帰った帰ったとマリンに言うと家の中に入っていった。
「奉公人ってどこに行ったんです?」と、マリンが訊ねる。
振り返ったケリガンが言う。「あん? お前さんに関係あるのかい?」
「え、でも……友達だったから……。」
ケリガンは友達、と鼻で笑う。
マリンは困った顔でケリガンを見る。
「友達どころか、これからは競合相手になるかもね」
「……どういう、意味ですか?」
「おや、早かったね? 何も買わなかったんだ?」
マリンが荷馬車のところに戻ると、ミラは町の保安官と話しているところだった。
「……ねぇミラ姉、お願いがあるんだけど」
「どうしたんだい? もっと高いものが欲しいのかい?」
「ううん、そうじゃないの……。」
「うん?」
帰りの馬車では、ふたりとも無言だった。
マリンはミラに、サハウェイの娼館に売られたキャサリンをドウターズで引き取るように頼んだのだが、ミラがそれを出来ないの一点張りで突っぱねたのだ。
既に高額の金をケリガンは受け取っており、契約は終えている。サハウェイの所よりも上乗せをすることは難しいし、それに契約を終えたキャサリンをこちらで雇うのは引き抜きと思われても仕方ない。カッシーマで数える程の有力者であり、イリアで一番大きいサハウェイと事を構えるのは店の存続に関わるということを言って聞かせたものの、マリンは終始不満げだった。
馬車が舗装されていない道を走るので、荷馬車が絶えず揺れていた。ミラは痛たた、と腰をさする。そしてマリンの様子を伺うが、マリンは黙って道の行先を眺めているだけだった。
「……ねぇ、マリン。別に、サハウェイの所に行ったからって、取って食われるってわけじゃないんだよ。それどころか、ウチよりもずっといいお金をもらって親御さんに仕送りできるんだ。考えようによっては、良い選択だったかもしれないだろ?」
マリンはミラを見て、そしてまた馬車の行先を見た。
「でも……殴られたりするかも」
「考え過ぎだって、サハウェイの所にいる女がみんな殴られてるってわけじゃあないんだ」気休めを言うように、ミラはマリンに笑いかける。「そんなに心配だってなら、たまにキャサリンのところへ行ってみればいいじゃないのさ。あちらさんとは仲がいいってわけじゃないけど、敵対してるわけでもないんだから」
「……うん」
ミラはから笑いをしてマリンの頭を強く撫でた。
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