主従関係

──ミラがサハウェイの店へ行った夜


「で、貴女のところで彼女を引き取りたいってわけ……。」

 サハウェイは部屋の真ん中に立つミラを見る。初めてここに来た時と違い、彼女に気丈さは見られなかった。

 サハウェイは微笑んで首を傾ける。「良いわよ。使えない子だったから、そっちで好きにしてちょうだいな」

 以外に簡単な返事にミラは目を見開いた。

「やぁねぇ、そんな顔しちゃって。そんなに意外だった?」

「え、そりゃあ……。」

 サハウェイは涼しげにミラを見る。

「でも、ここのルールには従ってもらわないとね?」

「……ルール?」

「そ、組合同士なら娼婦の移籍も協議すれば問題ないわ。でも、貴女のお店は組合に入っていないものね。これを機に組合に入ってもらえないかしら?」

「……でも、彼女はアンタのところじゃいらないんでしょ? それに、移籍は今回だけの話だよ。そのためだけに組合に入りたくないんだけど?」

「あら強気ね? 頭を下げに来た人間の態度とは思えない」

「あのねぇ、アタシはこうして金を持ってきて、それ相応の誠意を示してるつもりだよ? 組合に入らなきゃいけないってんなら、ウチだって彼女を引き取る気はないさ。店のコにも約束してるしね、他店とトラブルは起こさないって。アタシにとっては今の仲間の方が大事なんだ」

「その約束を守るためにも組合に入りなさいって言ってるのよ、私は?」

「……どういう意味?」

「貴女のお店が娼館としては違法営業だってこと、知ってるのよ?」

「そんなこと言ったら、このカッシーマはモグリの娼館だらけじゃないのさ。それを一つ一つシラミ潰しに上げていこうってのかい?」

「シラミってのは、目についたものから潰すものよ。例えば、貴女のお店みたいに」

「何だって……。」

「私がその気になれば、役人に頼んで貴女の店なんかいつだって潰せるの。ただ、今まではそれをしなかっただけ」

「じゃあ……これまでどおり、目をつむってくれればいいでしょ。別に、アタシらはアンタたちに迷惑をかけてるわけじゃないんだから」

「そうね……迷惑じゃないわ」サハウェイは執務机の上で頬杖をついた。「でも目障りなの」

 笑顔だった。しかし、ちらつく歯は敵意に満ちていた。

「はぁ?」

「この間、私の部下がお世話になったわね。彼、リザードマンに頭を割られそうになったって、こっちに帰ってきてからも涙目だったわよ?」 

「あいつ……。」

 ミラは騒ぎを起こした酔っぱらいを思い出した。確かに見ない客だったが、一見いちげんが珍しい商売でもなかった。

「実は、ああしてたまに部下を貴女のお店に偵察に行かせてたの。貴女のお店、安上がりだから大した出費にもならないし。だから聞いてたのよ、貴女のお店がどれくらいのものか、トラブルが起きた時にはどう対処するのか……というのをね」

「どうしてそんなことを? いったいアタシらの何が気に食わないってのさ?」

「ドウターズ……。」サハウェイは椅子の上で仰け反って天井を見た。「素敵な名前よね、何だか女たちの活気に満ち溢れてそう。実際、結構な賑わいみたいだし」

 ミラは怪訝な顔をする。

「名前が欲しけりゃやるよ。愛着なんてないんだから」

「そうはいかないわ。私は前の経営者からこの店を引き継いだんだから。そうでなければ、組合は私がここのトップに収まることを認めなかったわ。だから私はずっとこの“フロリアンズ”てダサい名前で我慢しなきゃあならないの」

「そりゃお気の毒」

「いいわよねぇ、ドウターズ」サハウェイは目を細めて空想する。「女が主役って感じがするわ。貴女の噂を聞きつけて、女たちは貴女の店で働くのを望むでしょうね。組合でも、女たちが貴女のところで働きたがって困てるって話しをするのかしら」

 サハウェイは顔を下げて赤い瞳を見開いた。

「だから気に食わないのよ」

「……え?」

「この街の、イリアの主役は私なの。初めての女の経営者として、私が大きくしていく私の、私のための舞台なの」

「……ついていけないね」ミラが首を振る。「思春期をこじらせたからってウチの経営の邪魔をするわけ?」

「邪魔じゃあないわ。むしろ貴女を応援しようっていうのよ?」

「……どういう意味さ?」

「貴女のお店が違法営業だってことに目をつむってあげる。それに、貴女の所に逃げようとしてる女がいるってことも教えてあげる。そして、それをこちらで厳選もしてあげるわ」

「それで、ウチになんの得があるわけ?」

「簡単よ、貴女がいちいち組合にお伺いを立てる必要がなくなるわ。組合も、使えない女だったら貴女に預けても構わないでしょうから、一石二鳥ね」

「……組合が首を縦に振らない女だったら?」

「その時は追い返してちょうだい。そしてこちらへの報告もね。いいでしょ? そんなに大所帯にできるほど大きくないんだから。あの店も、貴女の器量も」

 ミラはサハウェイを睨むが、サハウェイは余裕の笑みでそれに応える。

「そんな顔しないで。それに、貴女の店のやり方なんてウチでもすぐに真似できるのよ? 長期的に見ても、貴女の店に勝ち目はないの」

「……何だってこんな回りくどいやり方するのさ? 組合に入って欲しいなら、さっさと話を持ってくればよかったろ?」

「貴女が……。」サハウェイは真っ白な手をミラに突き出した。「私の手に口づけをするのよ、自分で歩み出て。じゃないと、主従関係は築けないわ」

「……その手が叩き落されないとは考えないんだね?」

「私ね、欲しいもので手に入らなかったものはないの。……どうしてか分かる?」

「知らないよ」

 両手を机の上で組み顎を乗せてサハウェイは嗤う。赤い瞳を輝かせ、紅い口紅を歪ませて。

「手に入らなかったものは、この世からなくなるから」


 汚れやほつれの目立つ、みすぼらしい町人の服装で立ち尽くすミラ。その正面座り手を差し伸べる、シミも汚れも一切見えない純白のドレスのサハウェイ。ふたりが対峙する様は、さながら教会のイコンのようだった。それほどの隔絶が、両者の間にはあった。


    ※


「だから言ったじゃない、あの女に目ぇつけられたらまずいって」

 腰に手を当てたクレアが苦々しくため息をつく。予想していた中で最悪のケースだった。

「違うよクレア。あの女は元々アタシらに目をつけてたんだ」

「どうしてさ? こんな小さな旅籠屋なのに? イリアで一番大きいあのサハウェイの姐さんが、なんだって目をつけるってのさ?」

「どうしてだろうね……。けど、あの時の彼女の感じ……何だかアタシを憎んでる気がした。ただいるだけで気に食わないって感じで。多分だけど、彼女があそこまで成り上がったのは、上昇志向とかとは違う、別の何かがあったからなんじゃないかな。まるで執念みたいなのがあったよ」

「そう……。何だかよく分からないけど、アンタがそういうんだったら……。」

「ま、結局のところ、他所よそと競合しないってのを、こちらからじゃなくて向こうから求められてきたってだけの話さ。やることにゃ変わりないよ」

 そう言うミラの声は不自然に明るかった。クレアは、それに微笑びしょうして頷くしかなかった。

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